月について振り返る 2018
昨晩、小数名で月の座談会を行いました。かなり盛り上がりました。良し悪しに付け、月には人気があることを感じました。今年は月について色々な考察をした年でした。そして月は重要なテーマであることを考えるたびに再認識することとなりました。
昨今は結構な月ブームですが、この数か月、私は現在の一般的な月解釈と異なる立場で語ってきました。それは確信であり、揺らぐことはないのですが、よく理解できない方も多いと思われ、私が捉える月についての要領を下記したいと思います。
占星術における月の影響は幼少時期の0歳から7歳までの間に培われたものです。まだ判断力のない時代に得た自分や母や家族に対する認識です。
正しい判断力のない時代のことですので、月の認識は間違っています。
しかし、月は最初にインプリントされていますので、私たちは死ぬまで月によってインプリントされた世界を眺め続けます。常日頃にわたってです。
月によってインプリントされた世界は間違っていますが、あたかもそれが本当であるかのように私たちは思い続けます。
間違って見ている世界とは、現実にないものを示しています。月が影であるとの視点がこれです。なので、月が示すものを、私たちは影として持つだけで、月が示す内容を本当は何一つ持っていないのです。ここが大切ですが、何ひとつなのです。まったく無いものを月は示しているのです。
一般的には、月がてんびん座だから、エレガントですよね、、、とか、美的才能抜群とか言われるわけですが、そうではなく、そうした才能や素質を何ひとつ持っていないことになるのです。影しか持っていませんので、影を見ることはできても、本当のエレガントはわからないのです。なのでエレガントにはこだわります。影しか見ていないので、逆にそれがどういうものか、常日頃こだわり続けるのです。
しかし、エレガントとは何かすら、月のてんびんにはわかりませんので、非常に苦しむわけです。それでいて、あなたはエレガントです、、、と言われれば、常日頃そのことで苦しんでいるため、そうであるかのように思いたくなってしまうだけです。
常日頃気にしているからその才能を持っているわけではありません。ちまたで言われているように、月を素質として捉え、それを伸ばすように安易に判断していますが、無いものをどう伸ばすのでしょう。それは物理的に無理なのです。
無いとは、残酷な言い方ですが、本当に無いわけで、無いものが何かすらわかっていないというほど、完璧に無いのです。
月がいて座にあれば、理解力が無い、、、となります。それは本当にそうなのです。理解力が無いとは、理解することに附帯するあらゆることが欠損している状態を表すのです。なので、月がいて座にあれば、理解力がないのは当然として、理解するとは何かすらもわからなくなっているのです。7歳の子供に理解しなさい、、、と言われた際の、子供の反応がいて座の月なのです。
しかし、それでは日常生活で普通に生きることはできないと思われます。そのため、人はポーズやその場しのぎの形で応対し、月の欠損を隠したり、ごまかしたりすることにエネルギーを注いでしまいます。そのため、月の防衛的態度を保持することで、生きるためのエネルギーのほとんどを使い切ってしまうのです。
ここに月の問題があるのです。月にエネルギーを奪われてしまい、私たちは自分の人生を生きられないようにプログラムされていることになります。
では、月が悪いのでしょうか。そうではありません。偽りから始まる認識だからこそ、覚醒の道が始まるのです。月の中にある程度の真実がもしあったなら、人間はその真実のかけらからでもエネルギーを得ることができるようになり、成長することがなくなります。動物と同じになります。
すべてが、まったくの間違いからスタートさせてくれる月のおかげで、私たちは初めて本当の自分を獲得する道に入ることが可能となるのです。すごいシステムだと思います。
なので、月が示すサインはもちろん、ハウス及び、かに座のハウスカスプのハウスが示す内容にも、すべてその才能と素質が無いと考えてかまいません。本当にそうだからです。
月を間違わないための認識として、もっともはっきりしているのは、月が示す才能や能力や素養、素質が全くない、、、という視点に立つことです。まったくないのです。まったくです。
理解力がまったくないと言われれば、面白くありませんし、それで人が生きていけることなどない、、、とつい私たちは考えます。
月がふたご座にあれば、思考する力がまったく無い、、、ということになるわけですが、通常、思考できない人間が存在できるとは思わないでしょう。
しかし、そうなのです。月がふたご座にあれば、思考できない人になるのです。なので、考えているふりや、考えている時に人が通常行う態度や、そうしたもので対応するわけです。7歳の子供が考えなさい、、、と言われた時の状態が月のふたご座なのです。それが一生続くのです。無いものなので、これは一生変わりません。ただし真似事での対応できます。最高で月並みまでは行けるのです。
月には実体がない分、マネは上手なのです。なので、どうにかつじつまがあっているように見られるだけなのです。
月が示すものは完全に持っていないのです。そうしたものが、誰にでも必ず一つあるのです。本人がそれを理解している場合もあれば、無意識に避けている場合もあります。しかし、よくよく考えることで、自分がいつも何を避けていたかがわかれば、月の働きがわかってきます。
通常、完全に欠損しているものに、私たちは無いゆえにこだわり続けます。なので、月の欠損状態についての防衛や取り繕いのために、常日頃、エネルギーを使い続けます。
それは心理的に非常に苦しい状態を生みます。その苦しい心理状態を停止させるものは、意識以外にありません、。意識化された行動や思いの中では、月は存在することができません。昼間の月は輝きません。それと同じで、意識の前では月は無力なのです。
しかし、反対に意識的な態度もない、意識的な行動もない、、、そうなれば私たちは常に働き続けるところの月につかまります。
そして、取り繕い、、、マネ、、、、あたかもそうであるように見せる、、、そのためだけにエネルギーを使い続けてしまうのです。
そうした状態が続き、いよいよエネルギーが枯渇した結果がルナティックであり、人が狂気に陥っていく構図となります。人を狂わせるのは、やはり月なのです。
簡単に月はあなたの女性らしさとか、才能であるかのような解釈に警鐘を鳴らしたくなるのは、こうした理由があってです。
月は欠損であり、完全に無いものを示すのです。ただし、マネはできます。7歳の子供ができる範囲での対応はむしろ得意です。なので、かろうじて私たちは月の欠損をその場しのぎで取り繕って生きているわけです。
しかし、そこには喜びも成長も発展もありません。なので、月で行ったことは、すべて失敗し、敗北する運命を持っています。私は例外ないとさえ思っています。
どうか皆様も自分の月について考え、何が自分を苦しめていたか、、、何が本当のエネルギー泥棒だったかに思いをはせていただき、意識以外からエネルギーは来ないことを改めて思っていただけたらと思います。
お知らせ
私たちは月を誤解している「月の教科書」マドモアゼル・愛著
宣伝になってしまうかもしれませんが、どうか占星術のプロやプロを目指す方には、手に取っていただけたらと思います。本当の月の意味を、多くの方々に広めていただけたらと念願します。
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