麻について考える 大麻と苧麻の世界観
麻が気持ち良い季節となりました。麻は本当は一年中着ることができる素材ですが、やはり夏場に人気があるようです。
麻は熱をこもらせないため、裸でいるよりも麻をまとう方が涼しい、、、と言われます。着ていて大変気持ち良いということは、エネルギーが満ちているということです。
気持ち良いものには、エネルギ―が流れています。エネルギーが流れている、、、といういい方が正しいかどうかはわかりませんが、服を着ることで周囲に共振現象が起こります。共振現象が起こればそれを元に戻そうとするエネルギーが訪れます。フリーエネルギーの法則です。
麻糸の太さはは均一ではなく、虫メガネで見ると、太いところと細いところが混じって一定ではないことがわかります。その糸で麻布ができていますので、出来上がった麻の布は、編み目も不均等です。
そして、不均等な編み目に音や空気が通る際に、複雑で様々なギャップができます。
機械編みの均一な布表面とは異なる現象が起きるのです。音や空気、光や温度がもたらす様々なギャップは、それを元に戻そうとするフリーエネルギーを呼び込みます。そのため、麻の服を着ていると、エネルギーに満たされて、気持ちが良くなるのです。
服に限らず、麻の一枚布をかぶれば、深い瞑想状態が訪れます。エネルギーが満たされるから、瞑想が可能であり、エネルギー不足の時には、人の気持ちはピリピリしてきます。常にイライラしている人は、エネルギー不足なのです。
夜にチューナー音を聞いていると、まず眠くなりますが、それもエネルギーが満ちてくるためです。エネルギー不足だと眠れなくなるのです。
厳密にいうと、無からしかエネルギーはやってきません。より無に近い状態になるとエネルギーが高まりますので、無心になると眠れ、あれこれ悩むと眠れなくなるのも、無から頭脳活動が遠ざかるためです。
麻の布は、それをまとう体周辺に無を作り続けます。熱をこもらせず、音を通し、光も受け止めずに通してしまい、風や空気を通す布、、、、それが麻。
なので、一定の状態を目指すことのない布であり、常に周辺環境に応じて、様々なギャップを作り続ける、、、なのでエネルギーが常に満ちてくる、、大変貴重な布が麻です。
麻というと、大麻が有名です。大麻ファンは非常に大勢います。最高の麻が大麻であると信じている人が多いですが、私は違うと思っています。大麻は確かに素晴らしい糸や布を作ります。
大麻製の服を着ていると、本当にシャキッとして高度なエネルギーが満ちてくるのを確かに感じます。それは間違いないことです。なので、神官の服やご神事に使われることが多かったのではないでしょうか。
しかし、私は大麻に多少の危惧を感じており、それは以前にもブログで書いた記憶がありますので、ここでは詳しくは言いませんが、大麻は特別な麻だったと思います。
大麻畑を作り、管理し、大切に作られ、ご神事に利用された大麻、、、
それを着ると、天とつながるような思いが確かに出てきます。しかし、それは巧みな罠である可能性も高いのです。大麻の特別感は自身を高みに昇らせ、自身と他が異なるというイメージづくりに貢献してしまうのです。
大麻を着ると、天に仕える気持ちが出てくるのは確かにそうですが、それを地にあまねくもたらそうとする際に、一種のヒエラルキーを生みやすい性質があると私は感じてしまうのです。大麻ファンに感じる共通の特別感意識も気になります。
大麻は上級の人種やヒエラルキーづくりにとても優位な布だった気がします。神社にも色々な意味があるはずで、パワー重視で、本当はどこにつながっているのかわからないものも、もしかしたらあるのかもしれません。宇宙人が神社ネットワークや大麻を人間支配のために利用した可能性だって、もしかしたらあるかもしれないのです。
特別なものをつくれば、下等なものも簡単に作れます。それが悲しいかな、地球の私たちの歴史でしたので、私はとても用心深くなっているのです。
それに大麻で服を作るのは非常に大変で、大きな布を大麻でこしらえることはかなり難しく、一般的ではありません。万人の服を大麻でこしらえることは、物理的に難しかったはずです。あったとしても、一般の人が着られるようなものではない、特別に貴重な服だったはず。たくさん作ることはできないからです。
では、一般庶民は何の麻を使って、服や布を織ったのでしょう。それがイラクサからできる麻でした。今では、苧麻とかラミーと呼ばれる麻です。
大麻ファンからみれば、苧麻やラミーなど、問題外のあんちょこな麻との認識だと思いますが、イラクサから作られるこれらの麻こそ、私は本当の麻だったと思っています。
どこにでもできるイラクサ、、、特別な畑を作らずとも自生するイラクサ、、、地球上のどこでも、どんな環境でも自生する生命力の強いイラクサ、、、、
どんなに貧しい人でも、自然に生えているイラクサをとってきて、家で煮て、繊維をとれば、布が作れたのです。
簡単に作れる麻、、、イラクサによる麻が、世界で使われた麻だったはずです。苧麻の歴史を調べてみれば、おそらくそのことがわかることでしょう。
大麻が高等な人達の麻であるなら、イラクサから作られる麻は庶民の麻だったわけです。
この庶民の麻、、、苧麻の布をかぶってみて、着てみて、私は本当に驚きました。大麻が高い天とつながるのなら、イラクサの麻は、宇宙に包まれた安心の世界を私に感じさせたからです。
安い麻が苧麻、、、高い麻が大麻、、、そして実際に着てみると、大麻の服は天とつながるような清冽な思いを起こさせる、、、、それに比べて、苧麻を着てみると、、、、人はそのあまりの自然さに、おそらく気づけなかったのでしょう。その愛の深さに。
満たされぬ人間は特別なものにしがみつきます。羨望を起こせれば、人を支配するのは簡単です。大麻が中央の力ある者に利用された面がきっとあったと思います。
しかし、本当に人間を助け、人を安心の境地に招くエネルギーは、イラクサの麻にあるのです。
ただし、大麻が悪いと言っているのではありません。大麻には本当にすごい清冽なエネルギーがあり、本当に特別なものだと思います。ただ、私は神社を始め、大麻が利用された面について語っているだけで、大麻の悪口ではありません。
大麻は中央に管理されて育成されました。イラクサは雑草です。そこら中にあり、売り買いされることのない草です。
しかし、最高値段の付く麻は、実はイラクサで、宮古に伝わる麻の布、一反で何千万円もするものもあるとかいう話しです。通常のイラクサが、人の手を何度も何度も使ってなめしていく麻、、、そこに込められる思いと繰り返しの作業、、、
麻はエネルギー源としても優れており、石油など問題にならない利点が目白押しです。麻の可能性をおそれた石油業界が、大麻法を作ったとも言われます。
大麻を特別なものとしておけば、大麻よりも数段も価値ないものと思われるイラクサなども一緒に無視できるわけです。
大麻法がイラクサを含む麻の概念で一緒にされることで、麻文化そのものの可能性を否定できる、大変うまい考えだったと思います。
大麻を禁止されたことで、イラクサなどもあまり意味がない、、、という通念を作り、麻からエネルギーを得る道を心理的にも閉ざせたのでしょう。
エネルギーにとって、本当の敵は大麻ではなく、麻全般、おそらくイラクサの締め出しにあったのではないでしょうか。そのシンボルとして大麻の特殊性が利用されたのです。(大麻が作るギャップの周波数とイラクサがつくるギャップ周波数の違い)
人身支配にとって、大麻特別感は多いに利用できたのです。空気や水は大事なものですが、取り締まることなどできません。どこにでも生えるイラクサも同様です。そこに本当に価値あるものがあると、誰も気づかずに時代は進んでいったのです。
イラクサから取れるギ酸は水素の安全な持ち運びを可能にするもので、そのエネルギー源は水素時代の花形になるかもしれません。
マグネシウムからも簡単に水素を発生させることはできますが、その保存と移動は危険で、イラクサのギ酸を応用すれば安全で簡単に水素燃料時代が到来するのです。
その意味でもイラクサは約束された植物だったと思います。どこにでもあるもの、、、、以外に本物はないのです。しかし、人は悲しいかな、自身の不完全感に囚われやすく、特別なものを欲しがります。
そして政治や宗教は特別なものをエサに、民衆を支配してきたのです。それもいよいよ終わりにしなくてはなりません。
天と地のヒエラルキーが大麻なら、宇宙時代とイラクサは深くつながっていくと思います。
ともかく麻を身にまとえば、人は何かとつながっていることを、感覚的に思い出すことができるのです。
上の写真(クリックすると写真になります)は池田山ファッションという麻のオリジナル服の私。、皆さまも今年はぜひ麻の服をお召しになってなってください。
マドモアゼル・愛 麻のお店