デュオニュソス音階

デュオニュソスという神のことを皆さんはご存知でしょうか。天界の王、ゼウスのれっきとした息子です。ただし、母親は正妻のヘラではなく、テーバイという国の王女セメレーとの間に生まれた男の子でした。

ご存知の方も多いと思いますが、ゼウスは有名な浮気者で、色々なところで妻以外の女性と交わっています。そうした中でできた一人の息子、、、ではあるのですが、デュオニュソスは特別な存在でした。

何が特別だったかと言いますと、デュオニュソスの歴史をたどってみると、古くはオルフェウス教に行き着きます。古い話しには物事の本質が隠されているものです。オルフェウス教の神話では、ゼウスはデュオニュソスに王座を譲ろうとしたというのです。キラ星のごとくいる神々の中で、なぜゼウスはデュオニュソスにオリンポスの支配権を与えようとしたのでしょうか。

正妻ヘラとゼウスとの関係がヒントになると思います。ゼウスは一貫して浮気者であり、性や人生を自由に謳歌するおおらかな古代的存在。一方のヘラは夫の浮気を許さず、浮気相手に復讐する怖い女神としての一面があります。

二人の神の対立に人類史を合わせてみてみると、自由な生き方をよしとする方向と、管理や組織を旨とする方向での葛藤というか戦いがあったのかもしれません。その結果はどうなったのかといえば、これはヘラサイドの勝ちに終えたわけです。私たちの今の時代を見れば、それは疑いようもありません。

私たちの時代は管理社会であり、権威主義がまかり通り、嘘もイメージでどうにか通されてしまい、素朴な生きる喜びや性の喜びを失っています。

デュオニュソスが負けたいきさつは、オリンポスの支配権をデュオニュソスに渡すことに嫉妬したティタン一族がデュオニュソスを八つ裂きにして食べてしまったため。それに怒ったゼウスは雷光でティタンを焼き殺します。そして灰となったティタンから作られたのが人間だったのです。

ティタンの灰の中には、物質としてのティタンと、ティタンには食べられたが霊としてのデュオニュソスが灰の中に同居していますので、それによって作られた人間は、肉体はティタン、魂がデュオニュソスであるとオルフェウス教は考えたわけです。

オルフェウス教では人は輪廻を繰り返しますが、そこから抜け出るには、魂であるデュオニュソスが輪廻を抜け出るカギを握っているというのです。時代の進行とともに輪廻の考えはすたれていきますが、日本人の私たちにはむしろわかりやすい内容かもしれません。

さて、では輪廻や解脱とも関係するこのデュオニュソスとは、いったいどういう神だったのでしょう。ここで話しを元に戻して、テーバイの女王を身ごもらせたゼウスと、それに怒り狂うヘラの対立から進めたいと思います。

ヘラはテーバイの女王、セメレーに近づき、「あなたの愛する人は本もののゼウスなのかしら」とうそぶき、セメレーを不安にさせます。セメレーはゼウスに「変身せずにヘラ様の前に出てくるのと同じ姿で会いに来てほしい」と約束させます。神々にとって約束は絶対ですので、ゼウスは仕方なくセメレーの前に神として姿を見せますが、あまりに強い光と熱で人間であるセメレーは焼け死んでしまいます。

6か月の身重だったセメレーから、ゼウスは急いで赤子を取り出し、自身の体の中にしまい、やがて臨月となって生まれてきたのがデュオニュソスです。しかしヘラの嫉妬はまだ続いていましたので、危険を感じたゼウスはデュオニュソスを焼け死んだ王女セメレーの姉妹であるイーノ―に託します。

イーノ―には二人の男の子がいたからでしょうか、それともヘラの嫉妬からデュオニュソスを守るためかはわかりませんが、なぜか、デュオニュソスを女の子として育てたのです。両性具有の性質がデュオニュソスにあるのはそのためかもしれません。

その後、イーオーに預けられたデュオスのことで、イーオーの家族には大変な不幸が襲うのですが、すべてヘラの嫉妬の凄さによるものです。それでも何とか生き延びたディオニュソスは成人して自身の神性を人間に伝えようと布教活動に出て行きます。

その内容は、狂信的な信女の群れを従え、世界中にぶどうの栽培を広めることでした。ディオニュソス=酒の神バッカスでもあったわけです。ディオニュソスに従う人々は、山野で乱舞して法悦の境地に至ります。まさに父ゼウスとヘラの葛藤の戦いの本質であったゼウス的願望が、表出した姿でもあり、葡萄酒を飲むことによる酔いとも関係していることでしょう。

ついバッカスとの関係において酒がクローズアップされてしまうのですが、酒はデュオニュソスのあくまでも一部で、それよりもさらに深い法悦、喜び、自由がデュオニュソスの本質だと思われます。デュオニュソスには踊り狂う人々が付き従い、魔術・呪術によりインドに至る広大な地域までを征服したと言われます。

最後には冥府にまで行き着き、そこから母を救い出してオリンポスの神々の一員にさせています。また、ナクソス島に置き去りにされていたアリアドーネを妻にめとって彼女も女神とさせたのです。

デュオニュソスの力はこうした内容からもオリンポスにおいて特別な存在だったと思われます。しかし年代を追うごとにデュオニュソス的な時代観は消えていきます。

デュオニュソスによる法悦や喜び、時に常識をはるかに超えた狂気にまで至る人間の可能性は、政権や時の権力者にとってはまずいものとして映りました。その結果、デュオニュソス的要素は時代からどんどん外されて行ったのです。

しかしその力は潜在し見えにくくなったというものの、私たちの体の中には、霊的存在としてデュオニュソス的なるものが今なを息づいており、命を削るような現代の闇の中で、その出番を待っているとも言えるでしょう。

会社が終えたあと、仕事のあと、一日の終わりに、自分を取り戻そうとする人々で飲み屋さんは繁盛を続けますが、こうしたすべての人の中に、今なをデュオニュソス的なるものは存在しているのです。

デュオニュソスはぶどう酒との関係で語られることが多いですが、デュオニュソスの杖を振り回して歓喜しながら山野を駆け巡った人たちには、さらにリズムや音があったと思います。

人を幸福に法悦に至らしめる音が実は存在するのです。ただそれが知れ渡ることは権力者や時代を支配したい勢力にとっては非常にまずいものであったでしょう。音楽を聞いただけで人が幸福になってしまったら、人を支配することも、人や群衆を不安にさせて一定の方向に向かわせることもできなくなるからです。

ソルフェジオ音階もおそらくそうして消えていったのかもしれません。もしくは消されてしまったのかもしれません。ソルフェジオの音階もそうですが、ソルフェジオ音階のみでは作曲しにくく、音楽を作る際の基準音、音階としては成立しにくい面があります。音の数が少ない点がネックであり、ソルフェジオ周波数を系列的に+-したりしても、音質が似ているため、音階としての限界があります。

私はこの7年ほど周波数とそれが人に与える影響について個人的に研究してきましたが、人を法悦に導き、幸福にする周波数は確実に存在します。その周波数についてもわかっています。

ただこれはある意味危険な内容ですので、私に何かがあった場合は、その周波数ナンバーが多くの人に伝わるようにしてあります。何を大げさな、、、と思われるかもしれませんが、基音を440Hzか432Hzにするかであれだけの騒動があったわけで、音は重要な要だからです。

人を法悦に導き幸福にさせる周波数はいくつかありますが、その中から29を選び出し、29の周波数が形成する音階をデュオニュソス音階と名付けました。デュオニュソス音階で作曲された音楽は人を幸福にし、法悦に導くことになります。

人はもう人為的に作られた国民国家の時代を抜けだして、もっと自由になった方が良いと思います。また、そうした時代が到来しつつあると思うのです。デュオニュソス音階による魂への栄養補給とその実践は、これから行っていきます。ある一定の場で、デュオニュソス音階が奏でる音楽があり、ぶどう酒を飲む人も飲まない人がいてもまったくいいのですが、魂を解放させることで、かなりの部分のこの世の問題は解決してしまうことでしょう。

29の周波数の中からたった一つだけですが、下記動画でお聞きいただけます。実際には小さな音量のためはっきり聞き取れないかもしれませんが、それでも心や体が不思議な落ち着きを感じてくると思います。

上の動画ですとスマホでは聞き取れない、、、ということでしたので、下記動画で再アップさせて頂きました。ボリュームを上げたため、音質が悪くなっていますが、お許しください。

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