真夏の京都

京都でのセミナー及び、無料体験会を終えて無事戻ってきました。台風の予想でしたが、突然台風は去り、京都は真夏の好天。38度近い猛烈な暑さでした。

セミナーには大勢の方がいらしていただきありがとうございました。今回のセミナーは528Hzの基本セミナーであると同時に母音トーニングを重視しました。

母音という共通言語を人類は持っています。各ランゲージを話し出す前の生後約一年間は、どの民族も人種もすべて母音言語を話しているのです。

そしてこの母音発声は、構造的にあらゆる自然界の音と共通しています。風の音、海の音、雨の音、、自然界をおおうあらゆる音は、母音構成をしている。そしてそれは人類の幼少期も同じであり、私たちは母音という命の言語によって、共通して生きている仲間なのです。

日本人、中国人、アメリカ人、朝鮮人、ロシア人、イラン人、ユダヤ人、、、という以前に、すべて母音言語から出発している仲間なのです。

人類の脳には、各民族の違いよりも前に、命としての共通言語である母音時代を通過してきており、それこそが本当の故郷なのです。

その故郷がわかれば、風も土も水も木々も動物も宇宙もすべてが同じ命を生きている仲間であると知ります。

脳のもっとも柔らかな、もっとも吸収する時に、私たちはもっとも重要な情報を学びます。それが、命の情報であり、母音による、共通する命を学ぶことから、人類やすべてのものはスタートしていくのです。

争いがいかに論理的に矛盾し、対立がいかにインチキであり、分け隔てる考えがいかに本質でないかを、母音は証明してしまうのです。

自然も人間も宇宙人もすべて同じ命から出発している仲間であり、何も変わらない。ここからやり直すしかないのです。

母音トーニングをしていくと、とにかく元気になっていきます。母音には命の情報が詰まっていますから、命が復活していきます。理屈ではありません。命は理屈では動かない。理屈は命から出はしますが、理屈が命を作ることはありません。

逆になってしまった今の人類、、、そろそろ潮時ではないでしょうか。そうしないと危険。台風がやってくると皆驚き、大変な被害が出て、困ったものだと思う。

しかし、なぜ台風が起こるのか、、、なぜ自然災害が起こるのか、、、

台風は低気圧。エネルギーは気圧の高いほうへ流れますから、台風から実はエネルギーを得ている。地球が汚れ、海が汚れ、自然の命が危機に瀕してくれば、それを修復するために、自然界は動きだします。

台風が海をかけ回し、気圧差によるエネルギー補充システムとして機能せざるを得なくなる。地球の病気が大きくなればなるほど、自然災害は大きくしなくてはならなくなる。極めて自然な道理なのです。

人間の病気も同様。病気の症状のみ取り去りたいと現代人は思うが、病気を生んだ原因を変えなくてはどうにもならない。

困ったときには原点に戻る。これが一番。それには命に触れること。この世には命以外のものは実はない。すべては生きている最小単位の命の集合離散がおこなわれているのみ。

それは意識によって集合離散を繰り返す。人の意識が変わらなくては地球の病気も収まりません。

それには一度命の原点に戻るのが早い。それは母音。ヤハウエは母音。盗まれたヤハウエ、盗まれたアマテラス、盗まれたイエス、盗まれたブッタはいろいろ利用されているけど、命は母音、振動、微生物、ダークマターなど最小単位の命の集合離散。要するに最小波動が命そのもの。神そのもの。

すべては音によってできているともいえるでしょう。自然界は音の集積。音とは母音。母音は神。母音は自分。自分も神も音、母音。自然界もすべて同じ。一切のわけへだてなし。

母音トーニングをすれば私たちは命にアクセス。ここから始めるしかないと、私は思うのでこうした活動をやっているわけ。

しかし、わかりっこないよね。あまりに簡単すぎて。頭の良い人たちには、とくにわからないのだと思う。

私は子供時代から一回も勉強しろと言われずに育った。両親は一度も通信簿を見て文句を言わなかった。ただ笑って見ていた。私は勉強のプレッシャーゼロで育った。

なので、あまり勉強をしなかったから、かえって簡単な命が理解できるのだと思う。

私は今でも実は勉強はしない。鳥も動物も虫も勉強しないのに、確実な母音発声をして命を表現している。今の地球上で命を維持継続しているものは、すべて勉強したことのない自然界と、動物と、赤ちゃんや子供だけ。そして勉強した人たちだけが、この地球を壊している。

もう答えは見えている。勉強のできる人たちが母音トーニングして命に触れてもらうしかない。何も私のやり方でなくてもかまわない。

母音発声、、、命に触れること、命を体現することでしか、変化しない。悪い周波数で完全に頭や心、体をやられる前に、頭の良い人たちが変わってくれないと。

京都セミナーの最後に披講してください、、、のリクエストが出た。猛暑の影響で私は500mlのペットボトルを二本もあけていたので、グロッキー気味。

でも参加者のリクエストだし、披講など聞く機会も少ないだろうと思って和歌を募集。どなたかが、「ひさかたの、、」とおっしゃるので、選歌は決まり。

ひさかたのひかりのどけきはるのひにしづこころなくはなのちるらむ   猛暑の中で春の歌か、、、と思いつつも真剣に歌いました。

お聞きになった皆さまには伝わったかどうかはわからないですが、私の中では不思議な現象が起きていた。

歌の後半に近づくにつれて、言葉が物質化していく感覚が口の中に広がっていく。披講は長年やっていますが、初めてのことで驚いた。

音が物を発生させる、、、という意識がとくに最近あったので、そうした感覚が訪れたのだと思う。しかしいずれそうしたことができる時代がやってくると思います。

現代物理、現代科学、の根底にある信仰が力をなくしていくことで、むしろ現れてくる極めて簡単な命と命の集合離散による現象の解明。

勉強が実は信仰だったのです。命と宗教は関係ありません。宗教と関係した時、命がいくつ滅ぼされたか。命と宗教はまったく別物なのです。

宗教と東大と経済と法律も、すべて一体です。そしてそれは命から離れています。