マスコミ大慌て
小沢無罪となった。当たり前といえばあたり前の話しなのだが、大体、公判を維持する根拠すらない事柄だった。
それを、マスコミがあたかも凶悪な事柄のように印象付けを行う、、、それが目的だったのだ。鳩山と小沢は、こうして民主党の中心勢力から下ろされ、以来、民主党は乗っ取られていった。
乗っ取られた民主党では、元自民以上のアメリカ寄り政策が行われ、日本の富は弱体したアメリカを維持するためにのみ使われ、現在の悲惨な国民生活を招いた。
マスコミはこうしたインチキを維持するためには、どうしても小沢を悪者にしておかなくてはならない任務があった。
少なくとも、そうした印象だけでも与え続けておこう、、というのがこの事件の真相であった。
そのためには、何も考えないで、テレビや新聞の言うことだけをそうだと信じてしまう、自分の頭では決してものを考えない、B層という多くの層を作り上げてあったので、簡単にこうした印象操作はできる。バカなお笑い番組やゴシップ番組などが、B層を育てる最たるものだった。
多少、物事を自分で考えられる人は、すぐに小沢裁判のインチキを見抜いたが、B層といわれる、頭の弱い人を国はマスコミを使って創出し、マスコミが言う方向へ国民を引き入れるための方策が行われてきた。
その最たるものが、小沢裁判と言ってもいいだろう。この件で、小沢を悪人と思い込んでいた人は、まさにマスコミの誘導に乗った人となるが、そろそろ目を覚まさないと、棺おけを担ぐまで国民はマスコミに誘導されるだろう。
こうしたかつても戦争を起こされ、その際にマスコミが果たした役割は絶大だった。今はなをその影響が拡大している。
住民票が移転後なされていなかったとしても、重大犯罪として裁かれた人などいないと思うが、小沢裁判mの同じような内容の裁判なのだ。マスコミが重大犯罪とか、凶悪という印象をつけるための裁判であった。
しかし、あまりにあまりの内容であり、公判を維持すること自体が本来は無理な内容だったので、ここで有罪にすると、後にこの事件全体のあまりのインチキ性を追求されることにやがてなる。
その際には、国体すら揺さぶる大きなこととなるので、ここは無罪にせざるを得なかったのだろう。
マスコミは大慌てである。どうやって、小沢悪を今後維持していくか、、、迷っているところだろう。その証拠に有罪なら特別番組のオンパレードであったはずが今のところ、どうも戸惑いつつ報道しているのみ。
日本のマスコミが悪く言っていたプーチンが勝ち、中国では江沢民の一派と思われたまま政権任期を終えようとしていた現上層部が反江沢民として動きだした。そして日本においても、当たり前とは言え、一応小沢無罪となった。
これだけみても、マスコミにとって、気に入らない方向へ突然世界は動き出してはいないか。
何かが起こっている。
マスコミの慌てようを見ながら、そこに何が隠されているのか、国民も探るようにしてテレビなりラジオなりを見ていかないと、だまされてしまうだろう。
さて、小沢や鳩山の反撃は、また、どうなるのか、も見所である。なぜ、このような公判が維持されたのか、、、その根本の不当性を暴くことができたら、この国の闇の部分も段々と見えてくるかもしれない。
アメリカにおいても、闇の部分に気がつく人が多くなり、911は政府が絡んでいるとすでに多くの人が思っているとか。
小沢裁判もマスコミが言うとおりのことをまだ多くの人が信じているが、苫米地が言うように、テレビ的、マスコミ的、電通的マインドコントロールからそろそろ離れなくては、財産も命もやがて奪われることになってしまうかもしれない。
事態はそこまで行っているから、無茶な公判すら維持できた。またそこまでしてもインチキを通さなくてはならなかったわけで、彼らは戦争でも災害でも、自分らのためには何でもやるかもしれない。
小沢無罪判決で逆に追い込まれるようなことになると、日本でもまた災害が起こるかもしれないので、その点は注意。クーデター民主現政権は震災があったおかげで維持できたことは、当時を思い出せばわかることであり、まさか、誰かがやったとは言わないものの、それに助けられたことは確かだろう。
一度あることは二度、二度は三度である。追い詰められたマスコミを担ぐ勢力が毒を食らわば皿まで、、、と思ったところで不思議ではない。
本当に凄い時代に私たちは生まれてきたものだと思う。
小沢裁判について思ったところを述べただけで、私は小沢ファンではないし、これからも危惧する面は個人的にはもっているが、この公判自体は本当にインチキであり、小沢無罪どころか、嫌疑自体がインチキだということを、国民は知っておかねばならないと思う。
しかし、不思議なのは、小沢無罪となって、元気がないように見える野田や執行部。同じ民主党の仲間が無罪なんですから、もう少し喜んだらいいのに。