運の法則

運の法則には結構色々ある。どれもそれなりに正しいのだろうし、言えてるのだろうが、私が好きなのは次のもの。今の状況はそれほど不公平ではない。という法則。これは実はユングが言った。どういう言い方をしたかは忘れたが、今その人におきている状況や得ている立場や環境は、そんなには不公平ではない、、、という内容だ。確かに馬でもそうで、強い馬だけど、何かと不運でレース展開に恵まれないとか、レースで邪魔されて勝てない、、ということが続いても、時間がたつと結局は強い馬はオープンまで行っているものだ。人間も同じで、結局はその人相応のところにその人を持っていく、、、という。だから現況はそんなに不公平ではないと。自分の青年時代を考えてもそれは言えている気がする。私は自分が青年期に悩んだこともあり、その時は自分は不運だと思っていた。しかし今考えてみると、大体そんなもので不思議なかったと思える。物書きになりたかったが、とくに努力もしてない、自由な生き方がしたいと、就職はしなかったので、生計は不安定、、親にはうるさく言われたくなかったので家は出る、、、それで孤独や貧しさや未来への手ごたえの無い不安を感じたとしても、今考えると何も不思議なことではなく、当然だというのが分かる。理由と結果は何もおかしくなかったのだ。不運でも何でもなく、極めて因果関係ははっきりしているので、不公平ではないということだ。なのに人は期待とはずれた状況や生活が続くと、こんなはずではないと思い、自分を不運に感じたりする。原因を不運に置き換えていれば、問題の解決はない。そんなときに、何もおかしくないよ、不運でも何でもなく、因果はキチンと正しく作用しているよ。という言葉はきついがさすがにユングだと思う。しかし哲学者というか精神病理学者というか、その大御所になると、確かに自分を常に見つめ続けている顔をしているね。ユングの顔写真をみてもそう思うし、もっと凄いのはフロイト。その口元は自分を見つめ続けている。自分にごまかされないぞ、という決意を感じる顔だ。誰かに似ていると思ったら、クリシュナムーティもやはりフロイトの口元と同じだ。常に自分を見つめているとああなるのだと思う。反対に口をぽかんとあけていると、この人、無意識に生きているから自分が本当はどこにもないということが伝わる。しかも風邪をひきやすいよね。しかしああやって自分を常に見つめるというのも大変だと思う。自分を見つめるのはリアルだから現実感は高まるだろう。クリシュナムーティは話の途中で風の音に聞き入って話をよく中断した。リアルには一種のエクスタシーが伴うのだ。哲学者もそこまで行ったら儲けものだろう。そこまで行かないのなら、まだぽかんと口を開けていたほうが得かもしれないね。幸せとか運がいいとかは、結局、自分の中に具体的な体感として感じられる心地よさがなくては意味がない。年とったおばあちゃんが口元を梅干のようにとがらせているのを昔よく見たが、あれは自分の体感で外界を認識体験している心地よさの表情だと思う。そうなると人は長生きできるのだと思う。