肉体との対話

世の中にはいろいろな健康法があると思う。私も出生時の月が保険健康を表す6室にあるせいか、健康法を色々試すのが好きだった。

20代のころから、ビタミン健康法、ゲルマニウム健康法、カルシウム健康法、花粉健康法、電磁波健康法、陶器枕の健康法、ぶら下がり健康法、マカ健康法、繊維質健康法、三点倒立健康法、竹踏み健康法、一日絶食法、逆立ち健康法、、、鉄分補給や黒酢、青汁とまあ、色々やったものです。

大体は最初はそれなりにどれもよいのですが、ずっと続けていくうちに、何か慣れてしまって、ほかに目が行ってしまう、完全な健康法おたくだったのが、30代の時でしょうか。その頃が体調が一番悪かったです。

一切の健康法をやめたのが40代のころで、その頃から体調も回復したような。

ぶら下がりや、逆立ちはかなり良かったので、今でもたまにやりますが、おかげでヨガの三点倒立は支えがなくてもできるようになりました。私ができる唯一のヨガのポーズです。

何十年もヨガをやってる知人のおばさんが、あら、私はそれだけはできないのよ、、、と言われて驚いたことが。私はこれしかできないのに。妙な気分。

マカなんかは、品質が悪かったのか、気分が高揚するどころか、気持ち悪くなってやめ。一番ひどかったのは、繊維質健康法みたいのがあって、好きなだけ食べていい、、というダイエットも兼ねる方法でした。

繊維が腹の中で膨れるので、すぐに満腹感に満たされて痩せられる、、というふれこみだったのですが、私には一向に満腹感が訪れない。結局10キロ近く太ってやめました。

皮肉なのは、一切の健康法をやめてからどうにか健康状態が訪れた点。今、考えると不思議ではないのですが、当時は、きっと何かいいものがあると、一生懸命だったのです。

しかし、ひとつ、完全に欠けていたことがありました。それは自分の肉体との対話でした。

それがなくてはダメなのです。健康に関しても、美容に関しても、イノチのありように関しても、肉体との対話がどうしても必要になります。

肉体との対話とは何かですが、対話する以上、対話するものがあるわけです。そう、肉体と対話する以上、肉体でない自分との対話にならざるを得ません。

私たちが一番間違いやすいのは、自分が肉体だと思ってしまう点です。肉体ではなく、意識の自分、意志、感情はかなり肉体と近いものの、やはり肉体とは別のものです。

それを捕まえることは難しいかもしれませんが、意識は間違いなく存在していますよね。それと肉体と対話させることで、自分が意識体である点が逆に浮かび上がってくるのです。

肉体との対話とは、肉体の自分を自分の意識が運転や操縦しているようなもので、主体は必ず、意識となります。

これは誰がやっても同様です。肉体と対話を始めると、主軸は自分の意識の方になってきます。

さて、そこで覚えた健康法は、意識が肉体に働きかけるわけですから、「心臓さん、大変だったね。ちょっと休もうか。さあ、もうひと踏ん張り。がんばっておくれよ。」

「胃袋さん、お疲れさん、、、苦労させたね。暴飲暴食で、お前さんのこと、気にもしないでいたよね。ごめんね。今夜はお酒を久々にやめて、胃袋さんが楽なうどんにしようかな。今夜はゆっくり休むんだよ。」

こうやって対話をすると、必ず、こちらの意識が上になります。それでいいのです。肉体は意識にそって動きたいのです。意識どおりに動いてくれます。

完璧な私のためになろうと一生懸命になってくれている本当の親友が肉体なのです。いじらしい存在なのです。ご主人の無理な命令でもイノチがけでがんばって達成しようとしてくれるのです。

そして無理させ過ぎて、結局体を壊させるのです。肉体が悪かったのではないのです。ご主人が間違っていたのです。なのに、体が悪いと思われるのです。そんな不当な思いがあっても、体はまだご主人に従おうとしてくれるのです。ご主人、、、相当ひどいと思いませんか。

そこでです。せめて、肉体との対話が必要なのです。

肉体と対話することで、私たちは意識が自分であることになるし、肉体はその意識には本当に忠実に従ってくれるのです。意識が喜びであり、意識がエネルギーなのですから。

肉体はご主人の意識によって語られ、見つめられることで、うれしく、エネルギーが再生できるのです。

「足さん、きょうは疲れたね。無理させてしまったね、、、ゆっくり休むんだよ。」と、意識と肉体との会話が行われば、きっと明日にはかなり足は喜び、治っているはずです。

肉体が自分だと悪い部分がまるで悪者にされてしまいます。それは滅びに至る考えです。

肉体を愛する、、、それにより、私たちは意識体としての自分に責任を持つことにつながっていくのです。

これにまさる健康法もあるのかもしれませんが、非常に有効なものだと思います。