チャクラへの光照射

エネルギーはゼロからもたらされます。もたらされるというより、ゼロそのものが無限のエネルギーなのです。ゼロになりきれば、すべてのものはエネルギーの世界にあることになります。名前もない、形もない、意思もない、思惑もない、ただただゼロの状態になれば、人はエネルギーの中にいるのと同じです。

何も考えがなく、思考がストップした際に、あらゆる問題は解決します。問題に意識や思いを向けている間だけ、問題は問題であり続けるからです。

これは物理的にも真実です。ゼロポイントにエネルギーが存在します。私はそれを光によってつくることを思いつき、様々な実験とその確認をしてきました。

そして書いたのが、「光教則本」です。光教則本は多くの影響を一部の人に与えました。奇跡的な事象が数多く起こりました。ただそれを一方的に光ゼロポイントだからとは、言うことはできません。

というのは、今の科学とは異なる地点に立つ考えですので、効果があるとか、エネルギーが訪れるとかは、言えないわけです。ただ私がそう思っているとしか言えません。

事実は一つなのでどう思われてもいいのですが、私にとってはゼロポイントにしかエネルギーはありえず、光の干渉を利用して光ゼロポイントを作るのも私の確信でしかないのです。

ただ、体感は自由です。体感の中でもとくにチャクラへの光照射は多くの人が同じ体感を感じられるケースが多く、チャクラへの光照射の方法をまとめ、光教則本の中に取り込むことにしました。下記動画でも紹介していますので、ぜひご覧ください。

とくに会陰のチャクラに光照射したとき、まずほとんどの人が熱を感じられます。そうでない人ももちろんいるでしょうが、これまでのケースでは多数の人がそう感じられたと言います。科学的な話しでないので、どう受け止めるかは自由ですが、体験談は驚きに満ちています。さすがチャクラなんだな、、、と私も再確認し、チャクラへの光照射を特別に追加した次第です。

思考が停止し、何の情動もなく、ただ徹底的に受け身となり、すべてを任せる状態になれば、人は無に近くなります。ゼロポイントが実態の世界ですので、実態からどれだけ離れるかで、エネルギーの供給量が変わります。物がやがて壊れ、原子に戻っていくのは、ゼロポイント状態が弱まり、崩壊していった結果です。

人も物も同様です。出来立ての物には、作った人の意識が反映されます。作った人の意識、またその物を使用する人の意識がある間は、物は存続します。もしくは物自体が発する周波数が何等かの永遠的なるものと共振することで、長く存続します。

しかし、そうしたギャップによるエネルギー補充にも限界があり、物は永遠のふるさとであるゼロに戻りたくなるのです。作った人の意思などがギャップとして働いている間は物は存続しますが、それが弱まるにつれて、物やこの世に存続するすべては、永遠の満たされたふるさとであるゼロを希求し、戻っていきます。物の世界にいる私たちは、それを死や崩壊ととらえるにすぎません。

意識は食べ物や燃料とは異なる、ゼロエネルギーそのものです。意識のように物理的側面が希薄なものは、エネルギー源として良質なのです。(ただし物理的意識、物理的思考は作用として反エネルギー化に進みます。

悪い意識や悪い考えによって、物も人も滅びるのです。悪いとは物がすべてであるとの思いが多くなるほど悪いということです)良い意識は反作用、副作用の基本原理が物を通さずに行われるため、良質なのです。私たちの意識や考えが物や限界あるものと交わりが深く、関りを持つことで、そのウエイトは高まり、すべてが崩壊していくわけです。ゼロだけが永遠なのです。

ゼロをいかに取り込むか、、ゼロにいかになりきるか、、、それ以外にエネルギーを考える道はありません。
光も物質ですので、最高の条件は作れませんが、それでも質量など数量で測れるものではないため、音や光が作り出す条件はゼロに近い良質なものなのです。

チャクラという肉体的な部位と異なるエネルギーと関係する中枢にもっと早く気付くべきだったと思いますが、遅ればせながら、ご紹介できる段階となりました。

方法も簡単です。7つのチャクラにただ二つの光源から光照射すればよいのです。とくに会陰への照射は、驚かれると思います。とにかく熱いです。眠るクンダリニーがうごめくためだと思います。ハートでも同様に感じられることでしょう。とにかく試してみてください。

懐中電灯は同じものが二本、電池も同じ程度の残量であり、光の強さを同等にします。詳しくは光教則本にありますが、動画のみでも光照射を体感できるはずです。

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