ツイッターはじめたけど、、、

ツイッターを始めたけど、飲み込みが悪くてよくわからない。フォローしてくれる人はまだ二人だけど、ありがとうございました。よろしくお願いします。
 さて、昨年から現在まで、日本も世界も株価は持ち直しており、株式崩壊、金融崩壊を予知した私を含めて多くの予想がはずれた。そして多くの人は景気が回復基調にあり、サブプライム問題は峠を越えた、、、と思っていると思う。だがそれはディスインフォメーションである。サブプライム問題は峠を越えられない問題なのだ。飛ばしなどで負債を隠すことはできるが、サブプライム問題の基本の構造は何も変化しておらず、かえって壮大な危機が近づいている。当初予知したように、不良債権をFRBが買い込んだ。企業救済をしたのはいいが、ここに来てもうこれ以上は不良債権の買い取りができない、、という段階に至った。もうおしまいである。大企業は助けた。しかし助けたくない他の企業はこれでジエンドが待っている。構造がだんだんとわかってきた。相場なので実は儲けた人が必ずいるはずだが、表に出てこない。FRBが救済した企業は両建てという形にある程度なっていたはずで、莫大な利益は隠し、莫大な損失分はFRBを通して国に支払わせた。国が支払う金はもちろん税金である。そしてFRBのバランスシートは極端に悪化し、もしも買い取った不良債権に実際値がついたとしたなら、アメリカ国民が数百年働いても返済しきれない額の負債が確定する。レバレッジが効いてるのだからそうなる。京単位の負債である。あまりに露骨ですごすぎるインチキである。民衆がこれほど馬鹿にされたことは、歴史始まってこれ以上のものはないのではないか。企業は儲けは温存して巨額の負債分を国に支払義務を負わせ、ついに逃げおせた。つるんでいなくてはできない芸当である。国と国民をつぶして企業が勝った。それも選ばれた数少ない企業である。冥王星が山羊座に入った怖さはまさにこれであった。それが実現している。20世紀の最終のまとめとして、最後の勝者は残った大企業だったのである。要するにそれらを運営する銀行家だ。それもわずか一握りの銀行家。FRBもアメリカという国すらも乗り物として利用し、すべてのツケを国民に押し付ける形で勝った。アメリカ国民はこのままいけば、数百年の間、奴隷と同じ境遇になるかもしれない。日本人のように黙って奴隷になどならないだろうから、気の毒が起こるのだろう。一切の負債に徳政令を出せば方向は変わってくるが、それはかなりあとになってからのことで、その前に支配体制は確定していよう。アメリカのFRBが保持し、フォートノックスに大切にしまわれていたはずの400オンス単位の金塊が実はタングステンに金メッキしたものだった、、、と中国がいい、金塊の受取を拒否したというニュースが入った。凄い話しである。アメリカにはもう金はないのかもしれない。私はかねてからその危険があると思っていたが、本当にそうだったとなるとかなり怖い話しである。景気が上向いているとかいうレベルの話しではない。もっと本質的な危機の問題を確実にごまかそうとしている。マスコミも政府も企業も。いま見えてきたことはそんなレベルの小さなことではない。重大すぎて誰も咀嚼できないため何事もないように思えるだけである。この世の支配者が変わったということだ。わかっている人にとっては、国家も一部の勢力によって動かされる、、、ということはとうの昔からわかっていたが、国家の力を完全にそいで上にたった者がいるというと、かなり怪しい話しと思われるだろうが、形の上ではそうなっていると思う。マネーが負けた以上、金塊を集めた者が次の王様なのだ。価値の保全がマネーによってできなければそうなる。マネーの衰退は国家幻想の終焉と同じ。王様が変わったのである。なので時代も変わる。ただこれまでの勝ち方と異なるのは、はたして、本当の覇者になれるのかどうかはわからない。なぜならシステムの覇者であり勝者がいることは間違いないが、あらゆるシステムの無力化の時代が始まるから、システムの覇者が本当の勝者になれるかどうかは疑わしい。シンプルな生活に戻り、シンプルな生活から得る喜びを構築し、文化的な喜びが渦巻いていけば、新システムがどうであれ、勝者も敗者もいない世が訪れる。人よりも優位に立ちたいと思う気持ち、価値の保全を願う気持ちやステータスを求めることから、ゴールドが価値の保全作用として利用される。人々がシンプルな生活を愛し、そこに自己実現の文化的喜びを求めることが主体となれば、ゴールドは単なる装飾品として愛されるだけとなる。結局は人の欲や羨望、優位に立ちたいという自己喪失感の埋め合わせの心理が、この世の支配者を作り、その存在を許すことになるわけだ。新王者は次にどういうシステムで世界と人々を支配しようとしているのかはわからないが、アメリカでは強制収容所的な方向も考えられる。しかし、強制収容所化すれば当初は永久支配が可能になるかのように思えるだろうが、やがて気力を失った奴隷層と勝者との間に存在理由の隔絶が起こり、それによって支配層自体の存在の理由も失われるため、この絶対支配構造は実はすぐに幻想に化していく。やってみればわかる。ごく少ない一部の勝者と大多数の敗者の構造はそんなに長く続かない。なぜなら羨望や支配への憧れが大多数でなければ、一部の勝者自体が存続できない。両者は裏表の関係なので、勝者は大多数の羨望によってその存在が保たれるからだ。なので永久支配は実は幻想なのだ。とはいえ、人類がここまで明解に負けたことは歴史上なかった事態である。救われるためには金や羨望、不安や恐怖、、などで動くことをやめ、シンプルな生活と自己実現をはかることへ、考えと行動を変化させることに尽きる。それができるまで、私たちは支配されるかもしれない。とくにアメリカは羨望社会だったので、価値観を変えることが難しくなると一時的に強制収容所現象が起こる可能性は高い。