ごみ様お家賃

都会のマンションの賃貸価格は、ピンキリは当然としても、1DKで7万円から8万円程度。2部屋あれば10万程度にはなってしまうと思います。

そんな狭い家の中にでも、私たちはついもったいないと思って色々な物をため込む。

しまいには、マンションの中は使わないものでいっぱいになり、狭い部屋がますます狭くなってゆく。

二年使わないものは、大体は一生使わない、不要なものらしい。しかし、それでももったいないと思ってため込む。

しかし、そうした物にも、実はお家賃がかかっているということをつい忘れてしまう。レンタル倉庫なら、物を取っておくためのコストがたまには意識されるかもしれないが、自分の家やマンションにあるものに、まさか家賃がかかっているとは思わない。

部屋の隅に置かれた開かずの段ボール箱は、部屋の20分の一を占めている、、、、それは全体の100分の1、すなわち、家賃の1パーセントは段ボールのために支払われていることになる。

10万円の家賃を支払う人は、段ボールのために毎月1000円を支払っている。年間で12000円。三年で36000円。5年後とに気が付いて捨てる、、、6万円支払って最後には生かすことなく捨てたことになる。

これでは、決して金持ちになれないと思ってしまう。働いても働いても、ごみ様のための家賃にもっていかれる。

人は一生の生涯賃金の一体何パーセントをごみ様のために使っているのだろう。きっと凄い額になると思う。

こうした間違いはどこから起こるのかというと、物が大事だと錯覚するところにある。確かに物を大事にすることは大切だし、美徳だが、ただもったいない、、、では前述した通りのことになる。

私自身、ごみ様のためにかなり支払ってきているタイプなので、とくにそう思う。物は使ってナンボ、、、。

そしてこういう話しは、どなたでも、まあ、確かにそうだろう、、、と思ってくださるが、自分の体にある贅肉や、だぼついた部位についてはどうだろう。

そのために支払っている物は非常に多い気がします。余分ダボつき分の重さで、どんなに歩く際にエネルギーを消耗していることか。

余分な重さのための苦労はけっこうつらいモノがあるはず。余分な物で、私たちはけっこう苦労していることがわかると思います。

余分なお肉、、、余分なお部屋のごみ、、、余分な考え、、余分な人間関係、、、余分な思い、、、余分な感情、、、、

考えをすっきりさせる、体をすっきりさせる、すなわち断捨離ブームということなのでしょう。

余分なものがなくなるともっとも良いことは、自分が生かされて生きている、、、ということがわかる点にあると思います。

余分なものを一切持たないで生まれてきた赤ちゃん。周囲の愛情や神の加護によって、生かされて、私たちはこの世にやってきました。それが原点。

もったいない、、、とは、なくなることではなく、使わないこと。物も、余分なエネルギーも、自分の力量も使わずにいることがもったいない。

あるものに意味と価値があると思うから、つい私たちは保守的に自分を守りだす。持っているものなどない、、、自分を生かすだけ。あるものを生かすだけ。

部屋の隅に三日前から置かれたままの新聞紙、、、それはすでに新聞紙以上の家賃を消化している、、、高級住宅地のマンションだとしたら、おそらく、3日で数千円ほどには、、、

人生80年。物、金、体、ためるだけで終えるのか、、、生かし創造しながら生きるのか、、、

物がすべてだと思えば、体も心も重くなる。なぜなら、自分も物になっていくから。

無からしか本当のエネルギーはやってこない。物理学的にも、なんだか、それが実証されているとか、、、

私には難しくてわかりませんが、体が自分か、意識が自分か、、、この分かれ道が重要であることはわかります。

意識がすべてを生み出す道理。21世紀の物理学とこれまでの物理学の違いがそこにあると思います。