どちらがお得?

原因の世界に生きるか、結果の世界を生きるか、どちらが得だろう。実は答えは見えている。本当はすべての人が原因の世界にいるのだ。どんな生涯を送るのも、また、どんな状況を招くのも、すべて原因あってのものである。しかし、ついつい、私たちはそのことを忘れ、あたかも自分を取り巻く物事が外部から訪れていると勘違いしてしまう。そのため、目標とするものが、外界への働きかけとなっていく。しかし、あらゆるものが内的原因がもたらした結果だと思えば、外界への働きかけへの限界がわかるし、内的原因を新たに作ることで外界を変化させたほうが早いし、本質的であることを知る。流行した引き寄せの法則などは、そのことを利用しているのだが、これはこれでまた新たな迷盲の入り口になりかねない。良いことを思えばよいことが起こり、悪いことを思えば悪いことが起こると、以前にはそうした心の法則が流行した。引き寄せにしろ、良いことを思えば、、にしろ、それは事実ではあるが、実際は違ってくるケースが多くなる。まず、すでに良いことを、、、良いものを引き寄せたい、、、と無意識に人はこうした法則の前提にとついつい立ってしまう。本当の法則は、もっとフラットで、人間の良い悪いには関係なく、原因が結果よりも先にあるということに他ならない。なぜ、引き寄せにしろ、ポジティブシンキングにしろ、限界が出てくるのかの原因もそこにある。なぜか私はことあるごとにポジティブシンキングを唱える人に、性格の暗さを感じることが多かったのも、これである。何かと言うと、ポジティブに考えようとするその姿勢に、実は不安が隠されているというケースが多いからだ。恋人と別れそうな危機を抱いた人が、いくら「別れない別れない。一生一緒にいる」と何百回唱えたところで、おそらく二人はダメになると私は思う。なぜなら、本人はポジティブに唱えているとは思っているだろうが、唱えるたびに隠された不安を刺激している。心は本当の動機をかなえるので、残念な結果になってしまう。ちょっと考えて見ればすぐにわかることだが、不安があまりに強いと、かえってそれを見ることも認めることもできなくなる。そしてバカのひとつ覚えのように、「別れない。楽しい。愛されている。」などと唱え、かえっておかしなことを招いてしまう。じゃ、どうすればいいのか、、、と質問が出てくると思うが、これについては、この数十年の間に何回か語らせていただいているが、現実を変えるには、まず、正直なところの立脚点を探す必要がある。不安があれば、その不安を認め、不安を許す。それによって、少なくとも脅迫的な形にならないで済む。なぜ、現実の正直な立脚点に立たなくてはならないか、というのは、現実でなければ原因になり得ないからである。現実のみが原因になり得ると言うほうが正しいだろう。外界は結果の世界であって、実は現実の結果であり、原因と結果の間のタイムラグがある期間だけ存在している、はかないものなのだ。真の原因のみが現実を招くとわかれば、ウソの原因は現実化(この世化)しないことがわかる。そのため、いくら願望を言っても、その願望の動機にウソがあれば現実化しない。原因となり得るものは、真の動機のみ。その真の動機を知り、その動機になりきっておれば、物事は思った通りにすすむはず。はず、というのは、私もそんなに偉そうに言えないからだが、結構苦労が多いので。まあ、それでも思ったことが現実化するケースは多いから、それなりには、わかっている部分があるのだろう。一応、苦労しながらも自分の人生に不平を感じたり、退屈を感じることもなかったので、そうなのでしょう。まあ、自分のことはおいておいて。
 では、恋人を引きとめるにはどうしたらいいのか。
それには正直になる以外にない。たとえば、「私はいま不安を抱いている。それはあの人が私から去って行くかもしれない恐怖だ。そのことを考えると、私は平常ではいられない。なので、心の奥についつい追いこんで隠してしまう。しかし本当はそのことを恐れている。不安で苦しいが、私はそのことを認めよう。そして、もしかしたら、あの人が自分の元から去って行くかもしれない不幸な未来をも、受け入れよう。しかし、その上で私は願う。そんなことがないように。きっと神が私たちを守ってくれるようにと、私は心から願う。不安はあるが、それでも私は自分の未来を信じよう。弱い私を受け入れつつ、あの人との幸せな未来を信じよう。不安をごまかさず、受け入れた私は、自信を持って次の言葉を語ることができる。ああ、愛しています、、、愛しています。そして愛が永遠に所属していることを、私は知っています。不安でもいいのです。私はあの人を愛しています。あの人は私に必要な人なのです。」と、まずい文章だが、こんなのはどうだろう。自分の不安を否定することなく、永遠の愛を願う真実も受け入れる。この構造は、不安を受け入れたからこそ出てきた事実であって、小手先の口先の「別れない、別れない」などとは、違う次元に立っている。原因の世界に生きるとはこうしたことなのだ。原因を作る。原因に生きる。自主的とはそのことであって、ぜひ色々なことで試してみてください。
 その際に、一番わかりやすいのは、とにかく、本当の動機が実現するので、本当の動機をポジティブにすることが大切になる。具体性のある望みや欲求は、これが実は難しい。あの人よりも金持ちになりたい、、、という具体的な望みは、あの人より貧しくなることには耐えられないという不安を意味してしまうので、必ず言っていいほど、あの人よりも貧しくなることを実現する。具体的な欲求や望みにはこうしたケースが圧倒的に多いため、下手に引き寄せやポジティブシンキングをするとやぶへびになりやすい。そこで、安全なポジティブシンキングというか、シンキングではなく、態度としてすすめるのが、以下のこと。
 なんでもいいので、心に不安がよぎったとき、心が暗く感じた時、習慣的に、「ああ、よかった。」と言って、大きなため息をついて安心感を味わう。何が良かったのか、よくわからなくてもまったくかまわない。心の不安がなくなってよかった、、、と言う原因作りができる。ふっと不安を感じたり、、、暗い気持ちになったり、、、そんな時に、何も期待せず、ただただ、「ああよかった、、、」と言って、大きくため息や息をつく。それだけでいい。ただ黙って南無阿弥陀仏を唱えれば、、、というのも、そんな意味も多少はあったのかもしれない。具体的な目標をポジティブシンキングする危険よりもずっと安心。ただ、なんだか、ピンとこないな、、、と感じたらやる必要はありません。何であれ、原因の世界に生きることを態度の中に持ちましょう。

25日に行われる、お寺でまったり「人生相談&ゲーム大会」は、定員に達しました。ご応募ありがとうございました。場所などの詳細はメールにて直接お送りいたします。お会いできるのを楽しみにしております。