時の流れと春の季節
この時期になると毎年思うのは、もう同じグループが一同に会う機会はおそらくない、、ということ。
その昔、数十人の仲間が久しぶりに顔をそろえた。葬式だった。
誰かが、初めてだな全員そろうのは、、と。すると○○がいないよ、、と死んだ仲間の名が出て、皆黙り込んだ。
一度別れた仲間が再びそろうことは本当に少ない。このときを共有できることの奇跡を人はその時にはわからない。
まだ誰も、何ともないと思ってる、ここで歌ってここで笑って。
昔、ラジオの携帯短歌から流れてきたフレーズがわすれられない。卒業まじかの女子高生の句だった。この時期になるといつも思い出す。
時とは何なのだろう、、、過去とは、、、
歳をとるとは、どういうことなのだろう、、、
昔からそう考えると、いつも独特の心の静けさと、独特の香りが思考から漂ってくる。
時、、、昔、、、
時は過去とも未来ともつながり、現在には過去も未来も同時にあるという。
青春時代、、、なぜか異性と別れるのはいつも春だった。三月という記憶の中に眠る、ずっと醒めない夢の手ごたえがよみがえる、、
確かに青春時代が今でもここにあり、最後の桜を眺めようとする未来の自分も、またここにあるのかもしれない。
春の夜の持つ不思議さに思いがゆくのは、きょう、初めて伽羅の香りを聞いたせいなのかも。
三百年も前の伽羅の香木、、、大変素晴らしい香りでした。
私の会社のすぐご近所に、佐藤画伯の美術館があり、本日はお邪魔をして、12名で、歌ありお香ありの春の日を楽しみました。
佐藤画伯はのこぎり山の日本寺に於ける絵画の大仕事のため、鎌倉からこちらに居を移しておられる。ご自宅は素晴らしい美術館になっています。
続いてミニ歌会の模様をご覧ください。