2003年02月10日(月)曇り
車の運転をしながら、ラジオを聴いていて、この数日はNHKでなぜかアメリカ批判的なものが多いような気がした。私はアメリカはイラク攻撃をできない、、とずいぶん前から言ってたのですが、しかしやりそうなムードですね。証拠不十分でもし攻めたとしたら、これは大変なことになります。例えば、あいつはきっと人を殺したので、死刑にする、、というのと同じ。民主主義の基本原則は、疑わしきは罰せず、、なんです。疑わしきを罰したら、それは恐怖政治ですから、民主主義ではみんながおかしいと思ったとしても、罰してはならないんです。民主主義の根幹が実はこれなんです。証拠がないままもし攻めたら日本はどうするつもりなんでしょう。また、もしアメリカが核でも使ったとしたら、日本は仕方ない、、なんて恥知らずなことを言うのかしら。これは政治家だけに任せられない問題。しかしイラクも悲しいです。アメリカのコロムビアが悲劇を起こしたとき、神の天罰的なことを言ったんです。これはおろかなことです。もし、憎きアメリカの悲劇であれ、それはそれとして、勇気ある宇宙への挑戦者に深い哀悼と敬意を表する、、、悲しみにくれるアメリカの善良な人々とともにイラクも共に哀しもう、、、なんてもしフセインが世界に告知したら、もうアメリカは対イラク戦争を起こせなくなったんです。今では民意は本当に大きいので、アメリカの人に対イラク攻撃のムードが消えていったはず。そうすれば大統領といえども民意に反することはできません。戦争もですから進化しているのです。最終的には文化の争いになっていくはずなんです。それも平和的な争い。粋の争いが最終戦争の形態なんです。例えば歌合せとは、二手に分かれて歌の優劣を競う遊びなんですが、それで国の方針を変えてしまえる、そういう形にいずれなるような気がします。今はまだにせものの善悪観念で戦争にもっていくしかありませんが、もっと感性が優れてくれば感動が優劣を競うようになるかもしれない。優劣という言い方は的を得てませんが、きっとそうなる。ほんとうはこれまでも実はそうだったんですが、治世者がそれを恐れ、善悪のほうが民意を主導しやすいのでそうしただけ。しかしもうそんな時代ではありません。イラクの人が全員悪いわけはないし、アメリカ人が全員悪いわけでもありません。面白い人もいれば困った人もいる、、、どこの国でもそれは同じなんです。しかし、わずか50年程前まで、鬼畜米兵とか言って、アメリカ人とイギリス人はみんなどうにもならないほど悪いやつ、と言って殺してもいいと、本気で思っていたんですから。馬鹿みたいなんです。日本人でもアメリカ人でもイラク人でも、いい人もいれば困った人もいるのは、当たり前。そのことを忘れさせないと戦争を起こせないから、馬鹿みたいな宣伝合戦をするのですが、もういい加減見抜かれているので、もう戦争なんかできない時代なんです。ではやったらどうなるのか、勝者はいなくなる、ということです。最後は国家幻想にいきつくんだけど、もう善悪の宣伝で戦争を起こすような人間を馬鹿にしたことはやってはだめ。アメリカはだから悪いフセイン一派を滅ぼすので、一般イラク人は戦争の対象ではない、とかいううそを言うのでしょうが、ならばベニスの商人のように、血を流さずに肉一ポンドとってください。一般人を一人も殺さないで戦争してくださいね。