無にしかない力

電源分離について閣議決定がされたらしい。素晴らしいことだ。これでフリーエネルギー時代が一歩近づいてくる。

電気も自由に売買できるようになるだろうから、皆、一番安く、しかも安全な方法で電気を生みだす電気を選ぶようになる。

電柱が立ち並び、どこか遠くのダムや火力発電、今は動いていないが、原発からやってくる電気などに依存しているのはあまりに不自然だった。

エネルギー政策が変わるのは、時代の変化と直結するので、色々な反対や邪魔も入るだろうが、大きなうねりはフリーエネルギーの方向に行かざるを得なくなる。

誰も認めなくても、政府がフリーエネルギーなんかありません、、、といくら宣伝しても、「これがインチキといわれているフリーエネルギーです。他の電機製造会社の電気よりも、5分の一の値段です、、、、」となれば、インチキだろうが何だろうが構わない、、、となるに決まっている。

色々な方法でフリエネルギーを取り出すことができると思うが、フリーエネルギー―の根本原理を理解しているのは、やはり飯島先生だと思う。

色々な発見からのフリーエネルギーはたくさん出てくるだろうが、原理をちゃんとわかっていると、応用が効くようになる。

多くの人が誤解しているのは、本当は、今でも、昔も、これからも、すべては、フリーエネルギーで動いていたということ。

ガソリンで動いているように見える車も、電気で動いているように見える電車も、食物のエネルギーで動いていると見える人間も、そうではなく、本当はフリーエネルギーによって動いているのだ。

エンジンが動く根本の原理は圧の差によるもので、原理的には最初の爆発さえ人為的な方法によって動かせば、次の爆発からは圧の差がエネルギーを吸引して動くようになるという。

人間も一日の行動をエネルギー換算すると、数万カロリーに匹敵する運動をしているらしい。なのに、食べているのは、せいざい3000カロリー。

人間も食べ物のエネルギーによって動いているのではないということになる。

エネルギーを突き詰めると、意識となる。意識からしかエネルギーは訪れない。意識が途絶えると気絶して倒れるから、確かにそうだともいえる。

意識がおかしい人はどうしてもおかしなエネルギーを集めてしまう。おかしなエネルギーを集めるから、生き方も起こることもおかしくなっていく。

食べることも、一見エネルギーの補給に見えるし、実際にそうなのだが、食べた後はなぜか疲れる。食べ過ぎると免疫が下がるのか、風邪などひきやすくなる。

要は意識がどちらに向くか、、、ということでもある。食べ物は物質。物質化したものは、すでに結果物なので、それ自体には力がない、、、とフリーエネルギー的には考える。

逆に形のないもの、物質でないものとのかかわりは、意識によってしかできない。意識がエネルギーをもたらすのだから、エネルギーは形のないものからしか訪れないことになるのだ。

あそこに行こう、、、と思わなければ、絶対誰もそこにはいかない。

そんなに行きたくない場所であるにせよ、絶対に行かない、、、と思っていたら、やはり行かない。

意識しか行動を生みださない。エネルギーも同じなのだ。意識が所属する世界は無の世界だ。エネルギーは無からしかやってこないのだ。

音叉現象、チューナーで体調が良くなったり、意識が変化しやすくなるのは、音だからエネルギーを持たないものだという点がある。

人に本当のエネルギーを与えるのは、無しかない。意識しかない。おなかがすいているときに食べたトン汁の思いでは、トン汁そのものより、トン汁を作ってくれた、与えてくれた人に対する感謝なのだ。

本当の栄養は意識にしかない。無で私たちは活かされているというのが、フリーエネルギー論の根本になくてはならないし、事実だと思っている。

そうでなければ、高度なUFOも飛ばせないと思うし、安全な科学の時代を築けないだろう。

東大出や官僚の人は、そうしたことが苦手だ。よく理解できない。形あるものしかわからない。形ないものに真実の力があると知らないから、ずるいことも、悪いことも、自分だけよければいい、、、ということができてしまう。

形にないものに本当の力があることを知っていたら、日頃の考え、日頃の意識を無視できなくなる。わかっていないから、悪いことができるのだ。

先日、夢セミナーを終えたが、夢解釈でもっとも重要なことは、夢はこの世での自分を良くするためとか、得するために見るのではない。

そんな小さなものではなく、夢の方が実態であり、現実はすでに結果の世界なので、何の力もない、、、という位置づけが重要なのだ。

少女が大人になっていくとき、生理が始まり、体が変わり、心理的にも不安定になることがある。

夢で、ひとつづつの駅をきちんと通過している夢を少女時代に見ることが多いが、それは、少女が女性に成長していくさまが、ちゃんとうまくいっている、、、という意味と解釈される。

しかし、本当は逆なのだ。そうした夢を見たから、少女はちゃんと成長していくことになるのだ。

夢の方に力があるのだ。夢は意識そのものの世界だから、そこには力がある。エネルギーを持っている。まず夢で起きたことが次に現実になるという順番が本当は正しいのです。

逆はない。しかしほとんどの人がこの世に意味があると思っているから間違いを犯す。逆に考える。

この世の姿には、実はあまり意味はない。なぜなら、それは過去に属するものだから。

私たちは、まず、夢に働きかけ、夢が動けば、現実がきっと訪れる。この順番がわかれば、現世に、現実にそんなに落胆する必要がないことがわかるだろう。

間違った考え方、、、間違った意識が、、、逆にいかに怖いか、、、

夢の中にも、たくさんの友達が本当はいる。しかし、私たちの孤立意識、、、現実意識がそれを閉ざし、この世しかないという苛立った思いが、本当の夢の中の仲間や可能性をクローズしてしまう。

作用と反作用の法則は神の法則だから、こればかりはゆがめられない。作用がない限り、神の扉は開かない。

叩け、さらば与えられ、、、というように、叩かないと、作用しないとあちらも閉じられたままとなる。

たくさんいる夢の友達、恋人、お金、健康、、、に出合うことなく、この世の不幸を嘆く私たち。

順番が間違っているのです。まず、あちらへの作用。その乗り物は意識でありときに感情です。

やさしい感情を抱くことで、あちらの扉を叩くことができたオルフェイス。冥界のプルトでさえ涙させた琴の名手。

金積んでも、食事積んでも、あちらの扉は開けない。形ないものだけが通用する世界。

物質にしか価値がないと教える今の世は、貧しく、間違っているのです。