ちゃんと生きるとどうなる

私はちゃんと就職したことがほとんどない。20代で多少ちゃんとした就職をしたことがわずかにあるが、その時が一番経済的にも時間的にも肉体的にも苦しかった。

父はフリーター元祖のような私をみると、もっとちゃんとしなければダメだと言ったが、母は、ちゃんと稼いで家に迷惑かけてないんだから、いいじゃない、、、とよくかばっていた。

私自身は両親の意見など馬耳東風である。こちらの人生の責任を親がとれるわけないとおもっていたからだ。

父もうるさく言うことはなく、思いついたように言うだけでだったので、ストレスを感じた記憶はない。

しかし、もし私がもっといい子ちゃんで、親の言うことを真剣に聞いて、ちゃんとしていたとしたら、今ごろ何をやっていたのかと思う。

紅亜里先生が私のホロスコープを見て、まあ、大きな椅子には座れるわね、、、と言ってくれたので、もしかしたら、中堅の会社程度でそれなりの地位には就けたのかもしれない。

時代も成長期だったので、定年までなら、ギリギリセーフで行けただろう。同期の人たちを見ても、ほとんどは同じ会社で定年まで過ごし、今、リタイアの真っ最中である。すべて予定通りに行けた最後の年代ではなかろうか。

私はそうした路線から外れて、独立志向で生きてきたので、確かに苦労はしたかもしれないが、その分、かなり自由には生きてこれた。みずがめ座の私にはその方が合っていたと思う。

父は4人の子供を中学から大学まですべて私立に通わせたのだから、経済的な苦労はきっとあっただろう。その中のたった一人の男の子が、ちゃんとしてくれないので、さぞヤキモキしたのだろう。

そして今思えば、確かにあの時代なら、まだちゃんと生きた方がうまくいく確率は確かに高かったと思うのだ。自立した友人や知人がほとんど挫折を味わっているのを見てきている。それに比べ、大きな会社に入った人はほぼ安泰で定年を迎えている。

しかし、現在はかなり違っている。ちゃんと生きたいという希望は変わらずに人々の心にあるが、ちゃんと生きるとどうなるのかの、先がまったく見えてこない。

ちゃんと就職しても、この先、何年、会社は持つのだろう、、、それは誰にもわからない。むしろ永遠に持つとは考えにくいケースが非常に多い。

大会社もしかりである。銀行だってつぶれる、、、大会社も潰れる、、、そういう事態がこの先数十年も来ない、、、と考える方が非現実的に見える。

政府だってそうかもしれない。政府というのは、意外によく潰れるものなのだ。江戸幕府がつぶれて明治政府になり、大日本帝国の政府は太平洋戦争とともに潰れている。それに付帯する通貨も債権も同じ運命をたどったのだ。近年で二回も起きている。世界を見渡せば、さらに頻繁に起きているといえる。

ちっとも安全じゃない。

ちゃんと生きるとは、時代が安定して同じ傾向が長く続く際には、安定路線が強みとなる。戦後の日本がまさにそれだった。しかし、色々なきしみが出てきており、今のままでは続くわけがないと、だいたいの人は認識している。

そろそろ変革があったとしてもおかしくない状況と時代。その際に、たとえば、会社が潰れてしまう、、、それが大企業だったとしても、果たしてキャリアとして認められてもらえるだろうか。

まず無理だと思う。一般のデスクワークにキャリアはほとんどないも同然。

ちゃんと生きてもどこにも保障がない時代。厳しいがそれが現実だと思う。

ちゃんと生きると、必ず、何かの仕組み、、何かのレール、、、何かのたくらみ、、、何かの犠牲にされる道に入っていく。

時代が長い間安定している際にはそうならないが、時代が先細りになっていくにしたがい、坂道を転がるように何等かの穴に吸い寄せられてしまうのが、ちゃんとした生き方である。

就職先を見つける際にも、ひとつの職場の一つの席に何十人もの志願さが集まる。みんなちゃんといきようとしている人たちばかりだ。頭脳も優秀。だから競争は激しく狭い門になってしまう。

ちゃんと生きようとすると、答えや判断がみんな同じになっていくのだ。そしてますます集まり、チャンスは薄くなっていく。

どんなに優秀な企業人でもそれがキャリアにならない時代なら、最初からちゃんと生きない方が得になってはいないかしら。

何社も受けてダメなら、ちゃんとしない生き方でこれからやっていった方が、むしろチャンスが多くなってはいないかしら、、、、と。

ちゃんとできるなら、それももちろん素晴らしいですが、ちゃんとした道に進めないものを感じたら、ちゃんとしない道を取った方がすでに有利だと。

たったひとつしかないノウハウに価値があるとすれば、まさにちゃんとしない生き方には、キャリアが詰まっていく。反対に制度や組織で得たキャリアの価値は下がっていく。

ちゃんとした願望は、幻想であり、恐怖であり、両親の押し付けであり、いい子ちゃん病であり、自分への不信であり、可能性に対する裏切りであり、何より言い訳なのかもしれない。

ちゃんとしたものは、本当は自分の中にしかありません。なのでちゃんとしたものを外に見つけようとする努力は、きっと徒労に終えるでしょう。

相撲力士が入門したてのころ、親方は、金も女も家庭も、みんな土俵の中にあるんだぞ、、、と教えたという話。

それが、大学卒になり、、、東大となり、、、一流企業への就職となって、ちゃんとした信仰に発展したのですけど、どちらもズル。

金も異性も家庭も、、、みんな自分の中にしかない、、、という教えの方ががぜん健全に思えないでしょうか。

金、異性、家庭、、、もちろん、そんなことでない希望や思いも、自由に持てるのが、自分の道。自己実現への道も、きっとちゃんとした信仰の中にはないと思う。

ちゃんとした信仰に無理が生じ、すでに終えようとしている金輪際に、ごまかされないように生き、本当のキャリアを積んで行きたいものです。