海王星サロン

青山のサロン風のお店であったミニ座談会というか、サロン風集まりから戻ったところ。テーマは海王星を感じる集い、、、

海王星のテーマをひとつづつ上げていき、海王星をいつしか感じ取ろう、、、という試みだった。私は企画者ではなく、サロンリーダーとして呼ばれたような晩でした。

海王星のテーマとして、甘える、、甘えさせる、、、ということの重要さ。甘え上手は生きることが楽に。

甘え上手と甘えべたの違いはどこからやってくるのか、、、これについては、子供の頃の役割意識にしばられている人は甘えべたとなるのだけど、もっと要約すると、自分に対するイメージ化を自由に行わせることができる人は甘え上手。

人から見られることに条件をもうけず、自由なイメージ化を許してあげられる人は、甘え上手となる。

赤ちゃんは誰から、どう見られても、まったくかまわない。自分をこう見てと、強制をしない。だから多くの人からイメージを投げかけられる。

投げかけるほうは、その赤ちゃんを見て思っているように見えて、実は自分の中の記憶やイメージと結びつけて思い入れとしている。

思い入れが多ければ、強ければ、その対象に対する執着が生まれてくる。その結果、赤ちゃんは人気者となるわけである。

赤ちゃんが、私のことを、世界一可愛いと、見てくれなくてはダメ、、、、今、笑った私の顔、ほら、可愛かったでしょ、、、、というような意識をもっていたとしたら、自由なイメージ化ができず、赤ちゃんの人気は出てこない。

受け入れてもらえないと知った赤ちゃんは、恐怖から周囲への甘えの感情を拒絶することになる。

こうして、似たような状況から、人は段々と甘え下手となっていく。その根本には、自分へのイメージ化に対する、なんらかの要求を恐れを持ったことによる。

自分がどうみられてもかまわない、、かってにしていいよ、、、という気持ちがあると、私たちは恐れずに自己表現を楽しむことができる。

教祖様は突然馬に乗って現れたり、浴衣姿に変わったり、王子様のような姿になったりと、信者が教祖に対するイメージを向けやすい仕組みを作っていることが多い。

その際に、信者に対して、イメージを強制するものが感じられたら、教祖失格である。自由に自分に対する信者のイメージを膨らませてあげる、、、芸能界でも成功する人には、こうした素質があり、要するに甘え上手な人が芸能界でも宗教界でも成功するわけだ。

政治家などもこの手法を学べば、確実に人気が出ると思うが、自己注なのでなかなか難しい。だから人気が出ない。人からどう見られたいか、、、という強制する心理が出てしまう人は、政治家には実は向いていない。

こうした才能は海王星が持つものだ。海王星の衝動は自分の存在意識をなくすことにある。大きなものに自分の存在が溶けて流れてしまう、、、そして自我をなくしていくことの喜び。お酒を飲む理由も突き詰めればそれにある。

次に海王星は定形外に特徴がある。実際には海王星の影響を受けると、髪型をまったく変えない、、、、というような定型化が行われることが多いが、それだけ定型化に対する意識が強いためである。

その分、定形外への憧れがある。海王星の影響化で苦しくなった際には、あきてしまった、、、、という態度を責任を感じずに出すことも大事。

海王星は夢中になる星。夢だから人はそのことに夢中になれる。現実の立脚点が確かだと人は何事にも夢中にはなれないものである。

人生の熱中や夢中になるものは海王星が示し、しかもほとんど役に立つものではない。私の競馬好きのようなものである。

あれさえなければ、、、ねえ、、、といわれるような熱狂は、海王星がもたらすが、実はそれが人柄となっており、目に見えぬなんらかの安全弁であること。

意味のないように思える事柄が、神話世界への入り口にあたることは、意外に多い。

無駄を愛する、、、、意味のないと人が思うことを楽しむ能力、、、それがあるので、人は深い深い物語の世界の扉を開けていくことができる。

次に海王星は、、、、というように果てしなく海王星について語っていると、突然の地震。まさにあってもなくても本当はどうでもよかった心の中の柱や建造物が、落ち崩れていき、海のような海王星が現れたように感じられた。

海王星について語っていつしか時間が来て、サロン終了という段階で、なんとなく全員を包む海王星のムード。

本当にあれでよかったのか心配ですが、サロンを後にして、一日を終えました。

みなさま、お疲れ様。ありがとうございました。
Sさん、お疲れ様。お誘いありがとうございました。

今度は天王星について語ったり、冥王星について語ったりする会があったら面白いと感じました。

しかし冥王星について語りだしたら、さぞ凄いことがありそうで、考えただけで多少恐いけど、一度はやってみる価値ありでしょうね。