歴史変動
社会や世界の激変により、個人の運命にも大きな影響が出る、という時期が人生に一回か、2回はある。明治維新、日清日露戦争、大恐慌、大震災、第二次世界大戦、、、そして以降は日本では阪神大震災、新潟大震災があった。こうした大事変に遭遇すると個人の運命も大きく変わる。阪神、新潟の大震災をのぞけば、第二次大戦以降は日本は全体的な事変はない。バブルとその後遺症などあるにはあったが、まだどうにかだましていられる状態。終戦後に出口鬼三郎は、これでしばらくは平和なときがつづく、、、と言った。全体的には確かにそうかも。阪神、新潟をのぞけば、戦後60年は一応平穏にきている。しかしその間にも社会矛盾はこれまでになく大きくなっているのだから、われわれの世代が大きな激変を体験しないわけには行かないのではないだろか。すでに激変は始まっていて、それに気がつかないか、目をふさいでいるだけではないのだろうか。団塊の世代が退職していくが、退職金や年金などがかろうじて保証される最後の世代といわれる。私もそうおもう。それより若い人の世代は今後、社会保障にせよ、企業との関係にせよ、よりシビアでより不安定になっていくのはまず間違いないのではないだろうか。公務員の酒酔い運転が減らないのも、安定神話を失いつつある不安の先取り現象とも考えられる。国と大きな機構は個人を放り出している。もうそういうものに頼れない時代が訪れるのは間違いないが、対応策としては、小さな稼業を持つ、サラリー以外にいくらかでも独自の収入を持つことが、とても大切な時代になる気がする。あと、何度も言っていることだが、投資できる人と出来ない人の差が開いてくる。企業は個人を捨てて利益体質を作った。あぶれた人はその企業の発展に賭けて儲ける以外にない。要するに投資となるが、企業が強くなって個人が弱い構図を受け入れないためにも、投資の必要性が出てくる。しかし、キチンと退職金がもらえるのは団塊の世代が最後だろうから、彼らは投資に進める。しかしそれより下の世代は投資する余裕がない。そこでサラリーだけの収入になるとすると、効率化した企業内では、極一部の人しか出世できない時代になるので、どんどん弱い立場になっていくだろう。いやな時代が見える。起業すればうまくいく可能性は高いが、リスク容認できない教育で育っているため、せいぜい稼業を土日で行う。という形でもいいと思う。またはお金を貯めて、投資で増やす。このどちらかのスタイルが人を守ってくれる時代が私には見える。私が考える、文化藝術による日本の興隆はそのさらに先のことになるだろう。早くそういう時代がおとづれる用になればいいが、かえって政府のほうが分かっていることがある。安部総理が美しい日本、というわけのわからないことを言っているが、本当はそれは正解である。阿部自身、本当に分かっていっていると思えないのだが、日本の進む道は、美しい日本、観光立国日本、文化芸術大国日本、、、なのだ。これはすでに決まっているルートだと私はおもう。それ以外に道はない。そうなると実は素晴らしいことになる。私が10年前にこのビジョンを実は本にしている。そして時代は本当にそれを目指して進みだしている。誇大妄想といわれそうなのでやめておくが、森と平野に文化定住する時代、、という本は、これからの政府の考える日本の方向を10年前に語ったものだ。美しい国土に変える、文化藝術を地方において花開かせる、埋もれている各地の文化や祭りを復活させる、、中産間地域に定住する人を増やし、美しい、妖精の住むような山に変えていく、そこで藝術活動をおこなう、、、それですべての問題が解決するのだ。本当にすべての問題がである。いずれ時代はきっとそうなっていく。私がそういう内容の本を書いたあとに、超能力者が何人も現れて、必ず、そうなります、、、とわざわざ私に告げにきてくれた。だからというわけではないが、本当にそういう方向に行っている。しかし、その前には厳しい現実の世界があり、一時的に苦しい時代となるかもしれない。稼業を行うとか、起業するなどできる人は楽しいだろうが、会社一本でいくつもりの人はここ7年ぐらいは厳しいかもしれない。しかしその後は素晴らしいことになる。