みんなで渡れ派と勝手に生きれ派
人の生き方が段々と分化してきているように感じる。これまでの機構やシステムにしがみついて生きていくのがが、みんなで渡れば怖くない派。
もう一方は、最初から甘い汁を吸える立場などにない一個人が、自分の力で生きていくしかないと、なかば焼け気味に、独立心を持って生きて行く派、とでもいえるだろうか。
どちらが有利かは現時点では難しいかもしれないが、だんだんと後者が有利になっていくと思う。
一見、しがみつく機構やシステムがある方が有利にも思えるけど、最近はどこも実力主義になっているので、安全な組織もシステムもなくなりつつある。
一方、何も頼るもののない一個人は、最初から不安からスタートしているので、金欠や将来の不安などにも、慣れっこだ。そしていよいよ、今の時代は、こりゃだめだ、、、と思えるので、甘えもない。
心理的にしがみつく者と、最初から捨てている者とでは、後者の方が有利と言える。
しかも、後者には、せいぜいあてにならない仕事やバイトしか収入の道はないので、だんだんと先細りになるわけで、いつか何かを始めなくては、、、、という気持ちがあり、チャンスに際して、飛びつきやすい心理的構造がある。
まあ、用心深い人はいるかもしれないが、用心も何も、もうあとがないと思えば、誰だって動かざるを得なくなる。
ソ連が崩壊過程に入った際も、これまでの組織信仰やシステム信仰を持っていた人は、いざという時も、もうダメだ、、、という状況を見ても動けなかったという。
後生大事にしていた虎の子の貯金は日ごとにその価値を目減りさせ、最期には無一文になってしまった。
それでも動けない人は動けない。最後まで動けない人は、組織信仰者であり、国家信仰者だったのだ。
何かに自分を助けてもらいたい、、、しがみついていたい、、、、という体制派は、新しい時代に生き残ることはできなかった。
やけになって酒をくらい、愚痴を言いいつつ、多くの人が死んでいったという。
似たようなことがこれから世界で起きるのではないか。ソ連崩壊を東西ドイツの壁が壊れたときからとすると、あれが確か1989年でしたっけ。それから23年。
23年遅れて今度は世界が崩壊をスタートさせる。しかしそれはすべての崩壊ではなく、崩壊すべきものが崩壊していくだけで、そこから新たな生き方を構築できる人にとってはチャンスとなる。
それは、これまでのシステムに安穏としていた人ではないし、システムを信仰していた人ではない。
日本ではバブル崩壊以降、長いデフレが続いた。デフレというのは、人の才能ややる気はかえって邪魔になる時代で、何もしないで大きなシステムに隠れていることが、安泰である時代。
リスクあることなど何もしないのがよく、古い体制はなんとかそれによってしのいできたと思う。
しかし、デフレも行きつくところまで行き、それが本当のデフレというよりも制度的なデフレであり、社会システムの限界をデフレによってごまかすことで、雑巾を絞り上げるように、国民生活への貧困強要によって一部の者のみを潤わす内容だった。
時代はそのお陰で、発想力も創造性も劣化してしまい、社会には命を失う状況が訪れた。もう新たな時代を作る力もやる気もない。なので現社会の崩壊はもう時間の問題である。
これからは、勝手に生きていく、、、という個が新たな時代の中心に躍り出ることになる。
ソ連崩壊ではこした役割を目先の鋭い金融勢力や企業がどさくさに紛れて行い、財を独り占めしてしまったが、これからは違うと思う。
さらに個のレベルでの助け合いや、新たな発想や、秘められていた科学技術の利用によって、個が生きやすくなるような変化につながっていくと思う。
東京や大阪集中とは違う、地域化が始まるだろう。それも地域経済というより、さらに個別での、その地域独特の生き方、、、生活の仕方、、生計のたてかたになっていく。
要するに人間は、ただ生きていければ基本的によいわけで、特別なものが特に必要というのと違う。
人間は成長するものだとか、前進するものだとかというと、一見素晴らしく思えてしまうため、どうしても、集団で道を誤るし、一方向に操作されやすくなる。
本当は、そんなことはすべて嘘っぱちで、個が快適に生きていければ十分。何を伸ばし、何を習得し、どう成長するかは、個が決めることであって、周囲がどうのこうの言うこととは違う。
本当の社会福祉は、要するに、ただ生きて行ければいい、、、そのレベルでの確実なものが与えられればいいわけだ。人間成長神話が、実は宗教支配を生み、思想支配を生み、経済支配を生み、多くの人間を結果的に殺し、支配し、悲しませてきたことを、早く覚るべきでしょう。
人類の長い歴史の中で何が一番大切だったかは、それは通常の普遍的な生活以外にない。これが人類を数百万年にわたって生きながらえさせてくれた源で、決して宗教や思想などがあったためではない。
もうごまかされないこと。人間にとって唯一大切なことは、生活者としての自立であり、それ以外にない。
みなが生活できることのみが大事なのだ。
そこをだまされないように。
そんな、人間に生まれた以上、動物ではないのだから、神を知る高度な気持ちや、、正しい生き方を学ぶことなどが、、、、、と、口では言えるが、本当はそういうものの方が、人類によくない結果を残している。
神は宗教の中にも、国家の中にも、もういない。命ある者がこの楽園で生活し、結果として喜びを抱くこととなり、創造者への愛と歓喜を思わず体現してく、、、そこに芸術や表現が生じていく、、、それは生活あってのことなのだ。
喜びの生活があれば創造者を知ることも芸術の喜びを知ることも当然の流れであって、誰かに強要されるようなものではない。
生活者としての充実なくして、神も倫理もない。
神も倫理も生きがいも成長も、生活者としての喜びが先にベースとなって現れる。子どもを見ていればそれはすぐにわかるだろう。子供に服を与えず、食を与えずに、神のことなど説く者がいるか。いたら頭がおかしい。生活が先なのだ。
善悪の判断、、、成長、非成長の判断、、、血筋や民族の判断、、、あらゆるそうしたものより、生活者としての尊厳が優先する。そこからスタートしないものは偽りなのだ。
個が工夫し、新たな技術を取り入れ、個の生活を、会社にも国にも頼らずに、達成させる。これがすべての出発となる時代がもうすぐ訪れる。
しかし今の時代は、まだ会社に行き、バイトをしない限り、生活が成り立たない。だからまだインチキな時代である。
しかし、神や同義や思想を持ち出して、国民から搾り取って文明は、個の生活までも奪い取る段階に来て、行き詰まり始めた。
どんな時代も、生活者の安寧が与えられなくなったら、その時代は終わる。それが政治の原点だ。
なので、個が色々な生活の仕方、、こうして生きられる、、、という生活の方法を数多く実践し、個が、死につつある組織や機構やシステムから離れて生きることで、新しい時代が誰と戦うこともなく花開く。
そうした新しい生活者の方法は、みんなで渡れば派からは永遠に出てこない。勝手に生きれ派が、新たな地平を見せてくれることになる。
電柱がなくなり、水道管がなくなり、ガス管がなくなる時代は、個が個で生活できる新しい時代の幕開けとなる。
東電の消滅が意味することは、実は非常に大きなことなのである。
昨日ご案内した、代官山のセミナー「星占いの話しやマドモアゼル・愛先生の世界」が、すでに定員に達したということです。本日で締め切らせていただきました。ありがとうございました。23日、楽しみにしております。
本日はもう一つのお知らせが。
こちらも長年、仕事でご一緒させていただいた、数年前に独立されたSさんが、私の恋愛哲学に関心を抱いてくださりました。Sさんとはかなり長くお仕事をさせていただいた関係で、恋愛哲学や、失恋哲学を話しあう機会が多かったわけです。
その中で、とくに復縁哲学に関心を持っていただき、このたび、私の復縁哲学をモチーフとしたサイトを立ち上げられました。
このhpにもバナーを貼り付ける予定ですが、もう少しお待ちください。アメブロの「みずがめ座時代」というhpではすでにバナーが貼り付けてあり、ご案内が可能です。
復縁のサイトには、私の復縁哲学が詳しく語られていますので、機会があったり、復縁に関心がある方はぜひいらしてください。
復縁サイトについては、また、バナーが用意され次第、詳細を語りたいと思います。
復縁は男女の恋愛関係での復縁のことです。
13日には、MIチューナー528Hzの一日講習があります。すでにお申込みは締め切っておりますが、こちらも楽しみです。