生きる。死ぬ。

昨日の天皇誕生日に私は静岡の駅前にあるプリヴェ静岡ステーションという可愛くてきれいなホテルにて、静岡放送主催のメッセージフォー・ユーの公開番組に出演してました。

3時間の完全生放送で、もう一方のゲストはドラえもんの声優をされている水田わさびさん。水田さんの声からは倍音がバンバンでており、隣にいても気持ちよかったです。

私のしゃべり方はおわかりの方も多いと思いますが、語尾がはっきりしないモソモソタイプ。丁寧に一音一音離される水田さんとは正反対でした。

音の力、声の力に関心があるのですが、本当に声というのは、まったく同じ声というものはなく、電話に出る兄弟姉妹や親子の声を時折間違える程度。

本当に神様は声にも顔かたちにも個性を持たせています。これを窮屈なことに一定の型にはめこみ、機械のように人間を動かそうとしても、土台無理な話しなのです。

マスゲームや軍隊の行進は一見きれいですが、トイレに突然行きたくなるような人も中にはいるのではないか、、、行進中に足を痛めたりする人もいるのではないかと思うと、きれいだと喜んでばかりもいられません。

学校教育も金太郎飴の増産に貢献しましたが、同じように反応を示す大勢の人を作って、一体だれが得するのでしょう。人間を機械同然にして得する時代は、もうとっくに終えているはずです。

昭和の大戦で、それはもう終えたはず。日本は文化国家として生まれ変わったのですから、本当は金太郎飴を作っても始まらないのです。オートメ化する工場と仕事、、、その分、人間が楽になればいいのですが、人間にもそれを強要しだす産業界や国、そして教育界。

本当に無責任だと思います。文化は百花繚乱が特徴。どこに行っても吉野家やスキ屋があり、ユニクロがあってジャスコ。西松屋、しまむら、、、○○○、○○、、と街道沿いはどこもいっしょ。

全国展開した企業は一時は飛ぶ鳥落とす勢いで儲かるかもしれませんが、決して百年企業になれないと思うし、はやりすたれの運命から消えていくのみ。

結局はうまく儲けて、いい時で止めて正解、、というようなオーナー意識により、人はボロ雑巾のように使われ、誰にも幸福をもたらさないシステムに。

儲けた創業者にしてみても、結局は死んでいく人間。冥途に持っていけるものなど何もない。

街道筋のお店だけでない、これから日本の企業が進む道はブラック企業化の方向でしょう。新しい魅力的なものが作れないので、従業員から搾り取って利益を上げるという最悪の方式を狙うわけ。政府もそれを応援という凄い話しにきっとなっていきます。

誰が悪い、というのではなくても、文化がないからそうなってしまうのです。機械的なものしか扱わないから、それに携わる人間も機械にならざるを得ない。

誰それさんでも、○○さんでも、何とかちゃんでも、そんなことはどうでもよく、機械力としてしか考えてませんから、一時間で何個つくれる、何個作った、どれだけ仕事させられるか、、、体を壊したらおしまい。次次とればいい、、、要するに悪魔化です。

悪魔化してみんなが幸福になればいいのだが、みんなが不幸になっていく。悪魔化、、言葉が悪いとしたら、ブラック化でもいいのですが、そうした企業にかかわる人が今後どうなっていくかよく見ておくといいと思う。

まず、従業員が不幸に落とされる、、それはそうでしょ。家族も趣味もあったものではないのだから。病気にならないのが不思議で運がいいとかいうレベルなのだ。

次に上位の管理職。さらに取り締まり役クラス、そして社長、そして創業者と、順次、不幸は襲っていくでしょう。

宇宙の本質からずれたことをしているからです。これから本当に早いテンポでそうなっていきます。

近欲すぎるのです。もっと本当に欲を出せばいいのに、近欲過ぎるから、目の前の一円まで儲けようとして関係する者たちの命を削ってしまうのです。

不幸の大本は金太郎飴の増産にあります。同じ人間を作っていけば、同じ飯をくわせればいいし、同じ電車に押し込めればいいし、同じような住宅に住まわせ、住宅ローンで鎖をつければいい、、、と。システムに人間も取り込むことで逃げれなくさせ、あとは搾り取る形。

そんなことがうまいのが東大の天才と言われて大きな顔をしてきた。本当はバカなんです。

命を知らずして人間や政治や社会をどう動かすというのでしょう。命をしればそれがおそろしく多様性に富んでいることがわかる。それに即応していけば、仕事は無数に生まれてくる。

仕事が無数に生まれてくるということは、人間の顔がそれぞれ違うようなもので、どんな儲け方もこの世にはあることになる。それによって皆、それぞれの生計を建てるとき、喜びが渦巻いてくる。

喜びが渦巻けば消費も弾む。思わぬ消費が出てくる。生きることが嬉しいんだから。それを色々な形で表現したくなる。どんな企業も儲かってしかたなくなる。

従業員によくすればするほど儲かってしまう。あまりに儲かるので、持ってけ、、ドロボウ、、というような風変りな創業者も出てくる。するとさらに儲かってしまう。

喜びが伝播し、渦になって戻ってくる、、、企業というのは、そうやって儲かっていくのではないか。

まずは、命あるものを作ること。しかしそうしたことができる人材を、みんな追い出してしまったよね。そこを反省し、三顧の礼で戻ってもらえるかどうか。新たに作るしかないが、人間を作れる人が上にはいない。

出世競争に明け暮れる、目先の効く政治的な人間はもう出番が少なくなる。今はピークだけど。エネルギーは逆流しているので、壊れるのは早いさ。

ブラック化の行く着く先は全体の購買力の著しい低下。来年には消費税が色々な税金がアップし、手ごたえとして厳しさが伝わるようになっていく。

その前に口先だけいいこと言って、ゆるがない体制を政府も企業も作りたい、、、作ってきた、、、そういうこと。しかし、ちょっと甘く見すぎています。

国民を十分に縛ったつもりですが、日本人を甘く見ないほうがいいと思う。日本語をしゃべる民族には、極めて特異性があります。人種ではなく、日本語を第一言語として話している人には、母音言語特有の命から離れるわけにはいかない特殊性があるのです。

命が危ないとなれば、また、終わりなき世であるはずのこの世の危機を感じたなら、その遺伝子は突然爆発するでしょう。

その爆発を操作する試みはなされているのでしょうが、小手先なことでできるものではない。

現実に力を持っている企業でも政治家でも官僚でも、現在力を持っている人は、星で言うと海王星的な補佐を受けている。要するに春分点のうお座時代の象徴として今、幻想体系の維持を行っている。

しかし、それはローマ法王の突然の辞任でもわかるように、ひとつの大きな時代の終焉と関係した力が加わって来ている。だからあわてているわけです。

誰かが、王様は裸だ、、と、また、ぜんぶインチキだ、、と、はっきりとした狼煙を上げたなら、もろくも崩れ去るところまで来ている。

本当はあまり力がもうない。インチキ、、と唱える人が出てくるとすぐにこける構造。

海王星支配の終わり方を私は亡きルル先生から教わった。海王星で煙にまいてずるいことしている人には、このインチキ!と、はっきり言うと、周りも目が醒めるのよ、と。

これから始まる大きな変化は、この春分点の移行に関係して行われるのです。このブログのタイトルもこうした時代の行く末を見つめていたい、、との思いからつけました。

個人のうお座生まれとかみずがめ座生まれとは関係なく、時代自体が大きくうお座からみずがめ座へと変化していく中で、幻想と宗教と正邪や性をゆがめて利用した世界支配の方法が、力を失っていくときなのです。

悪いものと戦う必要はないのです。武器を持ち、金融を持ち、支配権を持っているのは、まだまだうお座時代の力です。

なので、戦ったら負けるけど、このインチキ!、、、完璧にインチキ!、、何もかもインチキ! だから隠したいのね、、、の言葉で人類は目覚めていく時代に入ったのです。

写真の本はチューナーと音の振動に深い理解を示してくださる土橋重隆医学博士の最新本。玄侑宗久さんとの対談の本です。タイトルは「」生きる。死ぬ。」いかにも坊さんとの対談という感じですが、両者とも命と死を見つめてきた方々。

私も読みましたが、非常によかったです。深い内容を簡単に通常の話し言葉で会話されているのがよく伝わってきます。宗久さんは芥川賞作家でもありますが、土橋先生とは自然体で意気投合されているのがわかりました。

そんじょそこらにはいないような二人の対談。金太郎飴の世界に飽きたら、ぜひ読んでみてください。

ディスカヴァー・トウエンティワン刊 1500円