自己治癒力、統合医療の限界
現代の医療に問題があることは、医者自身が癌にかかった際に抗がん剤を自分には打たない、、というアンケート調査があったということで、有名な話しとなっています。
どこでどう調査したのか知りませんが、さもありなん、、との思い。
医療への不信は深く、その代わりに出てきたのが、統合医療や自然治癒力を高める方法です。
あれが効く、これがいいと、それは命がかかっていますから探す方も真剣でしょうし、それを使う方も真剣です。いくら高価でもお金に糸目をつけず、それを購入してしまう。
実際にそうした物や統合医療で治る場合もあるのでしょうから、それが悪いとは言えません。
また、自然治癒力を頼り、免疫力をアップして難病に立ち向かう人もいます。それもこれまでの医療にどっぷりつかるよりはまだましということも考えられます。
しかし何か違うのではないのか、、、という思いが私にはありました。
病気にかかるということと、それを治そうとすること、、、それは一体のことなので、病気は結果であるはずです。
すでに結果が出てしまったのが病気なのですから、結果を変えることは本質的に無理です。
たとえば、相場は、買いから入ったら、必ず売りで終えなくてはいけません。そうでないと取引は終了しません。
売りから入ったら必ず買いで終えなくてはならない。売りと買いは合わさってセットで一体だからです。
相場の世界だからというのではなく、あらゆるものすべては、この原理から逃れることはできません。
なぜなら、原因のない結果は存在しないためです。病気が結果なら、その病気を生じさせた原因が必ずあるはずです。
そこに思いを致せば、これまでの考え方の問題点、生活の仕方の問題点、人間関係や仕事など、色々な原因が出てくるはずです。
それを、単に運が悪かった、、、という病気の捉え方しかせずに、早く治して元の生活に戻ろうとする私たち。
癌になるには、癌を生んだ原因が、これまでの生き方の中にあるはずなのに、そんなことより早く治してまた元の生活に戻ろうとする、、、、、
原因と結果の法則からは、無茶な考え方なのです。一時的に治っても、また元の生活に戻ったら、また元の考え方や価値観に戻ったら、再発することは見えています。
病院の問題や医療の問題を捉えて、今の医療は悪いから、統合医療によって治そう、、、と、何としても治ることにしか頭が回らない。
自分だってもし癌になったら、同じように考えてしまうかもしれませんが、しかしそれではダメなのです。治りっこないのです。
原因があって結果があったのですから、もうセットで終えってしまっているものを、どんなに掘り返してもダメはダメ。
癌は結果ですから、受け止める以外にない。そして原因を探り、生き方、、、考え方、、、価値観を以前と違うものにする以外にない。
そのための時間を与えてくれるのが、癌の特徴だと思うのです。すぐに死なないで時間をくれる、、、ある意味ありがたい病気なのかもしれません。
そうなると考え方が違ってくるはずです。何としても治そうという考えは引っ込み、なぜそうなったのかの原因に意識が行き出す。
生還への道の始まりです。
統合医療や自己治癒力の限界も現代の医療と私はまったく同じだと思います。一見、新しくて魅力的に見えますが、東洋医療に頼れば、とか、体に良い食べ物を食べれば、、、とかいうことも、結局は治して早く良くなりたいという思いの延長ですから、基本は同じなのです。
結果が出てしまったものは、本質的には終えたのです。なので、結果をあれこれいじろうとすることは、間違いなのです。
結果は結果として放っておく以外にはなく、その原因を探って、今度はこれまでと違った生き方、これまでと違った考え方、これまでと違った価値観をもっていく以外にない。
自分のこれまでの生き方を改めて意識し、それを変更できたなら、新しい結果がやがて出てきます。
新しい結果は現在の癌にふさわしくないので、新しい結果に入れ替わる以外にありません。
癌は妙にいじらなければ、その程度の時間はきちんと与えてくれる病気であり、土橋先生は、癌は長生きさせるために生じる病気であるとおっしゃる。
その通りだと思います。
さて、病気の原因についても語らせてください。前述したように、間違った考え、間違った価値観、間違った生き方、、、それは確かにその通りですが、それを一言でいうと、間違った意識で生きてきた、、、となるわけです。
さらにそれを一言でいうと、フリーエネルギ-で生きている意識がなかったのです。
本当は誰もが、いつでもフリーエネルギーで生きているのですが、それに対する意識は人によって異なります。
赤ちゃんや子供は物事や現象を否定的に考えませんので、比較的にフリーエネルギーを得て暮らしています。
もっとも簡単な見分け方は、将来への不安に対する態度です。
赤ちゃんには将来への不安はありません。子供にもあまりありません。こうした不安は周囲に教えられるまで実は存在しないのです。
キッチンのパンがあといくつあり、姉がかえってくるとなくなるかもしれない、、、との将来不安は子供にはありますが、きわめて想像できる近未来の不安だけです。
それが中学生になり、高校生になり、、だんだんと大きくなるにつれて、あの学校に入らなくては、、、こうした会社に入らなくては、、、資格がなくては、、、
貯金がなくては、、、保険に入らないと、、、
大人になるに従い、未来への不安が増大します。
先日、本屋さんで、足元のおぼつかない老夫婦が、二人で必死に読んでいた本を見て私は愕然としました。
これからの株式投資、、、という内容の本。何に愕然としたのかというと、お二人ともかなり体調がすぐれないご様子で、今倒れて救急車で運ばれてもおかしくない様子。
将来の心配などより、今、目の前の信号をどうわたったらいいか、、、というような切羽詰まった危機がむしろ見えたのです。
この老夫婦の問題は未来の経済的なことなどであるわけがない、、、むしろ、このまま家に無事に戻れるか、その方が問題だと私には感じられました。
お金が減ることが、おそらく、命がなくなるかもしれない、、、という不安感に直結しているのでしょう。
そうでなければあのお身体で、お二人で本屋さんに来て、株式投資の本を探す、、ということはありえないと思います。
お金が減らなければ、死ぬことはない、、、増えれば、きっともっと生きられる、、、という信仰なのだと思います。
要するにフリーエネルギーで生きていないのです。フリーエネルギーを信頼していない人は、たった一つでも自分に不利なことがあってはならないという信仰をもっています。
損はできない、、、不利なことは受け入れない、、、得することは、どんな小さなことでもチャンスを逃したくない、、、
そういう人が病気になったらそれは大変でしょう。良い病院を探し、名医に執刀を頼み、権威あるもの総動員で難局を切り抜けようとする、、、、
もし癌になったら、最新の方式が最高のものだと心から信じてしまい、いくらでもお金をつぎ込むことでしょう。
一方、どこかでフリーエネルギーを受け入れている人は、ああ、これまでか、、、仕方ないか、、、と最後には何かを受け入れる。
奇跡が起きるのはそういう時以外にありませんので、あきらめ、これまでと違った意識に至ると、不思議なことが起き始める、、、
それにはきちんとした理由があります。フリーエネルギーが入るからです!
本当は、お金の力やご飯や体力で私たちは生きているのではないのです。どんな際にも、フリーエネルギーによってしか、私たちは生きられないのです。
物には何の力もありません。物はエネルギーであるとの物理の法則は違うのです。物は結果であり、そこにはエネルギーはありません。
人間が作った人工物にも、組織にも、現象にも一切の力はありません。
意識からしかエネルギーは訪れないのです。さらに言えば無は最高のエネルギーです。
古来から無を感じさせる音や芸術や舞踏や立ち振る舞いが最高のものだったのは、無と一体、すなわちエネルギーの世界に触れられるからなのです。
無を目指さない芸術はすべてまがい物です。
人は肉体を死ねば無に戻るのです。人以外、あらゆる物質も同様です。
無がすべてなのです。その無を、あったものがなくなるという物質的な無を唯一の無としたところに、人類が捕まった罠があるのです。
無はすべてであり、本当のふるさとであり、すべてを自由に生みだす世界であり、この物質の世を作るのも、すべて無から来るエネルギーによります。
癌になったとき、、、まっ、仕方ないか、、、と多少なりとも無となれたら、奇跡はそこから始まるのも、きちんとしたエネルギーの法則にかなっているからです。
もちろん、このことを今の科学では認めるはずがありませんし、信じる人も少ないと思いますが、無からエネルギーが訪れる原理を応用すれば、意図的にエネルギーを呼び込むことが可能であり、進んだ宇宙では、それを行っているはずです。
ただその大本には、意識があります。フリーエネルギーの意識があれば、全体と自分自分が一体という意識があれば、私たちは素晴らしい世界を作ることができるでしょう。
進んだ宇宙人がいるかどうかは知りませんが、少なくとも、遺伝子を操ったり、臓器を入れ替えるような形での長生きは、フリーエネルギーとは似ても似つかぬ方向ですので、それは優れた宇宙人とは違うことがすぐにわかってしまいます。
物には何の力もないのです。物は結果です。新しい結果を意識活動によって作る発想があれば、すぐにでも素晴らしいアイデアや発見が相次ぎ、あっという間に私たちの時代は変わることでしょう。
無からいかにしてエネルギーを得るのか、、、簡単にできることなのです。ただ、多くの人の意識が邪魔をするでしょうから、目の前で見ても、聞いても、本当に理解してくれる人は少ないのです。
本当にもったいない話しです。無からエネルギーを得ることは実は簡単なのです。
色々な方法があります。ただ意識が閉ざされていると、無そのものを否定し、無と思う幽界のお化けのように人は生きてしまうのです。
あったものがなくなる無、、それがすべてだと思えば、我先の世界になるのは仕方ないでしょう。
しかし事実は違うのです。あったものがなくなる無ではなく、ある物とある物で無の状態をつくれば、エネルギーは得られるのです。
無がすべての出どころであり、私たちの本当のふるさとなのです。ありてありてありてある無。