開運は受容から

多忙にかまけてブログが書けずに一週間近くたってしまった。大してことしてないのに、何で忙しいのか、、

時間の使い方がきっと下手なんでしょうね。頭のよい人は大体は時間の使い方が上手です。見習わなくちゃいけないけど、頭よくないから仕方ないか。

冥王星と木星の衝のアスペクトの意味のひとつに、能力不足、、、というのがある。要するに頭が弱い、、、ということ。、もろ私は冥王星と木星の衝を持ち、しかも冥王星が天頂で木星は天底という重要な軸に位置する。弱いのは生まれつきか。

冥王星は母からの影響を、木星は父からの影響を、、そんな気がしている。木星は4室ヘッドで、4室はかに座の部屋ではあるが、母ではなく父親を示す意味が現代では強い。

確かに街中を行く親子連れを見ていると、最近の子供は大体はお父さんに甘えている。お母さんは怖い、、、という感じ。父母の関係がいつの間にか、見事に逆転している。以前は4室が母、10室が父だった。

私の父はまだ父が四室よりも10室のイメージが強いと思っていたが、自分がどちらの影響を父から受けたかと考えると、今になっては父は4室だったと思えてくる。

四室の木星、、父は確かに木星を支配星に持ついて座生まれだった。母は今思うと、まちがいなく冥王星だとわかる。私にとって、10室は母だったのだと思う。そういえば、母はやぎ座だったから、10室との関連は深いわけだ。

母は超能力者のようなところがあり、予言的な言動をたまにした。そして必ずそれは当たった。冥王星の神秘力が母にはあったと思う。今の私の仕事は冥王星的なものであり、母から受け継いだのだと思う。

占星術を知らない人にとっては何だかよくわからない話しに聞こえるだろうが、シグニフィケーターという重要なホロスコープの部分は、両親の重要な部分を受け継いでいるものなのです。

両親との関係をホロスコープはよく表してくれる。もっとも基本となるのは、太陽と月だ。太陽は男性原理、月は女性原理で、太陽は父を代表とする男性を、月は母を代表とする女性を現す。この二つの星が緊張していたり、そこなわれていると、自身の中での男性原理と女性原理が争っていることになる。

太陽と月の関係を見ることが、ホロスコープ解読のもっとも重要な部分となるのだ。ここに争いがあると、自身の生命力の保全に限界が出てくる。

どんな場合にでも何かをやろうとする前の段階でエネルギーが消耗されてしまうから、厳しい面がある。

そのことを星を見て理解でき、確かに自身の中にそうしたエネルギー消耗のプロセスが働いていると意識できたなら、それに自縛されることはなくなる。

占星術とはそういう意味で、本当に偉大なものなのです。自分を意識的に見えるようになることで、運命の自縛をほどくことができるようになります。自縛されているうちはそのことがわからないから運命のような力を与えてしまうのです。恐いことです。

しかし自縛している正体を見つけ、それが実際にどう働いているかの一連の中身がわかると、もう自縛する力は失われる。自由になれるわけです。

では自縛されるのが一概に悪いか、、というとそうとも言えない。徳川家康は今川家でしたっけ、、に人質に捉えれて育つのですが、義元が桶狭間で死ぬと自由の身になって戻ってきたのだと思う。

人質の時代があったから家康の器量が育った面があったと思う。運命の自縛はそれが意識的に解かれるとむしろ苦しい時代があった分、大きなおまけが育っているわけです。

なので、困難や逆境こそが人を育てるというのは、やはり本当なんだと思います。

では、最大の困難、長い苦しみ、どうにもならない不幸、、、その時、人間には何が与えられるのか。

大いなる不幸に見舞われた人は、はじめは抵抗し、反抗し、脱出を試みますが、どうにもならない、、、最後に人は受容を覚えることになります。

そして面白いのは、開運は受容にしか宿らないということです。それはあきらめとは違い、大きな力にゆだねる気持ちが芽生えたとき、自分がどうこうしようとする段階を超えて行くわけです。

そうした気持ち、態度を持ちつつ、最善を尽くすことが大事なんだと思います。それでもうまく行かなければ、神様にあとで文句を言えばいいのであって、自分や周囲に文句を言う必要もありません。

受容から来る気楽さは何を持ってない人でもできるのですから、これはうまく使った方がいいという気がします。

メソッドにすることもできると思うのですが、自分で実験してみるといいと思います。

たとえば、恋人が欲しい、、、、

恋人がほしい、、でも知り合えない、、良い人がいない、、、  そんな気持ちはよくあることだと思います。

この場合、恋人が欲しい、、、だけでいいのです。でも知り合えないとか、いい人がいないは余計なのです。

ただ、恋人がほしい、、、、そして次に、その気持ちを持ったまま、受容する。運命を受け入れる、、、きっと運命が勝ってに何かしてくれる、、、、

これまでは、自分があれこれ注釈をつけたり、不満点をあげつらったり、これじゃ無理だなどと思ったりしたので、受容を信じていないことになっていた。

自分として生まれてきた以上、本当は最高のプログラムが用意されている。にも関わらず、あれがないとか、あれが足りないとか、不運だとか、自分の幕が開くのをわざと押さえつけてしまっている。

運命はどんどんプログラムに沿って進行したいのに、ああだこうだ言って幕をひっぱっているから、幕が開かない。すぐに自分の損得、運命の流れにああだこうだ言い出す人は、幕を引っ張って上がらないようにしているのです。

恋人が欲しい、、、だけでいいものを、背が低いからとか、美人でないとか、余計なことばかり言い出して、幕を開けさせない、、、運命もイライラしてくる。

受容、受容、、、黙ってくれなければ、向こうもやってこれない。あちらはあなたのことを一応は尊重しているから、ああだこうだ言っているうちは、進行できない。

なので、黙って、受容することを覚える。

そうすればすごく気楽、、すごく安心、、そして幕が開いてくる、、、

開運は受容から。

受容の際に聞こえる無音、、、それと一体になったとき、シナリオが訪れるのです。最上のシナリオが。