0498_月は見てはいけないもの、、、.mp4
イザナギとイザナミの神話から日本はスタートします。イザナミは出産時の不幸によって帰らぬ人となり黄泉の国に行きます。愛する妻を失ったイザナギは悲しみ、妻を連れ戻すために黄泉の国に出かけるのですが、絶対に見てはいけないとの約束を破ってウジまみれの妻の姿を見てしまうイザナギ。イザナミは「見たな、、!」とイザナギを許さずに夫を追いかけて黄泉比良坂という場所にまで来ます。そこで二人は憎しみを伴う永遠の別れとなってしまったわけです。以降、この世に戻ったイザナギは男神のみにて神々を生んでいくことになります。そしてアマテラス・ツクヨミ・スサナルをお生みになるのですが、この世は女性を失った形でスタートしたことになるわけです。イザナギはアマテラスの太陽神、及びツクヨミの月神をお生みになるのですが、アマテラスとツクヨミに男女の二大原理を託したのとは違うと思います。アマテラス・ツクヨミの前に男女はおり、それがイザナギ・イザナミでありました。しかし、本当の男女神である二人は、いまだ分かれたままなのです。ここに原初太陽と原初月の離反のイメージを読み取ることができます。占星術で扱う月が欠損を暗示し、誰もがその欠損を認められずに生涯を振り回されることは、最初の男女の別れという原型的不幸を私たちが負っているからなのかもしれません。月はみてはいけないものであるとのご指摘は1ファンの方から投書のメッセージでいただきました。その通りだと思います。月は見てはいけないものだったのです。しかし、見てしまった以上は再び元に戻る道を求める以外にありません。黄泉比良坂にて相別れた男女神が再びあいみまえる時が近づいています。それにはまず月が欠損として未完成のまま残されており、その欠損を黄泉の国に置いたままとなってこの世はわかれてしまっている。この世の創造は黄泉の国のイザナミの力を使うことできっと達成されるものとなるのでしょう。欠損という月解釈はまだ一部の人にしか理解しえぬものですが、分かった人にとっては、それは確信となっています。見てはいけない月を見ることは、人類最後のテーマである黄泉比良坂の和解に必要なテーマなのです。自身の中にウジが沸いている置き去りにされた存在に私たちは気づく必要があると思うのです。面白いと思われましたら、チャンネル登録もよろしくお願いいたします。なを、タイトルの「月は見てはいけないもの」とは、実際の月を見てはいけない、、、というのではなくて、月の正体を知ってはいけない、、、月が隠しているものを見つけてはいけない、、、という意味です。しかし、知ってしまった以上、私たちは次の段階へと進まねばならず、それにより、黄泉比良坂にてあい別れた男女の原理が再び統一される時代を迎えることが可能になるということでもあります。