続 この世の仕組み

前回のブログ、この世の仕組みの反響が大きかったので、続 この世の仕組みを書かせていただこうと思います。

謎解きは誰にでも関心があるものですが、この世の謎でもっとも大きなものは何でしょう。

大上段に私ごときが言えるものではないのは当然ですが、こればかりは仕方ないというものがあり、その仕組み以上のものは、存在しないと私は思っています。

それは何かというと、物には何の力もない、、ということです。これまでに何度も語ったことですが、私たちは物や現象を見て、あたかもそれ以外のものはこの世に存在しないとかたくなに信じています。

物には何の力もない、、、ということを教えていただいたのは、もちろん飯島先生です。

物は結果であり、結果には何の力もないのです。

このことをどの程度まで理解できているかで、やり方も考え方も生き方もすべてが変わると思うのです。

私たちの体も物です。食べ物も物です。エネルギーも物からです。見える物はすべて物ですので、物がすべてであると思うのも仕方ないかもしれません。

しかし事実は一つです。私たちは食物に力があると思っています。カロリー信仰はこのところやや下火のようですが、カロリーで私たちは生きているわけではないのです。

もちろん、現代の物理や栄養学ではまだまだその考えが大きいでしょうが、私たちはカロリーを消費して生体を維持しているわけではないと私は思っています。

なぜなら、物には何の力もないからです。物を物たらしめている力は存在します。

なぜ、物が維持され継続してそこに存在しているのか、、、常にエネルギーが入っているからです。

その意味では、物は力を反映していることは事実です。しかし、物自体に力があるわけではないのです。

エネルギーの集積と集合が物を維持しているわけで、集合と集積が終われば、物はすぐに解体を始めます。

人間の肉体も物ですから、エネルギーが集まっているうちは健康で元気でいられますが、崩壊の過程に入ったら衰え、やがては死に至ります。

物が周辺圧よりも高ければ、物は集積を続けます。周辺圧よりも低くなれば、解体と崩壊を開始します。

もっともわかりやすい現象ですが、あらゆる物は意識によって作られていますので、物理圧よりも意識圧が強くなります。

肉体維持の上で、口元をしめて、筋肉質の体で圧力を高めることは有効です。少なくとも口をポカンと開けて力なくだらりとしていれば、周辺圧に負けて風邪などひきやすくなったりしますが、物理的な圧力もさることながら、物を生みだす意識のウエイトがはるかに大きいのです。

意識圧によって私たちは物や現象を生みだしています。私たち一人一人はすべて創造主と同じ仕組みをしていることになります。

意識によってすべてを作り出しているのですが、私たちはそのことを知りません。

自分が肉体であり、物だと思っているからです。その意識に引かれて重たい体を引きづるように私たちは生きています。

自分は意識なのか、、、それとも肉体なのか、、、これこそが究極の問いかけです。

これ以上大切なものは、私はこの世に存在しないと思います。

意識、、、意識は大切だよね、、、と、誰もがいいます。しかし、すべての物を意識が作り出しており、意識は永遠で自身が意識体であるとの観点に立ったなら、意識は大事だよね、、、などとはいえなくなると思います。

それ以外ないからです。このことが分かれば、考えも行動も順番が変わります。

金を貯めればどうにかなる、、、食事を制限すれば健康になる、、、出世したらうまくいく、、、美人になれば得する、、、良い人になれば好かれる、、、権力を得さえすれば何でもできる、、、

まず物ありき、、まず組織ありき、、、まず肉体ありき、、、そして地球はひどいことになってしまいました。

人間の歴史はひどいことになってしまいました。

人間が生みだした学問や集積したチエが、根本の間違いによってひどい現実を生みだしてしまいました。

まず、意識ありき、、、意識がすべての物をつくるのですから、意識が変わらない限り、何もこの世のことは変化できないのです。

私たちはお金さえあれば、、、とつい考えてしまいます。しかし、毎月100万円自由に使えても、すぐにまた元の運命と同じものが訪れます。

決して人生は変化しない。そこから得るものは何も変わらない。いや、物質信仰が増大した分、毎月100万円のお小遣いは、むしろその人をさらに貧しくさせいくことになるでしょう。

どこかで足ることを知って、100万円を感謝のうちに使うようになれば、それは意識の変化によって新たな生活がもたらされる。

ここで引き寄せの法則を思い出すかもしれませんが、あれは意識変革とは多少異なる発想です。

まず、物質界のこの世的な価値が意識にあり、その達成のために引き寄せ法則などという田舎理論のような構造をしていると思います。

引き寄せても引き寄せても、大事なのものは、その本質はまだまだ物質なのです。そのため何も変わりません。

物質には何の力もないのです。意識を、金持ちになりたいとかいう欲求の使い走りとして利用しようとする、きわめて物質重視の姿勢です。

そうした意識がもたらすものは、限界のある、不自由な物質化です。

引き寄せがたとえ成功しても、物質信仰を深めることになり、不自由な人生になっていくでしょう。

意識か物か、、それはどちらのウエイトが大きいかではなく、究極の問かけとなります。

私たちが意識であるとなれば、死ぬことはなくなります。物は意識が生みだした結果ですから、意識には死はありません。

色々な宗教も哲学もこの世にはありますが、この根本に言及しないものは、すべておかしいのです。

覚者もいりませんし、聖者もいりません。命は意識で、意識がすべての現象や物を生みだす優先的なものだと知ること。それを生かす人生を歩むこと。

意識以外からこの世は作れませんから、それぞれの意識に沿った現実を実際に私たちは作っているわけです。

物や順位や金が私たちの運命を作っているのではありません。そうしたものが自分を生かしも殺しもすると思っているから、そうなっているだけです。

自分が作ったもので自分を縛っている私たち。もったいない話しだと思います。

連休の合間に、時間がある時には、違った意識になりやすい面もあると思いますので、私も日頃忘れてしまいがちな意識に思いを寄せてみることにしたいと思います。

どうしても目に見えるものがすべてであると、私も思ってばかりです。しかし、事実は違うと思うのです。

自分とは、意識なのか、、、肉体なのか、、、、これだけは、生涯問い続けなくてはいけない、人生の真の目的であると私は思っています。

私の活動は常にその視点から行っていますが、これまでにためてきた動画もありますので、連休のお時間がある際に、よかったらご覧ください。

かなりの動画があり、意味不明のものもありますが、音に関した動画、、、服に関した動画、、、声、、、マントラ、、、すべては意識へ至るための条件付けとしてこれまで蓄えてきたものです。

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