静寂の中における情報の書き換え
現代は騒音が激しいというのが、大きな特徴です。騒音は単に不快であるだけでなく、もう少し大きな意味を持ちます。
騒音はノイズです。私たち現代人はノイズ支配されているということもできるのです。
食べ物にいくら添加物が入っても、空気がどんなに汚れていても、それに気づきさえすれば、それなりの防御ができますが、音を避けることは難しいです。
遮断空間を作ってノイズを消すこともできますが、そうなると遮断空間にしかない音を聞くだけで、人の脳は非常なストレス状態に置かれます。
たとえば、森の中で落ち葉を踏みしめて歩く音には、いったいいくつの音があることでしょう。おそらく無数の周波数が渦のような状態となり、無数の倍音が発生し、人の脳は喜びます。
音がイノチを震わせ、組織を活性化させるのだと思います。その原理は認められてはいませんが、間違いないと思います。周波数同士が溶け合い、平板化する中にイノチの吸引化が起こるのです。
異なるものが一体となって溶け合う以外からエネルギーが出ることなど本当はありえないのです。
騒音によるノイズ攻撃は意図されているかどうかは知りませんが、確実に現代人を深いところで悩ませています。
ただ、人間が生きている以上は、私たちの生体は生きる方向へ向きたがる性質がありますから、ノイズを不快に感じることで心理的な防御をしたり、イノチの音に反応したりその吸収を行うことで、エネルギーを得ているわけです。
イノチの音と接することは現代では意図的に必要な気がしますが、それには、安全な528Hzを安定的に出すチューナーなどがあると良いという観点から、私はこの三年間取り組んでいます。
その中でさらに自身の声と和合させるチューナー母音トーニングの重要性を知りました。
チューナーとともにトーニングすれば音が安定し、安全となる意味で大きいのですが、原理的には声だけでもいいのです。
要するに母音トーニングです。これならただで、どなたでもできます。
自分の声は自分で聞くと嫌だという人が多いですが、逆に好きな声もあると思います。好き嫌いというよりも、自身で発声していて、納得ができる声、、安心する声、、、癒される声が、どなたもお持ちなのです。
その声のままに、力むことなく、アーやオーやウーなどとトーニングする。
その効果はおかげ様でかなり多くの人によって実践されて確かめられています。トーニングが深まれば、心持ちが変わり、お顔も変わり、生き方も変わります。トーンングしながら、泣き出す方も大勢います。
頭ではなくて、もっと深い情報に行き着くことができるからです。
ただ、その原理の中で重大な一つの事柄があります。以前から言ってまいりましたが、音が消えたあとの静寂についてです。
チューナー施術の方法においても、振動が終えたあとの静寂にこそ力がある、、、という観点からセミナーなどで教えておりますが、母音トーニングにおいても、それは重要です。
母音トーニングすることで、私たちは自身の深いところにアクセスします。そして、イノチの観点から見た私たちが持っている情報、、大体は問題がある情報です。
ノイズなどによってゆがめられた情報に、母音トーニングは働きかけ、そのゆがんだ情報を修正し、書き換えることができます。
ただし、その書き換えはトーニングを終えた後の静寂の時間に行われるのです。
これまでもトーニングの重要性とその後の静かな時間を持つことの重要性については語ってきたつもりですが、このたび、改めて、その重要性をさらに強調したいと思います。
情報書き換えには、母音トーニングののち、最低でも1分の時間が欲しいのです。これまでですと、次のやりたいことに目が向きがちで、静寂の時間が10秒程度しかありませんでしたが、これでは非常にもったいなかったのです。
もっと長い静寂が必要でした。変容を確実にするには、もっと静寂が必要なのです。中には瞬間的に悟る人もいますが、それはそれとしての話しです。
母音トーニングののち、一分程度の静寂を味わっていると、敏感な人は、自身の奥の方で、情報が書き換えられている感覚がわかると思います。それを信用してください。そして、終えた、、と思うまで静寂の中にいてください。
100回のトーニングを行うよりもより大きな成果がきっと出てくると思います。
お経なども、もったいない話しで、大昔のおそらく読経においては、その後、かなり長い静寂があったのではないでしょうか。
その部分がのちに座禅となっていったのかもしれないと、勝手に推測しています。
そうなると、座禅もただ座禅するのはもったいないことで、音出し、、、すなわち、トーニング。お経でもいいのですが、それと座禅をセットで行えば、恐ろしい効果がでるはずです。素人考えで不快に思われる方もいるかもしれませんが、試してみてください。
常に最新情報をインストールするパソコンのように、人間も常に深い部分の情報を書き換えてイノチの元に戻せるようになっているのです。
そして一人ではなく、二人の母音トーニング、、三人の母音トーニングと増えていけば、音は複層的に拡大し、大変大きな吸引力の場を作っていきます。
聖書に書かれている、144000人の声の合唱は、世界を変えるといわれますが、それは本当にその通りになると思います。
大勢の人の声がトーニングになって音柱を立てていく、、、これ以外に方法はないのです。
なぜかというと、思想では人はまとまりません。皆違うのですから。言葉では人はまとまりません。みな違う言葉をしゃべり、思い入れが人によって違います。
唯一、自然発声である母音のトーニングのみが、他と反発することなく溶け合うのです。それは人と人との間でもそうですし、自然界が出す音とすべて母音ですので、人と自然との溶け合いも母音トーニングによってなされるのです。
母音を発声するときの思いは、人によって、すべて異なります。すなわち、誰一人、個性を失うことなく、すべての人と自然とが溶け合う方法は、母音トーニングしかないのです。
争いは起こりません。思想では争いが起こります。歌詞のある歌では、思い入れが人によって違ってきます。
唯一母音の発声のみが争いを生むことなく溶け合うことができるのです。聖書はおそらくそのことを語っているのではないでしょうか。
やりたいと思います。144000人の母音トーニングがなされたとき、、、それは素晴らしい夢です。