ごめんなさい、カラスさん

東京のネットカフェのような場所で急ぎの仕事をしてあわてて出た。人に会う時間が迫っていたためだが、途中の狭い道にカラスが待っていた。

ちょうど私の顔と同じ位置のポールの上に止まっているのだ。気味悪いが、そこを通るにはカラスのすぐそばを行くしかない。

ちょうど顔の位置にいるカラス。おそらく30センチほどしか離れていない。近くにいけば逃げるだろうと思ったものの、まったく逃げる気配なし。

こちらは急いでいるので、カラスの目の前を通り過ぎる。チラリと顔をみたが、割と善良なカラスの顔に見えた。

ところが過ぎ去っていくと、すぐ後ろで鳴く、、、まるで脅かすようにして鳴きつづける。さらにもう一羽が違った方向からやってきて、私のすぐ前のやはり顔のあたりを横切って飛ぶ。

さらにさらに、さっきのポールの上のおそらくカラスだろう、、後ろから飛び立った気配で頭の上をかすめるように後ろから飛んで来た。一瞬、頭をかすめて飛び去っていくが、近くに止まってこちらを見て鳴いている。

とにかく怖い。よろめきながら逃げるようにしてその場を急いで離れようとする私。しかしカラスはまだしつこく鳴いていた。

友人との約束の場所へ行くが、慌てたせいか、喉が渇く。飲み物を買うために財布を探すが、見つからない。

かなりの結構な額が入っていたはず。しかも銀行のカードや保険証など、その他重要なカード類がたくさん。

まずい、、、友人が来たと同時に理由を話して一緒にまた来た道を戻る。その間に話しや打ち合わせはできると。

友人には悪いが、まあ、幼馴染でもあるので、そこは我慢してもらい、戻ったところ、運よく財布はそのまま出てきた。

友人はもう俺時間ないよ、、、と次の仕事に向かったが、よかったよかった、、、と喜んでくれた。

せめて食事くらいおごりたかったが、まあ次の機会に。となったのだが、そのとき、同じシチュエーションが以前にあったことを思い出す。

もう15年ほども前のことだ。家を出るとカラスが待っている。3羽いたと思う。気味悪いな、、と思いつつ、歩き出すと、こちらに向かって鳴いているような気がした。

かまわず歩いていくと、後ろから頭をめがけて、頭をチョコンと脚でついて飛び去る。こちらは恐ろしくなるが、そうした攻撃、、、と言って、頭をチョコン、、なのだから、攻撃でもないが、あきらかに私を目標にしていることだけは確実。

頭チョコンが3回続いたとき、あっ、、と思い出した私。そうだ、切符を忘れている、、、。

5-6人の方々と出張に行くために家を出た私はみんなの分の新幹線切符を持っている。それを家に忘れて出かけたのだ。

カラスの攻撃のおかげで思い出して家にもどり事なきを得た。今回もまったく同じパターンではないか。

カラスにいじめられたことなど、後にも先にも、15年前と本日だけ。

なんだ、カラスが忘れ物を教えてくれたんだ、、、カラスさん、ごめんなさい。というわけです。

カラスのこと、これからは悪く言うのはやめようと思いました。かわいい顔してるし。

さて、写真は昨日の飯島先生宅へお邪魔した時のもの。土橋先生が連れて行ってくれました。

フリーエネルギーについて、ご教授いただいてきました。それを簡単に言いますと、この世のあらゆるものはある一つの最少単位の物質というか、命からできている。

机も椅子も石も人間もサルも家も、すべて同じものからできている。最少単位のものとはでは何か。それは音とも言えるし、振動ともいえるし、生きているのだから、微生物と言ってもいい。

思念や意識すら物質であり、命ともいえる。では物質とそれがほどけた最少単位との違いは何か、、、要するにある条件のもとに、最少単位が集まり、物質化していき、ある条件のもとに、物質はまた元の最少単位の命にもどっていく、、、という。

途中にある分子や素粒子やソマチットなどというからわからなくなるのだが、それらも、家も石も要は物質化の一過程であると思うとわかりやすい。

分子が集まって大きな分子になり、、、というのとは違うのだ。では、どういう条件で物質化したり、ほどいていく過程が始まるのだろう。

人間も同じなので興味深いと思う。どういうときに元気になって生きる方向へ向かい、どういうときに崩壊の方向へと向かうことになるのだろう。

崩壊と創造は呼吸のようなもので、一つのサイクルになっている。創造の中でも呼吸のように、吸収、放出、吸収、放出、、、というサイクルはある。

このサイクルの順番が放出、吸収、放出、吸収となっていると、その物事は崩壊の過程に入る。吸収、放出、の順ならば、その物事は物質化にむかっている。

人間の場合でいうなら、崩壊の過程に入るというのは、死を最終的に目指す過程に入ったのと同じであり、物質化の吸収サイクルになっていれば、元気でいられるということになるわけだ。

微生物を集めているのか、中から微生物を放出しているのか、、、と言ってもいい。

存在するものは、すべてどちらかのサイクルに入っている。

では、こうしたサイクルはどうしたことで決まっていくのか。それも簡単で、圧が高い方へと微生物はあつまる。空間には最少単位である微生物、音、振動と言ってもいいものが、無限に存在している。それが圧が周辺圧力よりも高い部位に向かって集まりだすのだ。

圧力窯で作ったものは、微生物というか生命元素がたくさん集まっているので、おいしくなるし、体にもよいと考えられる。というように、圧が高いことが生命を維持するには大切になってくる。

口をぽかん、、と開けているような態度は圧を物理的に逃がしているので、危険、、、となる。簡単な論理である。

では、圧がもっとも高い圧とはなにか。それは意識圧である。物理的圧が高いのも大事だが、意識圧にはかなわない。

意識の高さが優先する。これは肉体においても物事の達成においても武闘においても芸術においても、あらゆることにおいてそうなっている。

意識の低さが意識の高さに優先することはない。

微生物は意識に反応すると言ってもいい。

宇宙では地球上も含めて、何かの作用があると、それを元に戻す働きが始まる。反作用だ。そうして静寂に戻る性質があるため、圧の場合でも永遠に物質化が始まっているわけではない。

元に戻る性質があるため、物質化は圧と意識とが顕著な場合に限られる。しかし、何等かの物質化がそこにあるということは、何等かの圧、おそらく意識圧があった結果として存在している。

大宇宙も宇宙人も共通する原理だ。飯島先生のすごい点はこうしたことを夢物語として語っているのではない。

実際に圧力差を利用してそこに微生物、すなわちフリーエネルギーを集めていろいろなものを実際に作っている。

プロペラ飛行機であるにも関わらず、空中で止まったり、垂直に離着陸したり、オスプレイでもないのに、やってしまう。そんな飛行機を何十機も作っている。

圧力差を利用すれば宇宙に蔓延しているフリーエネルギーを自由にいくらでも集める吸収サイクルによってなんでも原理的にはできてしまう。

命のあるクリームや水も自由につくれる。実践しているのに、あまりどなたも取り上げない。振り向かない。とくに専門家や科学者は無視。

取り上げたら、アインシュタインもニュートンも吹っ飛んでしまうからできないのだ。

飯島先生はチューナーは非常に気に行ってくださったようだ。これはいいです、と。音の重要性、、、微生物やダークマターと行ってもいいが、それは振動であり、音と言ってもいいと、私もそう思っているが、おっしゃってくださった。

先生のオフィスは圧力差を利用して生きた空気にしているので、非常に気持ちがよい。金魚も嬉しそうに泳いでいるように見える。思い込みかもしれないけど、そう見える。ふつうの金魚が生きた水の水槽にいるためか、巨大化していた。楽しそうに泳いでいる。

音に話しが及ぶと、かなり昔に音叉の実験はかなりされていたようだ。倍音の話、母音の話しを私がして、実際に披講を最後にしたら、非常に喜んでくださった。

こうしたチューナーのサロンや、そこに来ているだけで、しらないうちに病気が治ってしまうような病院、喫茶店などの話しで盛り上がった。

土橋先生もそうした場作りの重要性を力説されている。飯島先生も同じ。私もまったくそう考えていた。

いつか協力しあえる部分はしあって、そうしたフリーエネルギーというか、新しい土台の上に乗って、無理ない新しい人生の生き方を実感できる場を作ることが本当に大事だと思った。

常盤荘というボロアパートから日本の漫画の大部分は育ったが、それはたまたま、そこに優秀な人が集まったのだけではない。それよりも、意識がそうしたに違いない。

意識圧の高さが常盤荘にはあったのだろう。新たな時代を見据える人があつまり、癒しあい、くつろぎ、話しができる場があれば、きっと偉大なトキワ荘現象がきっと起こってくる。

すでに地球は崩壊のサイクルに入っていると飯島先生はおっしゃる。確かにそうかもしれない。それを止めることはもうできないのか、どうかは、わからないが、サイクルを変えることが求められる。

地球を放出サイクルから吸収サイクルに変更するのは、人間にしかできない。なぜなら人間が壊したのだから。

私たちには、地球人としての連帯責任がある。まだこの後に及んで石油がほしいとか、武器で儲けるとか、そんなことはあまりに人が良すぎる子供なんです。

サイクルをどのように変えるのか、、、また飯島先生にお会いしていつか聞いてきます。なを、ここで語ったことは、私の勝手な言葉であり、本当に代弁しているとは限りませんが、おそらくこのような内容であったと思っています。

また、フリーエネルギー、、、というと何かうさんくさいものを感じるので、この言葉はあまり使いたくないのですが、本当だから仕方ありません。これについてはまた続きを書かせてください。