カダフィ論議
先日、私が書いたカダフィの物語の賛否両論たくさんいただいた。私自身、カダフィはややおかしな人だとは思っているが、マスコミの一方的な意見や考えには大反対なので、書いた次第。ただし内容は事実に沿っているので、ウソではありません。カダフィは従来の国家のイメージを大幅に書き変えた、一種の英雄であることは間違いない。国民のことを思い、そのための政策を実行した。なので、あの人気はこちら側で言っているようなものと違って本当の人気であった。とくに凄いのはリビアのお金は政府紙幣であり、日本もアメリカもどの先進国も、自国の政府紙幣を使えない。このおかしさを、この確信的部分をカダフィはよく理解し、お前ら、、、おかしいぞ、と、おかしなことを正直に言い、実行した数すくない英雄であった。アメリカも日本も自分の国の金を作れない。中央銀行という株式会社の許す範囲でお金を作ってもらい、それを利子をつけて返済するシステムとなっている。どの国も。 なので、この世の支配者は、国でも大統領でもなく、お金を作れる人にある。本当の国の自由を欲しければ、自国の政府通貨を出すことが独立の大前提だが、誰もそれをできない。しようとしたリンカーンもケネディもみんな殺されてしまった。そしてカダフィも殺された。カダフィを悪く言い、そのイメージを決定的にするには、長年のマスコミの戦略があり、私たちはまんまとそれに乗ってしまったのである。なので、カダフィをおかしな人物であり、悪人であり、どうしようもなく、民衆から嫌われ、殺されて当然、、、と、そうおもっていた人は、申し訳ないが、完全にマスコミに意識操作をされていたことになる。
英雄の条件には色々とあるが、最後に、もっとも低俗な存在によって裏切られ、殺される、、、という条件がある。カダフィはその最後の条件を備えたので、これはアラブの盟主となっていずれ復活することになる。すでにどの王族も欧米の汚れに染まり、本音の部分では民主うを裏切っていることを、民衆は気づき始めている。それに対し、見事、最後まで敵とつるむことなく戦い、最後を遂げたカダフィとイラクのフセインはいずれ復活することになる。「なんで原爆を落としたアメリカなどのいいなりに日本はなっているのだ、、」純粋なカダフィには、その理由はわからなかったのだろう。
ただ、カダフィはアラブの盟主になりうるということであって、私自身がカダフィを好きなわけではない。日本はもっと違った選択と違った時代を作るべきだと思っている。カダフィの死はあくまで男原理の中での出来事としての一種の見事さであって、日本は第三の道を探していくべきだと思う。
カダフィのイメージダウンに大きな力を与えてのが、カダフィの親衛隊の女性たちだ。欧米の上位者なども女性関係はひどいものだが、ただ姿を現さない、、、見せない、、、というだけの話し。カダフィはそうではなかった。数百人の女性に囲まれ、とにかく華やかな印象だった。欧米のマスコミはここぞとばかり取り上げ、一種の色狂いのような印象づくりを測った。これにバカな男や女は乗ってしまう。もてない男は嫉妬のかたまりとなってカダフィを憎く思う。実は男の嫉妬ほど怖いものはなく、官僚制度を支えている一番の本当の理由は男の嫉妬にある。ルサンチマンである。そこを克服し、意識化したものにしか、カダフィの本当の姿は伝わらない。いい女を追いかけたいが、どうせだれも相手になどしてもらえない、、、という意識のレベルの男性には、カダフィは色狂いにしか見えないという道理である。カダフィにしろ金正日にしろ、実際のところは、女に囲まれた幸福などという代物ではなく、女性親衛隊らの婿選びやお祝いや世話にけっこう大変な思いをしているというのが、実際のところではないだろうか。毎晩、はべらせてひとりだけいい思いしやがって、、、というのとは、まったく違うのではないか。かように、男というものは、男に嫉妬する。また、性的あきらめから来る女性たちも、ここぞとばかり男性攻撃のスケープゴードとしてこうした者を利用する。欧米のマスコミ戦略に長けた者たちは、それをうまく利用して、民衆を動かす。カダフィを悪くするのは、とくに簡単だったのだろう。マスコミが何を言ったかでなく、実際にカダフィは何を自国でしてきたか、、、をどなたも一度調べてみるとよいと思う。そして知らぬ間に印象操作されている我々をもう一度見直してみること。そういえば、民主党も最初は本気で国民のための政治をやろうとしたから、マスコミが叩きだしたのだろうなあ、、、、とか、段々と見えてくることがあると思う。そうでもしないと、いま、我々がやっていることは、実は、自分らの墓を掘らされている、、、ということに気づくかもしれない。墓に入ってしまってからでは遅いので、せめて墓を掘らされているうちに、気づいたほうがいいのではないか、と老婆心ながら思う。