天へ注文する生き方

昨晩は土橋先生のセミナーがあり、私も出席しました。先生とは施術セミナーや美容セミナーで二日間ご一緒し、その時に話す機会があるのですが、一受講生として先生のお話しを聞くのは初めてだったのでとても新鮮でした。

乳がんの話しが出たのですが、右の乳癌と左の乳癌とでは、がん発生に及ぶまでの生活態度や内容に違いがあるというのです。

右の乳癌の人に多いのは、理論的で性格は強く、自分は一生懸命やっているのに、それをわかってくれないと、常にイライラしている、、、頭がよく、何でもよくでき、手抜きをしない。要するに完璧主義的な面があると。

反応も早く負けず嫌いな女性に多く、おそらくご主人は家に帰っても落ち着いた気分にならないのでは、、、と予見させるような女性。

こうした人は右の乳癌になりやすい傾向があり、一方、左の乳癌になりやすいタイプは、夫婦仲は良く、競争心もそれほど強くない。人の言葉もちゃんと聞けて、自分自身を反省できるタイプらしい。

しかし、人に指示するのは苦手だから、すべてを自分がやることに、、、重たい荷物を誰かが持たなければならないケースでは、なぜかその人が持つようになってしまう、、、きつい仕事がある場合も、なぜかその人がやることになっていく、、、、その結果、とにかく体がボロボロに。

これが左乳がんの人の癌にかかる前の特徴であり、生活態度であると、おおよそだがと、前置きされて話された。

決めつけてはいけないがと、土橋先生は念を押しておられたが、長年見てきた率直な医師としての感想だと思う。

癌に限らず、病気になると、人は以前の健康な体に戻りたいと思う。そのことは自然な感情であるものの、だから病気が治らないという面がある。

病気がなぜ起こったのか、、、それは、病気以前の生活態度、習慣、考え方、もっと言えば、意識の持ち方があったはずなのである。

それを変えることなく、たとえ病気が治ったとしても、また再発、、、さらに悪化の道をたどることは容易に想像がつく。

病気とは、その病気を生み出したところの病前の状況があるはずで、それを変える要望、要請として病気が出てくるということができる。

すなわち、間違った生活態度、何より、間違った意識が生み出したところの病気であるとの認識に立ち、それとは異なる新たな意識と生活態度をかなえることによって、病気はその人を長生きさせるために起きた現象であるということになっていく。ありがたいものなのだ。

なので、病気になった以上は必ず治る、、、そのセットになっていると運命的には考えられないだろうか。

病気を生み出したところの意識と生活態度を変えることで、長生きできるようにするために、病気は起きた、、、

なのに、人は、早く以前のような状態に戻って、また前のように働きたい、前のように暮らしたい、と願う、、、まるで逆なのに。

これでは確かに病気は治らないだろう。

病気には必ず、メッセージがあるのだ。ひふみでは、病気は神から白紙の手紙をもらうことぞ、、、と確かあったと思う。それを読み解くのはおのれぞ、、、と。

昨晩のセミナーでの展開もまさに同様。病気はただ治せばいいのだろうか、、、、そうではないということ。気がつかなければいけないということ。

意識が変わらなければいけないということ、、、命がかかる病気だからこそ、それができる。

治ろうとしても癌は治らない、、、何とかして、最高の治療を受け、、、まだ、死ぬわけにはいかない、、、人情としてはよくわかるものの、そのパターンにはまったら治らないのが癌なのかもしれない。

治そうとしない人に助かる道が開いていく、、、病前意識を変更し、新たな視点に立った人の癌が治っていく、、、

もちろん、すべてに当てはまる話しではないと思うし、私も多少誇張して話しているかもしれないので、絶対とは言いません。しかし、こうした視点で病気をとらえることができたら、それは気づきであり、神からのプレゼントとさえ言えるかもしれない。

癌はその人を長生きさせるために起きる病気、、、そうしなければ、きっと突然ぶっ倒れて死んでいたことだったのかもしれない。

癌という時間猶予が与えられ、命がけで、病前意識を変える機会を得たのです。意識さえ変われば、意識からしかエネルギーはやってこないので、どんな窮地からも脱出することができる。

本当にどこからどこまで、この世はありがたい仕組みとなっているのだと思う。

さらにありがたいことは、天に注文すれば必ず、注文した料理を天は作り始めるという。

料理完成までは人間時間とは異なる面があるかもしれないが、必ず、注文した料理は出てくる。

そして、天への注文が、自我を超えたものである時、大きな大きな背後の力添えが得られるように働くという。

人間には、実は何ひとつ生み出す力も、創造する力もない。人間自体は空っぽ。しかし、作用を起こし、その反作用によって神の力が加わり、すべてのことを起こしていく。

私たちがやっているのではない。神がかかって行っているに過ぎない。私たちは注文するだけでいいのだ。

すなわち、作用。作用が起きれば、必ず反作用がやってくる。それが神の力。

自分の力に頼るのもいいが、それは右乳がん的世界の扉へわたしたちを運んでしまう。もっと小さな作用、、、すなわち、意識の作用が見事だったら、大勢の神が私たちの後ろについてくれるのだ。

課の全体の利益を考える人が課長になるのがよく、部全体の利益を考える人が部長になるのがよく、会社全体の利益を考える人が社長に就くべきなのだ。

あなたの意識はどのレベルで天に注文を出そうとしているのでしょうか。注文すら信じない多くの人がいる中で、自立に焦り、自分だけの世界をつくり、金だけを抱こうとする、、、、それだって天に注文すれば得られなくもない。

しかし高い視点にたって天に注文を出す人が多くなれば、この世はあっという間に変わってしまう、、、、意外に簡単な構造をしているのかもしれません。