みずがめ座ディナーお礼

昨日の晩に行ったみずがめ座の木星記念ディナーは盛況のうちに終了。ご出席いただいた皆様、ありがとうございました。森村あこ先生もお出ましいただき、楽しまれていたようです。フォトンベルトの著書で有名な渡辺先生もご出席され、いろいろな質問に答えておられました。私は例によって、二首ばかり披講させていただきました。一首目は、ちょっと酔いが回っていたのか、息切れがしましたが、二首目は本調子で歌えたのでよかったです。披講はちゃんとすると場の空気が変わるので、それを実際に体験されたようでした。その昔、歌会は夜中に行われることもあり、霊的なものにも歌を聞かせいたという推測ができます。高周波、倍音を伴うこうした昔の歌い方には、異質のものと調和するカギや、次元のことなるものとの対話の可能性があります。これから、高周波、倍音を含む音楽や歌の意味あいは深まっていくと思います。その時、マイク音声の限界がわかってきて、歌は生で、、という流れも出てきておかしくないと思う。本日は私のポッドキャストの収録作業があり、収録を行ってくださったH氏に、高周波の音声や倍音の歌のジャンルを、これまでのヒーリングとは異なる形で、確信犯的に考えている歌手やミュージシャンはいますか、、、と尋ねたところ、はい、マドモアゼル・愛さんです、、と冗談で返されたが、どうやらあまりいないらしい。昨晩のディナーでも今年の希望としていったが、私はそうしたジャンルを作りたい。幸いなことに、ブルーレイの時代になると技術的にも高周波や倍音が録音再生ができる。ただまだ機材的なもの、また再生機材がないという段階だから、むしろ、アナログを活用するのも手ではないかと考えている。アナログ音の再生なら、かなりの高周波が含まれるからだ。ただし、今のスピーカー自体が許容ヘルツ数を絞ってしまっているのでそこが問題か。収録と再生はともかくとして、やはり生ということになる。音は体験なので、生きた体験、マイクを通さない体験として聞くことの意味が高周波や倍音を重視すると重要性がわかってくる。いま、私自身、自分の声によるヒーリングを研究中。いずれ公表させていただきますね。
 関係ないが、昨晩のディナーの写真をアップしようとしてはたと考えてしまった。一枚もないのだ。誰一人写真をとってないと思う。あこ先生は、なんだかみずがめ座らしく決起集会みたいな感じがあるね、、、と言ったが、みなそれだけ何かに熱中していた、、、そんな印象でした。時代に取り組むこと、この時代を生きていくこと、、、みんな一生けん命な印象だった。数人の方が、なんだか仕事がしたくない、、、とおっしゃった。最近、多くの人がそういう気持ちになっている。決して怠け者でも仕事が嫌いというわけではない。何かいまやっていることが、徒労に終わるようなそんな直観があるのだと思う。従来的な金儲け的価値観で動いているものはすべて徒労に終える、、、目の前の平凡でも消えることのない日常性にくらべ、これまでの会社が行っていたことは、日常の平凡な生活を犠牲にして金に変える作業だったが、それが徒労に終えることを時代が気付きだしたのだ。凄い変化が起きていると思う。