クリスマス
イエスが生まれた日が12月25日ではないが、冬至のお祭りなどと重なったのだろうか、クリスマスは12月25日ということになっている。イエスの誕生を祝うクリスマスの意味は、救い主が現れたという喜びではなく、すでに人類はイエスの出現によって救われている、、、というのが本当の意味。救い主誕生を祝うより、すでに人間は救われている、そのお祝いがクリスマス。ひるがえってみると、私たちの不幸は一体どこからやってくるのだろう。それはありもしない幻想体系の中にある不安や恐怖からやってくる。保険会社がなぜ大きくなったのか。それは人間が不安をいだいてくれるためである。なぜよい学校に入りたがるのか、なぜよい会社に就職したがるのか、、、好きな学校ではいけないのか、好きな仕事ではいけないのか。好きだからやる、よりも、将来の安心を求めて人は動く。そうした生き方は、人間はまだ救われてない、、、という前時代の考えとかたちがもたらすもの。しかし、クリスマスの意味は、すでに人間は救われたお祝いであると言う。確かに福音というとらえ方なのだから、すでに救われている、、、これから救われるのではなく、すでに本当は救われている。私たちを縛りあげていた縄はすでに解かれている、、、ただ、まだそのことを人間が認めず、理解していないだけ。そのため、私たちは不安や恐怖によって動かされる。そして、社会を動かす立場の人は、人間が恐れ、恐怖し、そのことでマインドコントロールができることを画策し、見事に成功している。まだ救われてないと思えば、間違いがないように、冒険しないように、とにかく不安のない生き方を求め、そしてつかまえられる。しかしそれは事実とは違う。すでに救われているという福音がイエスの答え。凄いことではないか。この人生観の違いが人生の方向を大きく変えてしまう。人類は不安を植えこまれ、それを刺激され、いいように扱われてきた。人類が縄目から解き放たれているとしれば、未来に怖いものはない。すでにない縄にまだしばられている私たち。この認識の違いにどこで気がつくか。それがクリスマスの意味だと思ったら面白い。
メリークリスマスとは、あなたは、本当はすでに救われているのですよ、、、というお祝い。すでに救われているのに、なぜ悲しい顔をするの、、、なぜ怒るの、、、なぜ不安になるの、、、勘違いだから自分の人生がもてない、つくれない。何も心配がなければ、好きなことをやればいい。好きにすすめばいい。表現したいことを黙ってやればいい。ただそれだけ。このことを知らせるメリークリスマス。メリークリスマス。メリークリスマス。何度でもいいたくなりますね。将来の不安にエネルギーを注ぐ必要なし。そうするとあなたの人生を奪われます。そう、これっぽちのお金や安全神話をもらうかわりに、あなたという人間がこの世に存在した実在感は消えていく。これでは大損。安心、安全を求めて大損。それではやりきれないので、今の人類は老齢に行くほど、どうにもならなく不機嫌になっていく人が多くなる。
きょうはクリスマス。すでにあなたは救われている。何をやっても、どう生きてもオーケー。イエス様が保証してくれている、それがクリスマス。
教会は、我らを救い給え、、、とウソをつく。すでに救われているのが福音でしょうが。人類はだまされましたね。