私たちは自分の周波数世界を見ている、作っている。

物には何の力もなく、ないどころか、物は実体ではない、、、のなら、それを生み出した意識以外に実体はないことになります。その通りなのです。

意識はでは何か、、、ということになると、意識が向いたものが実体化するとも言えるし、ある周波数と共振共鳴した世界が出現するとも言えます。意識は周波数だからです。意識という微細圧の反作用が現実を作るわけです。

私たちはつい、どこかに現存とした世界があり、その果てはどこだとか、パラレルワールドとか言うたくさんの世界がある、、、次元が交錯して色々な世界が本当はあるんだ、、、的な言い方をよくします。

私にはよくわかりませんが、もっとシンプルに考えるなら、周波数のあった世界をその都度瞬時に私たちが作っている、、、と考えた方がベターであり、わかりやすいし、現実だと思います。

パラレルワールドも素敵ですが、そんなたくさんの物理世界がどこかにある、、、、というよりも、瞬時に意識にそった世界を作っている、、、という方がずっとわかりやすくはないでしょうか。と、思うわけです。

741Hzの秘密というか実際がわかるにつれ、周波数と私たちの意識について考えるようになりました。

741Hzは、まっさらなこの世の現実を見せてくれます。私たちのこの世における意識が掃除されて、ゴミや偏見や重たく固着するものを捨て去った目で見たこの世の姿を見せてくれる周波数です。私たちの意識が741と共振した際に、掃除された形でこの世の実相があらわれます。

そのため、花はくれない柳は緑、、、というありのままの、素晴らしさがきれいに見えてくるわけです。(741Hzのチューナーを鳴らしておでこにグリップを付けます。音が消えてから見えて来る世界が美しくなります)

それは善悪でも努力とも違う、ただありのままの掃除された意識で眺めた世界が美しく見える、、、ということであり、誰でもおそらく死ぬ前には、世の中はこのようにして美しく見えるものだと思われるのです。

善のお坊様などが言う、一種の悟りの境地であるかもしれません。花はくれない柳は緑、、、という言葉は、森田療法の創始者である森田正馬博士が好んで用いた言葉です。森田療法を深く理解した人は禅僧の悟りの境地と同じになる、と聞いたことがありますが、あながち嘘ではないかもしれませんね。

花はくれない、、柳は緑。すなわち悟りという状態も周波数で言えば、741Hzなのです。そこに意識が共振すれば、自然にその状態が訪れます。

よく周波数と言うと、ラジオのように色々な周波数帯での番組が流れていて、チャンネルをそこに合わせると聞こえてくる、、、、と言います。その通りなのですが、もう少し突っ込んで考えると、どこかに周波数帯による番組が流れているというよりも、その周波数と共振すると、ある世界が作られる、、、と考えた方が本当は正しい気がします。

どこかにあるとしたら、それは誰がいつどのように作ったのかの物理論に陥るからです。すべては創造者が常々の時点で、現実世界を作っている、、、その時々の周波数意識により、、、と考えた方がわかりやすいし何かと整合性が取れてくるように思います。実際そうじゃないのでしょうか。

この世の宗教的なものは、周波数でいうと600Hz台だと思われます。禅は宗教を超えると言われるように、741Hzになるとこの世的な宗教とは違った世界を作ります。ありのままの世界は宗教世界よりも上なのでしょう。

愛情と一般に言われる世界も600Hz台であり、多くのスピリチャル世界もこのあたりという気がします。スピリチャルや宗教では、神経症は治せない場合がほとんどですが、森田療法ではほぼ確実に治せますので、この世の実相をありのままに見るという森田療法は741Hz世界であり、優れた面が高いと思います。

ただ、それには森田療法ないしを理解しなければならず、理解というよりもその本質と共振しなければなりません。それには個人差があるので、誰でも治せる、、、とはいかないのも事実でしょう。

話しがついそれましたが、私は昔から森田療法を非常に高く買っていますので、つい横道にそれてしまいました。しかし、森田正馬博士は本当にすごい人物だと思っています。

本題は周波数と意識でした。意識に沿った周波数がこの世を瞬時に作ってしまう話しです。どこかに世界があるのでも、複層した世界がたくさんあるのでもなく、今、皆がそれぞれにその自身の周波数によって現実に作っている世界以外にない、、、と、周波数と意識の関係から導きだされる答えについて語っているわけです。

宇宙の果てはどこにあるのか、、、というロマンとしては素敵ですが、宇宙も意識によって作られているわけで、常づねの創造物として存在しているのではないでしょうか。

なので、いくつ宇宙があるかとか、果てはどこかとか、複数の時限交錯する宇宙があるとかいう話しは、私にはあまり意味が感じられません。

私のような者はバカはバカなりに、もっと簡単な宇宙論というか現実論が好きです。自分の意識周波数が現実を作っている、、、それで十分なんです。

道が混んでいてどうしようもない、、、、そんな時に528Hzを鳴らすとあっという間に停滞が消える、、、という人がおります。偶然とか笑い話しを超えて、ご本人は本当にそう信じていらっしゃいます。こうした現実をどうとらえるか。

偶然、、、というのは一応置いておいて、そうした現象が起こる理由を考えた場合、パラレルワールドでは、いくつかの世界、未来があり、何等かの意識にそってその中からある未来を選び取っている、、、、、という考えがあります。

停滞が終わらずに困っているパラレルワールドもあるらしい、、、、となります。
また、意識が未来を変えている、、、と考える人もいるでしょう。

しかしどちらの場合でも、厳然とした世界がすでにあり、それが変わるとか、パラレルで別れるという、物思考から離れることができず、自分が選び取るしかないという世界観です。

私は飯島先生から物には何の力もないと教わっていますので、自分もそうだと思っています。そうなれば、意識より先に物世界など存在できないのです。

誰が何と言おうが、この世界は瞬時に私たちが作っている以外に考えようがないのです。もう勝手なこと言わせてもらいます。

まあ、何が本当かはわかりませんが、誰もが、世界観を持つ時代が来ていると思います。そうじゃないと、何もできなくなる時代、、、自分の考えでないと、一歩も動けなくなる時代、、、、その意味で本日は私の思い、真実を語らせていただいた次第です。

私の考えによれば、人生は非常に楽で楽しく面白くなります。どんな未来もまだないのです。作っていくだけ。不幸で重苦のどん底の際、その時の意識と異なる意識を持つ以外に未来は変わりません。意識周波数がこの世を作るからです。

それが継続した意識であるうちは無理です。重苦の底で最初に意識を変える以外に未来を変える方法はないということです。

悲しみの中で、まず笑う、、、、苦しみの中でまず楽な意識を持つ、、、不幸の中でやさしく微笑む、、、自分は絶望の中で人のことを心配してあげる、、、、

それがいいというのではなく、そんな逆説以外でピンチから逃れることなどできっこない、、、、と言いたいわけです。

未来が良くなったら笑える、、、幸福になったら幸福、、、人情としてはわかりますが、自分が創造者であるとの視点がまったくない、ずるい考えであり、本当は損なのです。

意識が変われば世界が変わるのではなく、意識が変われば新しい世界を作るのです。あなたがです。

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