メリークリスマス!メリークリスマスって何?

クリスマスはイエスが誕生したことを祝う日であることはすべての人が知っていますが、実際のイエスの誕生日とは違い、冬至のお祭りと一体化したもののようです。

クリスマスとは、救い主がお生まれになったことを祝う、、、、と思われていますが、本当はそうではなく、すでに私たちが救われたことを祝う日なんです。すでに救われている、、、、こういうと、こんなにひどい世界なのに、こんなに不公平な世の中なのに、、、ちっとも救われてないじゃない、、、とのご意見が当然出てくると思います。

しかし、不公平でも何でもなく、救われているのは事実なのです。ただし、それに気づくか気づかないかの違いは大きく、実際に気づかない人が多いのも事実です。

気づくとは何か、、、となりますが、すべてが逆転していることに気づくことが福音なのです。

わかりやすく言うと、物には何の力もない、、、心や魂にだけ力がある、、、それに気づくのが福音です。

またそうなると、では困っている人を放っておけばいいのか、、、的な話しになるかもしれませんが、そういうことではなく、原理の説明をしています。物質はゼロから生じた一時的な現象で、大元は無やゼロにあります。

私たちはすでにある物を大事であり豊かさの表現のように思っていますが、すでにある物は、必ず滅びますので、それに思いを寄せる分が多くなると、私たち自身も滅びる要素が多くなるという、単純な事実だと思います。

無にしか、ゼロにしか力はないにも関わらず、私たちは滅びの象徴に目が行き、それらを満たすことが幸福であるかのように思ってしまいます。理想論で無が良い、、というのではありません。原理がそうなっているのです。

私たちはすべてを失い、貧しさ、無い世界からしか有を生み出すことはできません。ご破算に願いましては、、、、、とそろばんでは言いますが、

ご破算のあとは、何をいれても自由。何百億円なり、、、といれれば、すぐにそうなるわけで、物すらもゼロからしか生じないのです。

そのことに気づけるのが、すべてを失ったときであり、赤ちゃんはすべてをもって生まれてきます。生まれたときに何もないためです。それから嘘教育が始まり、物がすべてであるとのインチキ宗教に至るようになっているのが、今の悪い時代となります。

気づけば私たちは救われている、、、すべてを生み出せるゼロに戻れば、すべてを創造できる、、、そんなすごいのが人間だと教えてくれたのがイエスであり、福音を祝う、クリスマスです。

今夜は暖かくご家族でクリスマスを迎える人もいるでしょうし、一人寂しく迎える人もいるでしょう。クリスマスなんか、、、と気にも留めない方ももちろん大勢いらっしゃると思います。

しかしイエスの誕生には、こうしたすべての救い、無いということがすべての救いになるという絶対安寧が説かれているのです。

物はゼロから生じるので、あとは求めよさらば与えられん、、、、でよいわけで、今の世のように何も奪い取る必要もなかったのです。

ただ、物がすべてと思っている人が、その思いの強さゆえに、物を奪い取るだけ、、、しかしそれが死の道になることを知らないのです。

物は大切ですし、良いものです。しかし、それは純な無から、純なゼロから生まれてくるのです。そしてそれに気づけるときは、すべてを失ったと私たちが思ったときです。何もなくなった時に無限の扉が開く、、、私たちはまったく逆に思っているだけなのです。