イノチの話 ①
イノチって何だろう、、、
生きるって、、、、何
誰もが考えたことがあると思います。よく考える人もいると思います。
自分って、何? 何とか何がし、、、という名前が自分?
どこそこの学校を出た自分、、、こういう会社で働いている自分、、、
色々な自分がいると思いますが、一番の基本は生きている自分であることは間違いないと思います。
自分って、イノチをもっているんだ、、、生きているんだ、、、、という思い。
それは、一流大学を卒業した自分より、たくさん貯金を持っている自分より、よい会社に行っている自分より、ずっとずっと大きいものです。
もちろん、あんな学校しか出てない自分よりも、貯金がほとんどない自分よりも、借金まみれの自分よりも、リストラにあった自分よりも、ずっとずっと大きいものです。
じゃ、イノチって何なのだろう、、、、
生きてるって、何なのだろう、、、、
私に答えなどありませんが、どことなく関連した話し程度ならできるかもしれません。
きょうはそのことについて、お話しできればと思っています。
昔、どこかで読んだ本の中で、戦争の話しがありました。
内容は、戦争の話しで、その人はアメリカ人で、日本軍と戦っていた時の話しです。おそらく太平洋戦争ですね。
その人は海軍にいて、潜水艦に乗っていましたが、日本の軍艦に発見され、潜水して逃げたものの、ついに追い詰められました。
艦長の命令は、これからエンジンを切るので、電気も消える。隊員はベッドで寝ていろ、、、、ということだったそうです。
エンジンをかけている状態だと、発見されやすいので、エンジンを切り、音を消して海底でじっとしているという命令なのですが、そうなると電気も消え、冷房もない中で、ただ黙ってベッドに寝ていることになります。
日本軍は海底に敵の潜水艦がいることはわかっていますので、そこら中に爆弾を落としていきます。
近くに爆弾が落ちるたびに船体は大きく揺れ、異音が聞こえることもしばしば、、、
爆発衝撃を感じるたびに、もうダメか、、、と不安と緊張はピークに達します。
地獄の一日が過ぎ、、、二日目になっても日本軍は爆弾を落としつけます。
もうおそらくこのまま自分は海底の藻屑となってしまうのだろう、、、と船員の誰もが思ったことでしょう。
二日目の攻撃も執拗につづき、一睡もできぬまま、真っ暗闇の潜水艦の中で、恐怖に耐えます。
その時、彼は神に祈ったというのです。
「神様、もう一度だけでも、太陽と光に照らされた地上を見ることができたら、私は残された人生の中で、もう決して、不平や文句を言うことはしません」
戦争の話しになってしまうと、どちらがどっちになってしまいますが、イノチの話しになるとそんなことは超越してしまうのです。
イノチは米兵にも日本兵にも共通しているのです。こうして祈りが通じたのでしょうか、日本軍は3日目にあきらめて去り、潜水艦は無事に浮上して、隊員たちは太陽の光と輝く海を見ることができたのです。
イノチの危機に瀕すると、私たちはその大切さを切実に思います。日ごろは忘れていますが、イノチは生き続けているのです。
自分を一流会社の誰それと思って生きているか、、、自分をイノチだと思って生きているか、、、当然、生き方や姿勢が変わってくると思うのです。
イノチにはさらにすごい面があります。鉱山で働いていた人の話しを昔読んだことがあります。
古い鉱山の岩石の採掘場所で、今割れたばかりの石の中から、よろよろと、何か出てきたのでびっくりすると、それはカエルだったのです。
よろよろ数歩歩いて倒れてしまったということでしたが、もし雨でも降っていたら、もしかしたら、元気になって生き返ったかもしれません。
しかし、何千年ももしかしたら何万年も前の岩石の中に、カエルは生きていたことになります。
宇宙からも色々な隕石が地上に落ちてきます。その中には、おそらく色々な菌類やイノチがもしかしたらあるのかもしれません。
それらのイノチは、環境が合わない時には死んだふりをしているでしょうが、いったん、自分の出番を知れば、イノチを復活させて動き出すのかもしれないですね。
要するにイノチの適応性のすごさです。
イノチは私たちが考えている以上にもしかしたら、強いものかもしれません。
強さがきっと違うのです。イノチの強さの秘密は、適応力にある気がします。
どんな状態でも、どんな不利な場合にでも対応し、適応できれば適応して生き、ダメなら死んだ不利をしてでも次回を待つ、、、凄いと思います。
皆さんは切り花をあたり前のように、きれいだな、、、と観賞して喜びますが、花からしてみたら、切られてしまっているんですね。
なのに、ひとつとして文句を言わず、きれいに咲き続けてくれます。
それは、なぜでしょう。痛点がないから、、、なんてつまらないことは言わないでください。
痛点はないかもしれませんが、切られたことはわかっているので、それなりの生き方にシフトチェンジして、コップの水の中でも、イノチを輝かせようとしてくれるのです。
切られた花は、切られたことを恨みもせず、文句も言わずに、切られたなら、切られた状態で、イノチを輝かせるのです。
花という物質にこだわらず、イノチそのものになり切っているから、切られても美しく咲いてくれます。
体があってもイノチを知らない人、、、お金があってもイノチを知らない人、、、出世してもイノチを知らない、、、優生学なんていうバカ学問が跋扈した恥ずかしい歴史を人間はもっています。
イノチに気づけないという恥に、私たちは気づかねば、次の時代を築けないと思います。
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イノチの話② をお楽しみに