開運食事会を終えて

昨晩の開運食事会は、すでに開運された思いで皆で食事を作り、食べましたので、とても楽しかったです。

7名でお鍋を囲みました。水炊き。ポン酢、ごまだれ、その他、いくつかのお好みの味があったので、飽きずに食べられました。

お鍋なので簡単にできましたが、私は特製とろろ飯を作り、好評でした。関東ではあまり食べない味噌仕立てのとろろです。その他、最後には雑炊もあり、見事に平らげました。

半年後に本日の開運結果を持ち寄ろうという約束で、また行うことになりました。さて、どうなっているか楽しみ、、、、

開運についてお尋ねがありましたので、私は自分を空にすることと応えた。

よく言われることだと思いますが、空とは、自分には何の力もないということ、、、自分でどうにかしようとするのは当然でしょうが、本当は自分には何の力もない。

自分だけでなく、目に見えるすべてのものには、力などひとつもない、、、というのがフリーエネルギーの基本となる考えです。

力は天にしかない、、これが言葉の上だけのことではなく、物理的にもそうなのです。

体の良い食べ物も、悪い食べ物も、本当はない、、この世にあるものはすでに結果としてあらわれたものだから、それ自体はもう終えている。

結果を生み出すところの原因に働きかければ、無の世界からいろいろなものが現象化してくる。

それを自分がやろうとするから疲れる、、、得意になる、、、がっかりする、、、すごい人とダメな人に分かれるように思える、、

人間はすべて空っぽ、、、空っぽだから、無の世界とコンタクトでき、つながることができる。

中にガラクタがたくさん詰まっていると、それができない。すでにあるものを通して、何とか人は頑張ろうとするが、結果物からは何も始まらない。作業するだけの人生で終えていく。

生まれ、存在する以上、必ず意味と価値があるのですが、目に見えるもので自分を評価すると、そのことがわからなくなる。

一度空っぽとなって、中に詰まったものを吐き出してみると、天とつながる、、、安心感が出てくる、、、天が何とかしてくれるのだから、これほど安心なことはない。

不安から自分で何でもやろうとするとどうしてもたいへんであり、さらに不安が高まる。

空っぽになっていくと、自然な思いが出てくる、、、やりたいことが自然と出てくる、、

天はそれを待っている、、、空っぽになった人を見て、よし、これをやってもらおう、、、と、やっと天はその人間を使うことができる。

たとえ、人間にはわからなくても、天の意思を自分が体現している際には、喜びが訪れる、、、うれしくなる、、、やる気が起きてくる、、、苦しくてもうれしくなる、、、そこらへんがおそらく合図。

開運とは、まさに空っぽになって天に使われる人になることに尽きる。

こちらに責任など何ひとつなし。空っぽになって、やる気が起きて、やってみることは、天の采配に沿った内容になる。だからうまくいかないわけがない。

半年後がとても楽しみです。不思議な体操も教えたし、、、

今週の土日のMI池田山ハウスの予定ですが、本日の土曜日は午後3時から週末トーニングを予定。ただし、私が出張ですのでスタッフにお願いしてトーニングを行います。いらしてください。

日曜日の無料セミナーはお互いに拝み合う会となります。お互いを拝み合うことで、お互いがその背後にあるものとの縁を感じ、相手も自分も大きな存在であることが伝わるセッションです。

当初、12時15分から予定していましたが、有料のセミナーがあるため、午後4時半からに変更します。日曜の午後4時半から、無料セミナー「拝み合う」です。宗教とはまったく関係ありません。