流転止まず

人は死んでからお化けになるのか、、、

人は死んでからお化けになるのでしょうか。違うと思います。人は生きている時にすでにお化けになるのです。もちろん、すべての人がそうではありませんが、生きている時にすでにお化けになっていなければ、死んでもお化けになれないはず。

天国も同じでしょう。生きている時が天国でなければ、死んでも天国に行けるわけではありません。

これはすべてに共通した法則です。今幸福でない人が未来に幸福になることはできません。将来幸福になりたいと願うのは人情ですが、法則的には今幸福でない限り未来も幸福ではないのです。

要するに今と未来の関係です。未来を作るのは今ですから、今が変わらなければ物事は永遠に変わりません。

人が不幸のどん底にいたとしましょう。不幸だ不幸だと思っている状態が長期不幸です。普通は相当な不幸が襲っても、時には気分が変わったり感情が変化したり、考えが変わることがあります。

それなのに、変化を拒否してかたくなに気分を変えない、、、かたくなに考えを変えない、、、かたくなに感情を変えない、、、、これが不幸が続く原因です。

恨みや怒りを変えない、、、、何があってもそれを維持し続ける、、、それがお化けです。人は生きていながら、こうしてお化けの世界に足を踏み入れていくわけです。

何でこんな話しをまだ夏でもないのに始めるかと言うと、けっこうお化けで生きている人が多いことに気づいたからです。何かにこだわり、それをかたくなに変えようとしないまま生きている人は、少なからずお化けの状態になっています。

そして生きる現場のリアリティよりも、現実と異なる幻想の思いこみのウエイトの方が重いとき、私たちは段々とお化けになっていくわけです。この世は変化こそが取りえであり、変化が大きい恵まれた世界です。
この世に理不尽なことが多すぎるのは困りものかもしれませんが、その分、色々な変化のチャンスに恵まれた、可能性に満ちた世界なのです。本当は悪いことも良いことも含めた変化こそが私たちの世界からのプレゼントであり宝物です。

天候の変化、四季の変化、環境の変化、人間関係の変化、訪れる事柄の変化、肉体の変化、感情の変化、考えの変化、意識の変化など、様々な変化に充ち溢れています。

そして変化を受け入れることで過去を流し去っていきます。変化を受け入れさえすれば、過去が人を苦しめることは基本的になくなります。また変化があれば必ずそこにはエネルギー現象がありますので、変化=エネルギーとなるわけです。

お化けにはエネルギーが少ないのです。お化けは変化にエネルギーがあるなどとは認めず、物にしか、また過去への思いにしかエネルギーがないと思っています。お化けの考えは凄く現実的なんです。だから死んでもこの世に関わるのです。現実的だからです。物や過去が好きなんです。

私もお墓に停めておいた車が、わずか30分後に戻ったとき、ラジオも聞こえない程バッテリーが完全に上がってしまったことがあります。お化けにやられたのでしょう。お化けはエネルギーを欲しがるのでバッテリーはごちそうだったのかもしれません。

お化けは変化を拒否しているので、慢性的にエネルギー不足に陥っています。ですので、外界からエネルギーを得ることを考えた結果、電気を好んだり、人からエネルギーを奪おうとするのかもしれません。一緒にいるとやけに疲れる、エネルギーを奪われる、、、という経験は誰にでもあると思いますが、それはその相手が変化を認めない人の場合に多いはずです。

相手ばかりでなくこちらも変化を認めなければ、お互いでお化け合戦になりますので、恨みや怒りが増幅します。変化を認めず、双方が変化なしで物事を解決しようとする時、私たちはお化け合戦の恨みあいに入っていくのです。

どちらの我を通すのではなく、お互いに変化することで問題解決に導くことがエネルギーワークとなりますので、そうすれば物事は必ず発展します。取り決めだけの事務的やりくりで平成は30年やってきましたので、エネルギーを失っているわけです。

おそらく令和の時代は変化にとんだ時代になるでしょう。私たちの生き方も変化を受け入れることで、自ら変化に身を置くことで、エネルギーを得ることを考えたいと思います。

四季を愛でる、、、一日の自然現象の変化に喜びを見出す、、、季節の食べ物の変化を味わう、、、地球は変化によってエネルギー現象を起こしていますので、それを見たり味わうことが、文化として定着してきたわけです。

お化けには四季も夕日の美しさも鳥のさえずりもありません。ただ自身の思いの世界があるだけ。変化したら自分がいなくなることを恐れているのでしょうか。いなくなれば大きな世界に入るわけで、肉体が無くなる変化を最終的には人は受け入れるわけです。(お化けはそれを拒否します)

生れたら死ぬのはセットです。死の変化を受け入れることが、永遠の世界の入り口に私たちを導いてくれるわけですが、せめて生きている間にも、変化多き人生を歩み、お化け的な生き方から自由でいたいものです。

変化多き人生とは、何も激動の人生であるというのとは違います。変化を受け入れる姿勢で生きることです。変化を楽しめるということです。

ゲーテは「とどまれ、お前はいかにも美しい」という最終目標をファウストに言わせて、この世の意味と生きる意味についての答えを得ようとしています。しかし、とどまったら、止めてしまったら、変化に完成があることになり、何か違うように感じてしまいます。

その点、東洋思想は異なる考え方です。易経は東洋哲学になくてはならぬものですが、易経の最後の最後の卦は、「流転やまず」です。火水未済という未完成で終えます。私たち東洋人は、何かを求め、形を求めて生きつつも、そこに完成を見ず、流転やまずの意気で自らの人生を何かに捧げていくことをよしとします。

色々な考えはあると思いますが、変化がエネルギーであることを認めず、物にエネルギーがあるとする今の科学の限界を、私たちの心だけでも越えて行かねばならない時代に来ている気がします。

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