二人の文学者に見る月との葛藤 ① 三島由紀夫氏

ここに二人の文学者の、出生時の月と人生の関係を見てみたいと思います。
まず最初に上げるのは、日本を代表する文豪「三島由紀夫氏」(1925年1月14日生れ 月おとめ座)

ご存知のように市ヶ谷の陸上自衛隊において、割腹自殺を遂げて若い命を落としています。彼の月はおとめ座にありました。私の月理論によれば、月おとめ座生まれは、おとめ座の素養、素質、才能を持ち合わせてない、、となります。

基本的にまったく持ち合わせていないのです。しかし、月は幻影を与える星なので、持っていないものにその人を縛り付けます。人は自分の月が示す才能、素質がないにも関わらず、そのことに、常にこだわり続けるのです。

月の星座が一見、その人の素質や性格を言い当てているように思えるのは、常にその人が、無いものにこだわりつづけ、そのことばかり考えたり、反応してしまうことで、あたかも自分に月の性格があるように思えてしまうからです。

そして悪いことに、月が示す7歳までに覚えた月の幻影は生涯続くため、7歳までの月が示す才能というか、7歳までに覚えた真似事なら上手にできなくもないのです。7歳と言えば、子供によって、その出来ることの幅が違ってきますので、真似事のうまい下手も出てきます。中には大人よりも上手にできる子供だっている場合もあります。

三島由紀夫氏の家には、ゴミ一つ落ちておらず、家具はあるべきところに数センチも狂わずに常に置かれていた、、、といいます。通常、月がおとめ座にあれば、家の中は汚れ放題、荒れ放題、それでいて、常に掃除をしなくては、、、のプレッシャーに悩まされます。

しかし、7歳までにおとめ座の幻影を学んだ氏は、掃除もそれなりにできたのでしょう。どんなに苦しくても、家の中を常に綺麗にしておく程度はできるのです。しかし、その場合でも、そのことで疲れ、エネルギーを消耗してしまう点はおとめ座の月に共通しています。

三島氏の家はチリひとつないきれいな家であったという点、彼が異常にそのことに神経を使っていたことが伺えます。三島氏は月との戦いを常に続けていた人だった気がします。月の影響には例外はほとんどありません。その後の彼の活動は、月おとめ座にまさに沿ったものに思われます。

彼のおとめ座の月が次に向った地点は、自身の肉体改造でした。キャシャな体つきの弱弱しそうで貧弱な自身の体に我慢ができなかった三島氏。おとめ座は器を暗示し、自身の体の器の貧弱さには耐えられないものがきっとあったのだと思います。ボディビル、ボクシング、その他、激しい運動を通して、彼は自分の体を鍛えていき、見違えるような体付きとなります。

ここにも、本当はかなりの苦しさがあったと思います。おとめ座は他の領域との結界を意味し、細胞など、他の影響の侵入を許さない構造を求めます。壊されない環境、壊されない器。自身の肉体改造には、他の力によって犯されることのない肉体を求める思いがあったのでしょう。しかし、おとめ座の月は、それができないのですから、いくら一時的に成功しても、その維持は大変だったでしょうし、その後の肉体の衰え、ないし、老化などに気を遣う人生だったと思われます。

あの時は鍛えたよな、、、、というような考えは月おとめ座にはなく、肉体改造が成功したなら、それを維持するために、四六時中気を使い続けたはずです。

月の試みは一時的に成功しても必ず失敗に終わりますので、彼の肉体改造の結末は、切腹に表れています。切腹、すなわち腹という結界の崩壊。おとめ座は細胞など、結界を意味しますので、月がおとめ座にあると、結界が持てない、、、ということになります。月のおとめ座の人が突然太り出す、、、という現象がありますが、それは、細胞の結界と関係します。月おとめ座は結界を持てない、、、なので、結界の崩壊は結界の消失となり、突然太るなどの症状を生じてしまいます。月は整理機能に影響を与えるためです。

月がおとめ座にある人は、結界を自身の肉体に求め、拒食症に陥ったり、食事制限を常に考えたりして苦しむことがあります。管理できないのに管理しようとするのです。しかし、どんなに心配して苦労しても、そうした試みはすべて敗北しますので、いつか、細胞の結界が壊れ、拒食症になったり逆に太り出すなど、、、そうした運命が多く見られます。月がおとめ座にある人は、肉体管理しようと思わない方がいいのです。思えば、必ず失敗に終えるからです。月は物事のすべてを失敗に追い込む力とです。

三島氏の場合は、肉体改造に必死の思いで成功し、その維持にも死にもの狂いだったと思われますが、最終的には、自身で腹を割き、腹という結界の崩壊による死を招いたことになります。

月の幻影に突き動かされて達成したことが、のちに良い影響をもたらすことはひとつもありません。彼は肉体改造した強靭な体で自信を得るよりも、さらに幻影を深める行動に出て行きます。幻影は達成されても実感がないので、さらなる幻影への行動に駆り立てて行きます。

彼は日本の行く末を嘆き思い、日本の現状に心を痛めた氏は、自身の肉体改造を果たした後、盾の会という自費の軍隊組織を作ります。この軍隊組織は最初、財界にお金を出してもらって設立したかったのですが、財界は首を縦に振らず、仕方なく彼は自費で盾の会を作ります。肉体改造のあと、秩序を失っていく日本という器を作り直すことに彼の主眼が置かれていくのです。

ところで、なぜ財界は世界の文豪の申し出を断ったのでしょうか。三島氏は日本の秩序が壊されていくことが我慢できずにおりました。学生に犯されていく日本や文化、、、、。折しも、学園闘争はピークに達し、新宿では騒乱罪が適応されるなど、首都の混乱は増していました。

東京混乱を正し、秩序だてるために、三島氏は自衛隊の出動を願ったといいます。
その際、自分らが先陣を切って暴徒である学生たちを襲い、武力によって鎮圧する、、、との思いが募ったのです。まさに月おとめ座の秩序への願いです。

しかし自衛隊がいくら暴徒と化した学生だからと言って、武力による鎮圧はできないでしょうから、私設の軍隊が先陣を切っていけば、秩序が回復するとの考えが三島氏にあったようです。そのインパクトによって国民も日本のあるべき姿を思い、いたずらに西洋化せずに自身を律することになるとの思いです。

西洋化によって日本古来の良さが失われることは確かに問題ですが、日本が西洋に侵入される、、、日本という器が壊される、、、という危機意識はおとめ座ならではのものがあったに違いありません。しかし彼の場合は月おとめ座の感性によってのものですので、本物ではないのです。本物ではないゆえ、悲劇へと?がっていきます。

通常の感覚で言うなら、いくら日本的なものを大事にする、、、日本の秩序が破壊されるのを阻止する、、、と言っても、だから先陣切って学生に切りつける、、、というのは、どこかおかしい、、、と誰でも感じます。三島氏の考えと一般国民との考えの乖離がそうしたところにあった気がします。月おとめ座が何かを守ろうとすると、実は守れないのは、こうした現実との乖離が生じるためです。

秩序回復のために学生を襲うことも辞さないという三島の姿勢に、財界はビビりました。当然のことだと思います。

実は軍隊組織はおとめ座が表すもので、三島氏が軍事組織にこだわるのもうなづけます。しかし、実際の軍事との間には、乖離があったため、彼の主張は防衛相での悲劇を生むことになっていきます。

日本の本来の姿を求め、それを秩序だって形にしたいと願う三島氏の思いは、おとめ座本来の世界です。

しかし三島氏の場合は、おとめ座は月であり、月は常に幻影です。幻影で動いても、現実はなびきません。彼の最後の演説が私にはどこか悲し気に見えるは、そのせいではないかと思います。

1970年11月25日、三島由紀夫氏は市ヶ谷基地にて自害。人生五十年の生涯を閉じていきます。

今回は三島氏の人生を振り返る内容とは違い、あくまで占星術的な意味、ことに月おとめ座の観点から語らせていただいたものです。そのため、一方的な解釈となっている部分も当然ありますし、三島氏の生涯をさげすむような意味で語っているのではありません。あくまで占星術の月の観点であることをご理解ください。

私個人的には、三島氏の死は、人間業を越えた範疇のものですので、良いとか悪いとかではなく、本来は神社に祭られるべき類のものであると思っております。

ただ月という観点を通せば、これまで語られてこなかった彼の苦悩や限界、行動の意味も新たな視点から見えてきます。

月は幻影であるゆえに、それは不足した部分であり、不足しているものに優秀な人ほどこだわっていきます。自身の完璧化、完全化という幻想と月は切っても切れない関係にあるのです。
三島氏は世界的な文豪でしたが、その名声だけでは飽き足らない、さらに自身の不完全感を脱皮し、本物として完成させたいという思いが、彼の月を通せば見えてきます。

彼の生涯の目標は、月に支配されていたことが、私の目には見えるのです。
なぜ、そこにいたら落ち着かないほどきれいな家だったのか、、、なぜ、彼は肉体改造に夢中になり、それを成し遂げたのか、、、 なぜ、防衛に関心を寄せ、私設の軍隊まで作ったのか、、、なぜ、彼は自害したのか、、、

正当な伝記などではありませんが、占星術の月の観点から、ご紹介させていただいた次第です。

月とは何か、、、、私たちがこの世に生まれ、そして死んで行くとは、力学的に考えれば、割と簡単です。

生かす力が私たちを生かし、私たちを消し去ろうとする力が、私たちを消し去る、、、ただそれだけのことです。

生かす力が強いうちは、私たちは健康で元気でいられますが、消し去ろうとうする力が強くなれば、私たちは段々と弱り、やがて死んでいきます。

太陽こそが生かす力であり、月こそが、私たちを消し去ろうとする力であるとの私の見方は、根源的で正当だと私は勝手に思っています。

誰でも幼子のようでなければ、天国に入ることはできない、、、、イエスの言葉です。

月に囚われる前の幼子こそが、永遠の命に入る条件であることをイエスは伝えます。では、幼子で無くすように働く力とは何でしょうか。月に囚われたら死、月に囚われぬ幼子のようなら、永遠の生、、、

生死の法則がこの世にはあるはずです。占星術には、それが本当に正確に隠されており、太陽と月の理解こそが、極めて重要なのです。

次回は「二人の文学者に見る月との葛藤」② 寺山修司氏
ぜひ楽しみにお待ちください。

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