物にも現象にも何の力もない

結果主義が横行しています。ヘッドハンティングが重視するのも、即戦力だそうですし、家の中でも、旦那がいくらかせぐかが、大きなテーマになってしまいました。

ひと昔前なら、旦那がいくら稼ぐかよりも、何をやっているかが、重視されたように思います。

ともかく今は結果主義です。でも結果にはそんなに意味があるのでしょうか。

フリーエネルギーの考えでいうと、結果には何の意味も力もないのです。結果はすでに終えたことであって、もう放っておけば良いことなのです。

しかし私たちは結果を重視し、結果によってまるで未来が決まると勝手に考えてしまいます。

わかりやすく病気を例にあげてみましょう。例えば、癌などの重病にかかった人がいたとしましょう。

結果には何の力もない、、、との立場に立てば、癌は放っておけば良いものとなります。

しかし私たちは癌になったら大変だとばかり、色々な治療法を探し、自然療法だ、食事療法だと、、、色めきたちます。

気持ちの上ではそれは確かにわかりますし、何としても治したい、、、と思うのは自然な人の情だと思います。

自分自身癌になったことを思えば、同じようにきっと考えてしまうと思いますが、やはりそれは間違いなのです。

癌は結果ですから、結果を生み出すところの原因が何かあったはずです。

病前の生活や病前の悩みや無理など。また、本当に大きいのは、病前のその人の意識ですが、そうした原因があって、その結果として癌になったわけです。

癌は結果であって、何か、偶然に運悪くできたものとは違うのです。この世はすべて原因と結果が対になっていますから、偶然はありません。

必ず、原因があるのです。とくに意識がもたらす面が大きいので、そのことがなかなかわかりにくいのだと思います。人の意識は癖や枠にはめられて、なかなか変わるものではないからです。

しかし、言えることは、確実にその意識が癌などの重大な病気をもたらすのです。食べ物や習慣は次の原因です。意識が最終的に物事を実現させるのですから、病前意識が重要です。

しかし、私たちは癌にかかった場合、運悪く癌になったと思い、病前意識がそれをもたらしたなどとは考えません。そのため、早く治して、また元の生活に戻らねば、、、と思ってしまいます。

病前の生活とそれをはぐくんだ意識が癌を生み出したというのに、早く治して、また元のように暮らしたい、、、だから治るわけがない、という道理となるのです。

本当は結果は放っておく、、、それが癌であろうが貧乏であろうが、どんな苦労であっても、結果は恐れることはないのです。結果にはもう力もないのですから。

結果主義はその際に邪魔になります。結果がすべて、、、となれば、何としても悪い結果を排除し、それを治したり、良くしようと思ってしまいます。

しかし、大きな原理に照らし合わせていうなら、結果を結果で変えることはできません。分子同士がいくら争っても助け合っても、分母が伴わなければ整数にはならないように、結果は結果であって放っておく以外にないのです。

では、永遠の結果に私たちは甘んじなくてはいけないのでしょうか。そこが違うのです。結果は放っておくしかありませんが、この世は、いくらでもやり直せるところなのです。

あの世とこの世、霊的世界と現実世界の違いは、やり直しがきくところが大きな違いなのです。

うまい具合に思ったことが実現するには、ある程度の時間がこの世ではかかる、タイムラグがあります。あいつ、殺したい、、、といくら思っても、そのうち気分も変わるし、むしろあいつのこと、本当は好きだ、、、というくらい、大きく変化してしまうのが、この世の私たちです。

霊的世界は一直線ですから、嫌いは嫌い、、で永遠になりやすい。なので反省もしにくいし、気づきにくい世界です。

やり直しができるこの鈍い現実世界のありがたさがこの世の特徴なのです。まさに愛の世界です。

なので、意識を変えるには、この世はチャンスがいっぱいあります。癌になる、、、死ぬかもしれない、、、だからこそ、これまで考えもしなかった新しい自分が見えてくる、、、、

新しい意識が芽生える可能性が出てくる。すべては意識がつくりますので、癌になって、それを放っておいて、病前意識の問題点にもし気づくことができたら、、、、それはこの世でしかできない、恐ろしい発展を生み出すのです。

新しい意識、、、癌になったことによって芽生える新たな生命観、、、自分の人生、、、人が生きること、、、私たちの世界、、、残される者への思い、、、人間や地球への思い、、、植物や動物への思い、、、、

自分の肉体の危機に際して、どんなにか新たな意識が芽生える可能性があることでしょうか。

病前にはなかったこれらの意識の開花の前で、人は、もちろん治りたいが、治ろうが治らなくても、もうかまわない、、、、という意識の段階に至ることがある。

奇跡はそうした際に起こるものなのです。なぜなら、新たな意識が芽生えたら、新たな意識は新たな結果をもたらします。

癌という過去の意識の産物はもう新たな意識の前で不要なものになるのです。

貧乏も同じ、、、失恋も同じ、、、すべて不幸と思える結果は、新たな意識を得る階段になってくれる、本当はありがたい構造をしているのです。

何としても、癌を治す、、、どんなに金をかけても治す、、新しい療法を取り入れて、何としても治す、、、

お金があるうちは癌は治らない、、、という話しを聞いたことがあります。治して、元に戻る、、、という考えに間違いがあるのです。

結果も現象もすべて何等かの原因があり、それ自体はすでに終えたものとなります。結果がすべてを支配し、運命を決めてしまうように見えるのは、意識が病気があっても変化してない場合に限ります。

日本で言えば、原発事故があったにも関わらず、再び同じ道を歩もうとしている、、、これは非常に怖いことです。さらに大きな現実が起こることを確定させたわけですから。

意識を変えようとしない政治は必ず大きな問題を引き起こして大勢の道連れを要求することになるでしょう。

ひどい話しですね。癌になっても考えを変えない人、、、原発事故が起きても考えを変えない政府、、、エネルギーの法則から言うと、とても危険なことなのです。

物と現象には何の力もない、、、フリーエネルギーの原則です。物や現象に力があるうちは、フリーエネルギーにはなりません。

無にしか、意識にしかエネルギーはないのです。法則はもちろんあります。

圧の高い方にエネルギーが集合します。

ギャップを埋め合わせる際にエネルギーが集合します。

物理圧よりも意識圧が優先されます。イノチはひとつという意識圧よりも高度な圧はありません。

なので、自分だけが、、、という優劣の発想は、最終的に不自然な狂気の世界を現出させ、自滅していきます。

この世にもし悪い宇宙人がいたり、悪い人が上にいたりして、一定の空間を支配できても、そこに永遠性がないのは、宇宙の法則によって決められているのです。

意識の全体性の方向は、自然そのもの。物の永遠化を願う意識は人を肉体と捉え、臓器移植やクローン化を目指す方向でしょう。しかし、答えは見えています。

物と現象には何の力もない、、、、という時点に立たない限り、次の新しい世界は私は訪れないと思います。

ただ、その時点に立って世界を捉えるなら、驚くようなことが開示され、信じられないような出来事が、奇跡が簡単に手にできるようになるのです。

具体的にそれは何なのか、、、ほんの少しの少しですが、宇宙原理に照らし合わせて考えれば、信じられないようなアイデアの実現が無数にできます。

すべては本当はフリーエネルギーによって私たちは生かされていたのです。それを、あたかも人が発行しているお金で生かされていると思うほど、私たちは落ちぶれてしまっているのです。

このフリーエネルギーを積極的に利用応用すれば、信じられないことがたやすく実現できるようになります。

あらゆるギャップにはエネルギーが入るのです。そのギャップを埋め合わせようとして。いかにギャップを作り、それを応用利用するか、、、幾多の例をこれからお目にかけたいと思います。

尾山台の私のお店でも、色々な実験ができますので、楽しめると思います。

フリーエネルギーは簡単な原理なのです。しかし、難しいと思わされていただけです。また、幾多のフリーエネルギーがこの世にはありましたが、どれも、本当の基本原理に触れることがなく、限界があったと思うのです。

ギャップを埋め合わせる際にエネルギーが入る。反作用こそが宇宙に共通する唯一の力なのです。

そこに確信的な理解があれば、色々なものを開発することは簡単です。やがてそれらがあらゆる病気もあらゆる不幸も流し去る、喜びの時代が訪れるはずです。

いや、すでに訪れているのです。ただ実行すればいいだけです。すでに勝敗は決しており、不安も不要であれば大上段に構えることも不要です。

宇宙の当たり前の原理をただ享受するだけでいいのですから。自分に力があると思っているからできないだけです。人にも物にも現象にも何の力もないのです。

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