この世のステージでの解決を目指さない

現実を変える方法は色々あると思います。しかし、原理はひとつだけです。フリーエネルギーの理解がない限り現実を変えることはできません。なぜなら、すべての物も事象も出来事もフリーエネルギーによって生じているからです。その大元に働きかけない限り、新しい変化は起きないのです。

現実でのやりくりがあるため、私たちは何とかやればすべての現実を変えられると思ったり、未来を自由にできると思いがちです。しかし、この世にすでにあるものはフリーエネルギーが生んだ結果物であって、結果を変更することは無理なのです。

ただ、物ごとや事象には同次元でのやりくりはできますので、すべての物事を現実時点で変化できると誤解しやすいのです。とくに頭の良い人は現実でのやりくりによって得たいものを得、未来を切り開くことができると考えます。

現実界でのやりくりは、マネをしたり多少の勉強をすれば確かにうまく運ぶでしょう。しかし、やりくりには限界が必ず出てきます。家計が窮すれば節約するなり、へそくりで補充するなり、働いていない家族の尻を叩いて働かせたりと、色々なやりくりがあるにはあります。

しかし、やりくりが進めば進むほど、周囲を巻き込んでいきます。家計の不足のために、働けない老人は隅に追いやられるかもしれませんし、お金を得ない家族は冷たく扱われかねません。家族にはお金だけでない色々な貢献があるにも関わらず、お金というやりくりが主題になると、ひどいことが起きてくる場合もあるわけです。

会社や国家のやりくりも同様です。やりくりしようとすればするほど、どこかにひずみが出てきます。まず、弱い人にそのひずみが生じ、段々と大勢の人を巻き込むようになっていきます。もっともまずいやりくりである人種攻撃や戦争にさえ、最後は行き着いてしまうことは歴史をみればあきらかです。

どこに問題があったのでしょうか。やりくりが限界を超えても、なを、現実に働きかけること以外の道を見つけることができなかったことに問題があるのです。

こう言うと、現実の問題を現実的に解消しようとすることがなぜ悪いのか、、、との反論が生じます。それは一見論理的に思えますが、本当はそうではないのです。現実の何等かの行き詰まりは、必ず原因があって起こるのです。その原因を知って、その部分を変更しない限り、生じてくる現実を変えることはできません。

しかし、私たちはつい現実に問題があると思い、その現実を変えればいいと考え、そのように行動し出します。

家にお金がない、、、へそくりを探す、、、誰かに働いてもらう、、、とりあえずのやりくりは重要ですし、それで問題が解決する場合もちろんあります。働くことを心理的に恐れていた家族の一人が、家計の困窮をきっかけに、自身の生き方と意識を変えていく、、、そうしてお金を得るようになり、それによって仕事や社会参加への恐怖を克服する。そうして家族の一人が成長するような場合は、素晴らしい解決になります。

しかし、その場合でも、働かなかった家族が働いてくれたから家計が楽になったのとは違うのです。家族の意識が変化したことが、新たな家族のステージを切り開き、その結果として、お金も入るようになっていったわけです。

働かない家族を強圧的に無理やり働かせたら、ではどういうことが起こるのでしょうか。おそらく家計はさらに苦しくなっていくと思います。無理やり働かせた家族が倒れたり、新たな問題を起こしたりしてお金も出ていき、家計はきっとさらに苦しくなるでしょう。

お金がない、、、お金が欲しい、、、お金を得よう、、では、何の問題の解決にはならないのです。1940年代にアメリカは戦争に勝って、世界一の金持ち国家になりました。その金持ち度は半端ではなく、世界のゴールドを独り占めにするほどで、それに裏付けされたドルは、世界のどこでも威張ってその存在を誇示できました。

そのアメリカがわずか数十年で日本に追い越されてしまったのです。しかしその日本も、日本アズナンバー1と言われるまでに至ったものの、わずか数十年で、今度はその日本が、多数の子供の食事もままならぬほどの貧しい国に立ち至ってしまったのです。

アメリカや日本で起きたこうした問題は、一見お金の問題にみえて、本当はお金の問題ではなかったのです。意識がともなわなければ簡単にひっくりかえってしまうのです。成長期のアメリカや日本にあった意識が途絶えたとたんに、わずか数十年ですべては変わってしまうのです。意識がすべてを生み出すからです。蓄えが将来を決定することはないのです。

このように、やりくりには限界があるということです。この世的なステージで物事を考えれば、お金持ちの家に生まれた子は永遠に金持ちだと誰もが思ってしまいます。しかし、それは一時のことで、物量ややりくりは本質ではなく、本当の問題解決にはならないのです。

人は誰でも、お金がないとなれば、まず節約し、次に貯金し、それでもダメなら、収入を何とか増やそうとし、、、など、やりくりをいたします。それによって救われることは多いですが、救われた場合は、本当はやりくりの結果ではなく、そこに意識の変化があったからなのです。

意識の変化なくして、どんなにやりくりしても、何ひとつ現実を変えることはできません。それどころか現状はさらに苦しくなっていくのです。無からしかエネルギーは来ませんので、現実ベースでのやりくりで、問題を解決することはありません。

病気にかかれば、誰でも早く治して元気になりたいと思います。それは事実ですし、私ももちろんそう思うと思います。しかし、それだけでは、絶対に病気を治すことはできないのです。なぜなら、病気という現実を、この世的な何かによって治そうとしても無理だからです。すでにある結果を変えることはできないのです。

結果は原因あってのものですので、原因を変える以外新たな結果を作ることはできません。

良い薬に巡り合ったので治ったとか、良い医者にかかれたので治った、、、ということは当然あるでしょうが、実はそれもそう見えるだけで、本当は薬が効いたのでも医者が良かったからでもないのです。

意識が変わらない限り、新しい結果は起こりません。病気が治った場合でも、良いと思われる薬や良いと思われる医者への信頼などがあり、それが新たな意識に至らせたことで、治ったわけです。あくまで条件づくりに役立っただけで、薬や医者が治したわけではないのです。治したのは病気をもたらしたものと異なる意識の変化以外にないのです。

行き詰りとは、すでにこの世的なやりくりが限界に来たことです。それでも何とか、あれがあれば、、、とか、これがあればとか、、、あの人に頼めばとか、、、人は考えますが、自分の日ごろの意識を直視した方が早いのです。

この世的なやりくりは、誰もが自然にやっています。お腹がすけばご飯を食べますし、ご飯がなければ外に食べに行きますし、お金が少なければ、食べる物を減らすなどして工夫をします。そうしたやりくりのすべてがダメで限界が来たとき、本当に行き詰るわけです。

どうにもならない行き詰りを、それでもどうにかして、、、と思うと、必ず、外界や他人を巻き込んでいきます。そして悲劇は拡大するのです。

この民族に食べさせる力はない、、、ということで、民族浄化を図られたらたまったものではありませんが、実際に歴史上なんども起きた事実ですし、今でも起きています。また行き詰りの打開のための戦争もいつか来た道で非常に多い選択肢でした。それ以外にない、、、という信念に支えられて戦争が起こりますが、無理なやりくりは止めて、お互いの国でどうしようか、、、、と肩を並べてかんがえれば、無から思わぬ解決の糸口が必ず訪れるのです。

これも、無がエネルギーの宝庫であることを知らないための悲劇です。行き詰るということは、無の入り口に立ったことであり、本当は前途洋々に広がるべき段階に来ていたわけなのです。

 しかし、物や現実にのみ力があるとする優秀な人たち、勉強だけができる人には、絶対にそのことがわかりません。わかろうとしません。無に力があることを認めると、では、私の優秀性はどうなるの、、、という構造を持ってしまっているからです。この世は勉強のできる頭の良い人たちのやりくりによって破壊されつつある、、と言ってもいいでしょう。

何もやりくりしなければうまく行くのに。できるやりくりならとっくにやってます。

ではどうすればやりくりを超えた問題解決の方法があるのか、、、次回後編でお話しさせていただきます。

覚醒の時代に入りつつあります。本当のことを知ることで私たちは次の時代を迎えることができます。しかし、それには、これまでの今の世が、本当の意味でいかに間違っていたかを知る以外にありません。その大元が、無の存在であり、命の永遠性であり、フリーエネルギーが本質であることと関係しているのです.。意味のない努力は無意味であり害でもあります。

生きているのではなくて生かされていることに気づけば、誰もが簡単にフリーエネルギーの道に入ることができるのです。それは永遠の道であり、嘘も迷妄もない、楽な道となるのです。
 
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