お金が欲しいのは

なぜ人はお金を欲しがるのか、、、、理由はいろいろあるだろうが、こう考えてみるとわかりやすい。では、お金を得たとして、その時にどういう感情が満たされていたいかを見るのだ。お金を得ることで、どういう感情を満たしたいのか、、、ということである。よく老い先短いご老人が極端にお金に執着することがある。これもお金が豊かにあるということと、自分の寿命を結びつけているためだ。お金があればまだ生きていける、、、と思っているわけで、お金イコール自分が生きられる時間という錯覚なのだ。確かにお金がまったくなければ生きていけない、、、金欠イコール生きられない不安に直結するのは確かだが、あれば長く生きられるとは限らない、、、でも多くの人がそう思うようになる。それはお金は感情を満たす性格があるためだ。ホロスコープの二室はおうし座の定位置にあたる。1室が生命そのものを示す、それを直接的に補佐する二室におうし座、金運の星座がある。人間にとって、生命の保全は健康よりもお金にあるという感情が優勢ということだ。しかしそれは事実とは違う。あくまで感情レベルの話。そのためにお金を得ても幸福になれないとか、人生のほかの面での失敗などと関係してくる。お金が感情であるということは、どうしても信仰に近い面が出てくる。お金に突き動かされそうな時には、自分はお金を得ることでどういう感情、またはどういう不安をなくそうとしているのかと考えると、お金のみが人生を決めるカギではないと感じだす。お金と人間との付き合いについて、あまり語られないが、重要なことだ。アメリカ政府がファニーメイの救済に乗り出した。お金信仰によって作られたアメリカの終末現象の始まりである。金融恐慌がこれでひとまず収まると思うのは間違いで、やはりここまで行っていたのか、、、ということだ。アメリカの住宅価格が上昇に転じない限り、もう恐慌は防げない。あの手この手で最悪事態を回避させることも大事だが、お金ではない形の社会原理や社会目標がいまほど求められている時代はないと思う。