虹の瞑想法
今月の9日10日と、地方のスタジオに行き、「虹の瞑想法」の録音。虹の瞑想法はもう何年前になるのだろう。おそらく27年ほど前だと思うが、ラピスクラブというラピスラズリのペンダントを売る会員向けに作ったものだった。それが大変な人気になり、おそらく50万人ぐらいが私の虹の瞑想法を聞いてくれた計算だ。
ある日、ふっとこの虹の瞑想法のことを思いだした。そしてなぜかもう一度トライしたいと思ったが、原盤も何もない。すると翌日、不思議なことに、ニッポン放送に行った帰り道、私は銀座でとある美人に声をかけられる。「愛先生ですか、、」「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし、、、」と答えたかったが、そうはいかない。「はい。」と素直におこたえすると、長年のファンの方らしい。「今でも毎晩、虹の瞑想法を聞いています」とのご返事。私はさっそく、「実は今、その虹の瞑想法を探していたのです、、、お貸し願えませんか」と図々しいお願いをしたら、快く「わかりました。お送りします」ということになり、送られてきたものを元にして、今回の新たな再録となった次第。意外に声が若い時代と変わっていなかったが、今は、声や音に対する新しい発見や考え、そしてそれを実際に出す研究をしているので、自分的には可能性がある新虹の瞑想法になると思う。
音の世界の追求には可能性があると思う。マントラにしても祝詞もそして呪文などもあるが、これまではそれらの意味あいや言葉自体に一般的に関心が高かった。しかし私はそれだけでは以前から腑に落ちない気がしていて、内容も大切だが、それよりも、声自体が大切なのではないか、、、と思っていた。ことに母音はわずか五音しかないが、ひふみなどでは「御恩」となっている。そう、生命発声としての五音はまさに御恩になるはずである。それは思いのある音でなければならず、母の出す声に反応する動物の子供などは母音の五音が御恩であることをわかっていると思う。命ある声というか、人間には古代の声と言われるようなものがありはしないか。デジタル反応に慣れ親しんだところからは発せられない、非日常の古代の声のようなものがきっとある。条件的にはそこに倍音や高周波が関係すると言えると思うが、どうもそれだけでもない。遺伝子に働きかける、遺伝子を刺激する音がきっとある。また、外界と瞬時につながる情報系列としての音がきっとある。意味伝達とは違って。
今回の虹の瞑想法がどうなるかは分からないが、虹の瞑想に限らず、今回は 大祓祝詞や一二三祝詞、数歌、そして母音発声なども収録するつもりだ。表現欲求を捨て、意味伝達を捨て、音声そのものによる遺伝子レベルの音声伝達を目指してこれをやってみたい。最近、日記の横にあるポッドキャストの更新がないとのお叱りを受けたので、これらの音声はできるだけ発表させていただく予定。私は個人的には、ひふみ神示となぜか昔からご縁があるので、あえて意味解釈をまじえず、声伝達の機能になりきって、ひふみ神示も詠んでみたい。どんな声がしてくるか楽しみであるが、不要と判断されたらおそらく声が出なくなったりするだろう。その昔、音声周波数や倍音についての世界的権威である大橋勉先生から、「やたらにホーミーのような発声をすると死にますよ」と言われたことがある。声の世界は確かに怖い世界でもある。それだけ非日常の声には色々なスイッチがあるということでもあるが、音を出す際の姿勢がやはり大切になる。倍音発声を研究していたころ、どうにもならなくなるほどの頭の不調を感じたことがあった。このまま行くと、本当に死ぬな、、、という実感だった。倍音は頭がい骨をふるわせるが、そこが緊張していると危険。緊張は対立を生むので、本来何かと一体となるべき音とは論理的に相いれない。それを無理に出すとどうなるか、、ということである。答えは無になる以外にない。無になれば自身が楽器となる。風が吹き抜ける笛。古代の声の響きは私たちの遺伝子の中にきっと記憶されているはずだ。
関係ないのですが、私のオフィスのアルバイトさんと言ってももう、かなり古いバイトの方で、ときどきお世話になってる人がいて、その人がご自身の本を出版された。「バイトの色」 14の仕事が教えてくれた大切なこと、という副題が付いている。文芸社刊 高松梢華著
1155円。私のところで働いたことも書かれているということなので、今夜読むことに。「あそこは最悪だった、、」なんて、書かれてたら困っちゃうけど。ありそうでないアルバイトエッセイ、、、ぜひ読んでみてね。
写真はバイトの色です。きれいな本でした。