あれから5年

5年前と似たような天候で今年の311を迎えました。

天候も似ているだけでなく、あの時東日本の人に共通していた沈鬱な思いは、消えてなくなるどころか、あのままずっと続いている気がします。

どこかで感じる嘘、、、、どこかで感じる圧力、、、どこかで感じる日本への不信、、、

今日の式典ではわずかに天皇陛下のお言葉の中に原発のことが語られただけで、そのウエイトはあまりに少ない気がしました。

あの震災は一体何だったのか、、、これから歴史が解き明かしていくのでしょうが、そこには大きな嘘がしまわれていることを多くの人が感じとっている。

輪かい停電が当時暗い世相を作ったりしていましたが、あれも本当に必要だったかどうか、、、、その後数年にわたって全原発が止まっていたにも関わらず電気不足は生じなかったのですから、あの時、順番に停電させたのは、原発がなければこうなるんだよ、、、の脅しだったと思われても仕方ない。

除染は大変な費用が掛かるらしいが、そうなれば、絶対に利権が生じるに決まっている。放射能を著しく下げる技術はすでに色々なものがあり、何も除染というあまりにお金と時間がかかる原始的な方法に固執するのはおかしい。

現に故飯島秀行先生は、当時、日立に計測結果を正しく出させて、劇的に放射能が下がることを独自の方法で実践したが、政府は見向きもしなかったと聞いた。

その理由は、お金がかからないからでしょうね、、、と飯島先生はおっしゃった。

お金がかからないならやればいいじゃないかと思うが、それでは利権が生じないからではないのか。

悲しいのは、人の悲劇を金儲けに変え、結果的に福島の悲劇を引き延ばすことが利益を増大させるとは。

すべてがインチキじゃないか。

あの地震への不信も根強いものがある。まず、震度9ということに途中で訂正されたのだが、果たして本当に震度9もあったのか、、、と多くの人が思っている。

理由は、当時の生き残られた方がたくさんの動画を残しているからだ。その動画のどれを見ても、数千年に一度の地震には見えない点だ。

被害は甚大だったがそれは津波の影響であって、自信そのものではないのではないか。どの動画に映っている光景を見ても、建物の被害が少なく見える。

あまり破壊されていない町に津波が襲ったように見える。

あと、地震学者が声をそろえて言った、大変珍しい3連発の震源、、、その後、こうした内容がマスコミから見事に消えていることもおかしさを増幅させる。

何か隠していはしないか、、、本当の原因究明の前に、被災地の深刻さと応援する姿勢を鮮明にさせて、原因究明など言おうものならまるで非国民のような雰囲気を作ったのは、なんでなんだ。

何かに似てはいないか。911の時のアメリカが確かそんな感じだったと思う。真相究明を言いだすと、愛国心がない、、、というやり方。

しかし今では誰もが、本当の飛行機が突っ込んだのか疑問に思っている始末である。あの時、真相究明を言いだすと愛国心がない者呼ばわりしたのは、真相が究明されては困るからだったのではないか、、、

すべてがインチキなのだ。しかし時代の流れは、みずがめ座の時代に向かっており、嘘を押し通すことには限界がある。

人類になぜ悲劇が襲うのか、、、その根本の理由も、我れは知る、、をテーマとするみずがめ座時代の流れの中でもうすぐ暴かれていくに違いない。

しかし、次の時代は悪が勝つ時代ではなくなるが、では悪が滅ぶ時代なのか、、、となるとそれも違うのだと思う。

悪も私たちの一部として存在している。悪と善と人とが協力し合った時代を作る以外にはない。

悪でなければできないことは非常に多いのだ。ただ、悪が司令塔になってはいけない。順番を間違えたら力が出ない。

脚は脚、、手は手、、頭は頭の働きをする以外に道はない。

すでにお聞き覚えの方も多いと思いますが、飯島秀行先生がお亡くなりになりました。

談笑中に、笑いながら亡くなられたと伺いました。

先生は生前から生死を越えた意識体としてご活躍されてもおりましたので、先生にとっては生死の別はそれほど大きな問題ではないのですが、残された者には、やはり大きな存在を失った思いがあります。

医療的な分野でのもの、発明の分野でのもの、思想哲学のもの、、、そのほとんどを完成させてからの昇天でした。

今後、飯島先生の残されたものが、大きく時代を変え、動かす原動力になることは間違いないと思います。

先生の考えの中心にあるのは、物には何の力もない、ということです。意識がすべてのものを生み出す本当の存在であり、物に力があると思っているうちは、戦争は確かに無くならないのかもしれません。

しかしあらゆるものがすべて意識が作り出しているとなれば、すでに有るものはすべて結果のくそのようなもので、それ自体に意味も力もないということになる。

意識で生み出しているものを、物としてとらえることで、奪い合いと争いが生じ、自身を物だと思っていく。

飯島先生との出会いは私の人生を変えたと言ってもよいでしょう。

先生のお話しは分かりにくい面が多々あるのですが、私が一緒にいるときは、図々しくも、それはこういう意味なんです、、、などとよく講釈させていただいたが、先生はいやな顔ひとつされず、うなづいてくださることが多かった。

私が脚の痛みにお困りの先生に、ポンポンマッサージをして差し上げると、ああいいね、、、これはいいね。とおっしゃってくださったのが、最後にお会いしたひと月前のことだったでしょうか。

飯島先生、藤原直哉先生、土橋先生、そして私の四人でこの秋に「本物の未来博」という提案をしたが、その企画書をお渡ししたのが先週の月曜日で翌日に先生は亡くなられた。

月曜の夜、私は先生にお渡しした本物の未来博の企画書をなぜか不思議と何度も読み返した。

自分が書いたのだから何度も読み直す必要などないのに、なぜか、自分でない気持ちで何度も何度も読んでいることに気づいて不思議な気持ちになった。

今思うと、おそらく飯島先生がお読みになってくださっていたのだと思う。

今は多次元にいらっしゃる先生なので、これからは肉体の枷を離れてもっと自由にご活動ができるのでしょう。それだけ時代がひっ迫しているからなのかしら、、、とも思う。

先生は地球と人類の危機をよく述べられていたが、まだ多少の可能性はあるということだが、肉体レベルでの活動では間に合わないという考えがもしかしたらあったのかもしれないと、勝手に思っている。

先生は少なくとも経済異変だけは確実にある、経済金融は必ず壊れるとおっしゃっていた。それだけで済めばいいが、それだけは必ず起こると。

確かにそれはあるのだと私も思う。しかし誰ひとり、本気ではそう思ってはいない。

飯島先生の発明された商品が色々あるが、今は一度、私のカートからひっこめています。一つ一つの原理について、私が書き加えてから、もう一度、先生の発明品としてカートにアップする予定です。

今は引っ越しの際中で多忙にしています。お待たせしている春分レポートも書き終えておりますが、事務手続きができずにおります。発送準備が整い次第お送りいたしますが、春分頃になる予定です。

色々書きたいことはありますが、時間の合間を見て書くことにいたします。

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