連休スタート

一年の中でももっとも過ごしやすく、新緑の香りを運ぶ風にほほもゆるみます。

そんな時期の大型連休は、人間が本当はどう生きるのが自然なのかを教えてくれる時でもある。

本当に働く必要なんかあるのかしら、人間って。とくにこの数十年の仕事って、なんだか本来の仕事から離れていった印象がある。

ひとことで言うと、上のごく一部の利益のためだけに、ハードに無味乾燥に、冷酷に働かせられている、、、というのが現状では。

そしてしこたま儲けた上の人も、結局は下手な投資などによってすべてを失ってしまっている、、、、そんな時代が見えてくる。

 この数十年の仕事のシステムは、結局は誰ひとり幸福にすることがなかったともいえるかも。

時代がつまらなくなるのも、働く意味が見いだせないのも、理由はそんなところにあるのでしょう。

その結果、仕事すること自体に意味がなくなり、仕事を通して人間が成長するどころか、仕事をすることで人間が壊されていくシステムとなってしまっている。

こんなものは早く壊した方がいいのだが、そうなると、じゃ、明日からどうして食べていけばいいのですか、、、となる。

仕事とお金に縛られて、汲々となって貯金もできない現状。特に今の若者には希望などないと思わせるが、それならばいっそうのこと、とにかく生きて行ければいいのだから、もっと他の方法が探せはしないだろうか。

前から言っているシェア生活がうまくいけば確かに月3万で暮らせるようになる可能性はある。

そうなればお金や仕事に追われる必要もなくなる。
 これまでと違った生き方、違った方法で、生きのびることはできないか。

そんな夢みたいことでは将来の安定が保証されないと、よい学校などを出たかたは思われるだろうが、一流企業に入っていられれば安泰とは、もういえない時代。

今後はますますそうなるに決まっている。いずれ一流銀行すら潰れますよ。よく考えてみてくださいよ。

世界中の製造業がダメになって、数十億の働き手が不要いなった今の時代。なぜそのようなことになったかというと、ただ同然で子供を働かせる、、、、戸籍のない大勢の人を奴隷のようにして働かせる、、、、とう悪魔的な現実が色々なところにある。

そうなれば、製造コストは限りなく安くなり、まともな賃金を払って物をつくる仕事はすべてダメになる。

 仕事がなくなりつつあるのには、こういた悪魔的労働がベースにあるためだ。そうした安いコスト製品に対抗するため、先進国でも仕方なくコストダウンが要求され、人々の仕事は自給1000円以下となっていく。

その結果、先進国でも下級労働は奴隷的となってしまう。物が安くなったと喜んでいる裏で、私たちは自分らの首を絞めているのである。

そして、見捨てられた子供、、、国籍や戸籍のない人たちのあまりに大き過ぎる不幸をベースにして、先進国においても製造業が淘汰され、誰もがだんだんと苦しくなっていく。

そして誰ひとり幸福にすることのないシステムが動いていく。すべてを破壊し尽そうと。

テスト的な頭の良さだけで心の冷たい人が上に立つと、こうしたことが起こる。今の日本も出世する人は、こうしたテスト頭の冷たい人間になっていき、結局、誰ひとり幸福にしない現状を招いていく。

これは面白いようにそうなる。結局は人間力なのだが、誰が上に立つかによって、そこにかかわるあらゆるものを幸福にできる人がいる一方で、誰ひとり幸福にすることのできない人がいる。

今の日本は間違いなく、誰ひとり幸福にすることのない考え方、そしてシステム優先である。

なので、あまりそんなものに協力する必要などないというのが、私の考えだ。

これまで生きてきて、私は何かとずっと戦ってきた気がする。それは思想や価値感ではなく、もっと違ったものなのだが、やっとそれがはっきりわかった。

学校においても、仕事場においても、どこにおいても、「ああ、これでみんなが面白くなる、、、、元気になる、、、」というようなアイデアや仕事のやり方や、考え方を、私は色々なケースでよく考える。

しかし、集団や機構の中でそうしたものを出すと、結局は無視され、日の目を見なかった。

それらを阻むのは、常に、常識や上や周囲の、テスト上位者的な存在であった。

私は長い間、、、色々な場所で、色色な状況で、常に、そうしたものと戦って来たと思った。

しかし、大体は相手にされなかったので、おそらく若いころから自立し、独立したのだと思う。

そして不思議なのは、それ以降も、大手のあらゆる企業とお仕事をさせていただいて来たが、それはそれでほんとにありがたいことで、うそでない感謝の気持ちがあるが、不思議なのは、そうした個々の仕事はその時はうまく行っても、本質的で大きな成果を上げた仕事のすべては、勝手に、自分が考えたことを、独断で実行したものばかりだった。

もちろんこれは私の場合であって、ほかの多くの方々は、やはり大きなバックや機構を使ったほうが成果があって当然だし、またそういうものだとは思う。

しかし、私は違ったので、私自身は個人の力を逆に知ることとなった。個というもののその大きさがわかる。

これは才能や素質などとは違う、考え方の問題なのだ。誰でも、個の力を伸ばそうとしたら、また、それができると信じることができたら、誰でもがそうなるのだ。

私が優秀だったからできるとか、そういう話しではない。私にできることなど、まず、誰でも間違いなくできる。これは本当である。個の中には、すごい力があるのだ。

それは、自給やコスト削減でどうされるようなレベルとは違う、圧倒的に大きな力なのだ。そのことを多くの人が信じていない。

しかし、私はこれからはそういう時代になっていくと思う。
今の仕事のつまらなさから離れ、もっと自分を信じて自分で考える未来が必要になっていくはず。

また、それは間違いなく可能だ。個の力を信じることができたら、未来は恐怖ではなくなる。

テスト頭だけの冷たい、本当はバカな人間に、冷たく扱われるような理由などもない。そんな選択は不要となる。

最悪、シェアしあえb、3万円で生きられる安心感もある。ここは個の力を信じるのが得策ではないだろうか。

個の力をいかに高め、いかにそれを発揮するか、、、そこから、新たな時代が生まれてくる。

これをやりましょう。