頭と腹
現代の構図には色々な捕らえ方があるとは思うが、物と命とも、知と情とも言える。その二つが争いあっている。どちらも必要な力であるが、物質偏向、知偏向が最大限にまで進み、命と情をおびやかしているということだ。知が進むことはよいことだが、それですべてを割り切り、すべてを飲み込むつもりでも、限界がある。限界というよりも、命のもとを飲みこむことなどできない。知は最終的に狂気に至り、すべての命を殺してしまう性格を持っている。韓国の大学受験の様子がテレビで流れたが、まあ、ものすごい注目度であり、試験会場に遅れた人はパトカーが送り届けるという具合。それはそれでいいのかもしれないが、どなたかの母親が危篤の際に病院にはパトカーは行ってくれるのかどうか、、、なんだか心配になってくる。そんなことよりも試験が大事か、、、と嫌味を考えたくなる学力偏重の姿勢。日本でも東大を出て政府機関に入り、そこで一般庶民とは違うという気持ちが維持できたとしたら、自分らを特権階級と思うようになっていくのだろう。知には全体を捕らえる頭の良さはないので、どうしてもおかしな頭のよさになっていく。そこに特権意識が加わったらどうなるか。考えても恐ろしいことが起こる。そして日本では実際に起きた。原発を取り巻く一連の状況は、まさに特権階級の知が起こしたことである。その対処を見ると、まあ、凄い馬鹿ぶりを発揮している。
この後に及んでまだ原発再開などを目指しているのは、物、、すなわち既得権益が絡んでのものだが、それを正当化させるために、色々な論法を持ってくる。原発の安全性についての論法には恐れ入った。原発事故が起こる確率を一万年に一度という計算は一体どこから出てくるのか。すでに何回起こしている、、、現実は関係なく、一定の確率計算を重視している。これまで起きたことがおかしなことで、本来は起きなかった、、、という計算を主体に考えている。要するに知は狂気にいたる例ともなるが、批判を気にしたのか、最大では500年に一度の割で起こると言い出した。何が500年か。すでに三回も起きている。福島だけでも4機だから4回分で数えたら、チェルノブイリ、スリーマイルズと、合計6機だろう。政府の計算はこういうことらしい。一基が稼動する年数を一基分で計算する。すると一基が40年稼動すると、40年となり、10期が40年稼動すると400年となるわけ。そうなると日本では50基がすでに稼動したこととなり、1500年分くらいは稼動していて、わずか今回の事故しか起きてないので、そういうらしい。面白い計算である。ならばこれからも1500年稼動分でまた事故が起きるといわねばならないが、その点は避けて言わない。政府の公式計算によれば、500年に一度ということは、実際の500年ではなく、原発総稼動分の500年に一度であり、総稼動分の500年とは、世界で考えれば、わずか数年に一度のこととなる。原発は数年に一度爆発事故を起こしてもおかしくないことになるのだが、数字認識を使いわけることでごまかそうとしている。インチキ計算である。知の目標はどうしてもこのようにインチキにいたる特徴がある。なぜなら、知は補正的な人間の能力だから、それは主流ではなくて命のために使われる目的としてある。なので、補正的なもの自体が絶対化を狙うと大きな部分を包括することはできなくなるため、最終的にはインチキにいたるか、狂気にいたる道しかなくなる。知は命あってのものなのである。そのことを知らない秀才たちをたくさん作り出し、そうしたものが上に至る国家や企業や集団を人間は作ってしまった。なので、それが命を食える範囲で成長しているうちはそれでもうまく行っているように見えるが、命をこれ以上侵食していくと全体が死んでしまう状況になると、そうは言っていられなくなる。原発のもたらす状況は日本と世界の命に対する挑戦としての性格を持っているので、ある意味、根本闘争の様相を呈してくる。知と情、物質と精神、要するに頭と腹の戦いということだ。
最後には命が負けたらすべてが終わりなのだから命と腹が勝つ以外に道はないのだが、知の勢力が死ねばもろともとなり、狂気の様相をこれから出してくるかもしれない。今回の原発対応にしても、もう見えてきたと思うが、まあひどいものである。爆発した原発の模様を私たちは何度もテレビで見たが、福島の人は見ていなかったという。福島のテレビではあのときの様子がテレビに映らなかったのだろうか、、、とすればこれはれっきとした犯罪にはならないのだろうか。あたかもまだ原発は大丈夫という印象を与えて、福島県民を安心させ、死の灰が降る町を歩かせ、避難させたことになる。そしてそうしたことに対する責めを誰が受けるわけでもなく、こんな大きな犯罪性があるかもしれない事柄に警察が調査すらしない。一体どうなっているのだろう。問題は福島のみではもうない。三号機が爆発したということは、プルトニウム、ストロンチウムがぶっとんでいることを示す。プルトニウムは重たいので飛ばない、、、と言ったその直後に、どこかでプルトニウムが発見されると、今度はこれは昔のビキニ環礁でのものだと言い出す。プルトニウムは飛ばないのではないのか。ビキニだけからは飛んでくるのだろうか。というわけで、日本のいたるところにプルトニウムもストロンチウムも飛んでいると思ったほうがベター。要するにおそらく国民の半数以上はすでに被爆していると思う。また、福島の瓦礫をなぜか日本国中で焼却するということなので、セシウムが600数十度で気化するらしいから、これで全国セシウム汚染が達成されることになる。さらに、福島安全宣言により食料による内部被爆が日本にて進行していく。これも何が誰がどういってももう事実ではないか。脅かす必要はないとか、混乱を招く必要はないとか言う問題ではない。それはもうすでに散々やってきて、事態はここまできてしまったのだろうが。しかしなんでこんな最悪のことをやるのか、なんだかやり方が一貫してはいないだろうか。結果的に被害を大きくすることになってはいないだろうか。最大の効果を狙ったやり方だと思われても仕方ないようなやり方ではないだろうか。戦争がなぜ起こるのか、、、も同様で、それをやると儲かるところがあるから、というのが実は答えなのだから、今の知による世界運営方法は、実は、不幸な人をつくることで運営されていくシステムがあると、そろそろ、多くの人が気づいたほうがいいのではと思う。まさか、、、と思うかもしれないが、それは情でもって考える一般のよい人だからである。そろそろ福島の人はおそらく気づいていると思う。これはなんだかおかしいよ、、、私たちは、わざと苦しめられているよ、、、と。そして福島の人の次は、そう、日本人なのだ。だから言っている。戦前に731部隊という恐ろしい細菌部隊があったというが、なぜかアメリカに許されたというおかしな部隊だった。一種の実験部隊であり、人間実験部隊というもっとも情から遠いところに位置する目的を持っていたが、今はまさに日本が実験されている。日本人総実験状態。731をプラスするといくつになるかは数字遊びにしか過ぎないが、なんであれ、戦争して儲ける、、人を苦しめて儲ける、、、人を対立させて儲ける、、、悲劇をばら撒いて儲ける、、、というのは、もう最大の効果を挙げたのだから、これを最後にやめてもらいたいところだ。命を守る神様も必ず終結をはじめることだろう。命の危機は経済の危機などとは桁違いの大きさ。これに早く気づかないと、神様としても、どんどん人を追い詰めるしかなくなる。それはいじめているのではなくて、仕方ないから。もう何もいりません、、命だけは助けて、、、というところまで行かないと、気づけなければそうなるしかなくなる。なので、命を守ろうとして孤立しているまず女性がどこかからまとまっていかないだろうか。大きな力になってはくれないだろうか。とにかくもう男にまかせていたらだめだ。命の危機を感じている一般女性を誰か、政治的なものではなくて、まとめてほしい。権力にうつつを抜かし、それを得て得意になるような男の相手など、絶対にしないと、心ある女性は思ってほしい。東電社員など、最初は「やっちゃったよ、、、」なんて感じで悪びることもなく銀座で飲もうとしたら、なんだか、本気で自分のほうに怒りがくるのを感じて、もう東電だと飲み屋でも言えなくなってしまった、、、ということらしい。これまでは東電といえば、ホステスも安心して持ち上げてくれたというのに、この変化は何かと、いまさらながらに気づくとは、特権意識のおろかさでもあるが、まあ、どうでもいい話ですね。何であれ、自分の世俗的立場を守るために命を軽視したり、命の観点から物事を考え実行使用としている人を悪く言ったら、自分が墓堀させられていると思ったほうがよい。そう、自分の墓をです。ここはもう金儲けを考えても、権力の維持を考えても、もうそうしたベクトルで世の中は動かなくなりつつあるので、本当の安心策は、実は命を守ること、共通する命である自然、そして情による人間社会を復活させること以外にはありません。よおく考えると、何が一番得するか、、、どうか近欲で考えるのではなく、本当に何が一番得かを考えたら、すでにそうなっていますよ。マスコミの方々、、、検察の方々、、、法曹界の方々、、、、企業家の方々、、、何が本当に一番得か、、、ここは考えを間違えてはいけないときになっていると思います。