ダート最強馬 テスタマッタ

私はかなり以前からダートでの最強馬はテスタマッタだと思っていた。

ごめんなさい。競馬の話しで、、、あとでBBマッサージのお話しもさせていただくので、どうしても言わせてください。

テスタマッタがなぜ強いと思ったかというと、何年も走っていて、一度も本気で走ったことがない、、、という話しを聞いていたからである。

それでもちょっと本気になるだけで、ものすごい走りをする、、、確かに勝ったレースを見ると凄い走りだ。届かないと思うような位置からきっちり差してくる。

どうやら神経質な馬らしく、周囲の馬たちの動向や、狭い場所や動きたいときに動けない、、、そんなことがあるのがレースだが、そうなると、もう走らなくなってしまうらしい。

私が調べたところ、この馬、まだ大外枠になったことが一度もなかった。おそらく大外枠になれば、距離ロスはあるものの、のびのびと自由に邪魔されずに走れるのではないか、、、、そうなれば、あのものすごい脚を余すところなく使えるのでは、、、、というのが私の基本的考えだった。

そしてついにその時はやってきた。今年最初のG1「フェブラリーステークス」。テスタマッタは16頭立ての16番枠。待ちに待った大外枠。しかもG1レースである。これ以上の舞台はない。

お隣の15番枠には、単勝1.6倍という断然の人気馬、トランセンド。テスタマッタの単勝は24.3倍。人気薄である。

スタートするとテスタマッタは大外そのままに後方から3番手を進むがすでにテスタマッタは行きたがっている。それを何とか岩田がなだめて抑える。何とかいうことを聞くテスタマッタ。おそらく大外で他の馬を気にせずにいられたので、岩田の言うことを聞いたのだと思う。そのまま3コーナーを無事に通過。

岩田の手は動いていないので、テスタマッタは大外を離されずに楽に追走しているのがわかる。大外だから外を回される分、本当は苦しいとか無理してついていく感じが伝わる場合が多いのだが、テスタマッタはまったく楽に大外を回っている。

私はこの時点で勝利を確信した。3コーナーまで無理せずに追走し、しかも行きたがる馬を岩田がうまくなだめて、余力は十分なはずだ。はじければ中央競馬会1の脚を使う馬だ。大外なので邪魔するものは何もない。

あとはどこからか、追って脚を使いさえすればいい。岩田は姿勢を正すと馬を追いだす。直線350メートルほどから追い出すと、みるみるうちに差をつめ、あっという間に先頭に躍り出たのがゴール前200メートルだ。普通ならば先頭に立つのが早すぎる。しかしそこからさらに1馬身、2馬身と差を広げて圧勝。完勝である。

G1での完勝。やっぱり本気になったテスタマッタは最強馬だった。

というわけで納得がいったのですが、馬券はウイン5しか買ってなくて敗北。テスタマッタの一頭狙いで行ったのに、、、、一番の難関は的中しても、あとの4レースの一着を当てなくてはならず、残念でした。あと、1レースさえ的中させていれば、ゲットできたのに、、、エーン。まあ、競馬なんてそんなものです。

これで次からはテスタマッタは人気が出ると思うが、次はわかりませんよ。隣の馬が寄ってきたから、、、とか、後ろからつついた馬がいるとか、、、ジョッキーのムチの入れ方が気にいらないとか、、、次からは外した方が得策だと思います。

馬もそうだが、人間でも、あるパターンにはまるとめっぽう強い、、、という人がいる。要するに自分の型を持っている。平均的な優秀さが勤め人時代にはものを言うが、これからは、テスタマッタ的な人の方が有利になるはず。

趣味や特殊な智恵や特技を持つと、何とか生きられる、、、という時代がやってくると思う。平均的だと、自給850円の仕事しか見つからないが、特殊であればあるほど、出番にありつける機会が増える。そんな時代になりそう。

となると、好きなものをとにかく掘り下げた方が面白い、、、ということになる。いやいやでみんなに追いつくための勉強、みんなを出し抜くための勉強から、好きなことを掘り下げる、、、その方がこれからの時代にきっとあっている。

平均的なものはすべてパソコンの中におさまっているし、それを使いこなせる人も大勢いる。

平均的でないものは、どうしても光ってくる。それを探す人がきっと現れる。

自分を大切にする、、、という流れは言われだして久しいが、では大切にするとは何か。それは自分の心の声を聞き、それに沿って生きることだ。自分の心の声が聞きとれなければ、自分を大切にすることなどできない。

趣味をやってもすぐにあきる人、、、あれこれ手を出すが結局何にもならない人は、心の声に従っていないのかもしれない。心の声に従っての趣味なら、自然とプロ級になっていく。そうなってしまう。

しかしこれまでのプロに多いのは、好きだから、、、というよりも、それがよいとか、将来有利だとか、、どこかの誰かの価値感に従った結果である場合が多い。そうなると、プロといえども、工夫がない、、、マニュアル通り、、、という形での限界を迎える。またやっている本人もつまらない。

つまらなそうに焼き芋を売る人と、焼き芋に火をくべるのが、何となく楽しい、重さをはかるのが嬉しくて仕方ない感じ、、、という違いが、同じ焼き芋屋さんにも表れてくる。

食べるために焼き芋屋をやるのは、前者。好きになってしまったのは後者。

物の価値が高かったこれまでの時代では、どちらの焼き芋屋で買っても焼き芋は焼き芋だった。

しかし、今は違う。仕方なくつまらなさそうにイモを売っているようなところからは、買いたくない。楽しそうに、焼き芋を愛しているおじさんの焼き芋は買いたいし、また、味も本当に違っているだろう。

アマがプロを超えるのがこれからの時代である。趣味に仕事に私たちは堂々とアマ精神で取り組み、工夫をし、プロ以上のアマとして生き生きしていくことが、これからの仕事を伸ばす方法である。

AKBを真似た韓国のグループもきれいでいいが、アマ精神がないものはどこか違う感を起こさせる。もちろんAKBもプロなんだろうが、アマ的な感性が演出されていると思う。

プロとアマの違いは、プロは平均的にいつも走るが、アマはいつ走るかわからない馬に似ている。

だからこそ、誰がいつ出番になるかわからない。全員参加型の社会の面白さが出てくるのだ。「ここはお前しかないぞ」と。

何の役にも立たず、ひっそり静かにしていた目立たぬ者にも、年に数度は、はまり役というか、出番が訪れる、、、その時の全員の心からの拍手喝采があれば、誰もが平等感を抱き、誰もが、この社会のために生きたい、、、とそう思うようになっていく。

本当に学歴社会は変なことをやってくれた。色々な人の出番を奪い、社会をコンビニ化してしまった。小学校なんかでもいつも黒板の前に立つのは選ばれた何人かだったり。

そうした選ばれたと思っている者は、いつしか優越感の勘違いに陥っていく。

しかしそんな人では原発問題も災害も何も解決できない。なのにそれをまだ続けようとしている。

平均的な競争で勝ってきた人は、仕組みや機構がなければ自分らが生きて行けなくなることを知っている。だからしがみつく。ウソをついてもしがみつく。うまく行っている時は、自分は偉いと勘違いする。

私たちはテスタマッタでいいのだ。いつもは走らないが、ある条件にはまるととんでもない才能を発揮する。それは才能というよりも、その人そのもの。

理想論で言っているのではない。そうでなければ、これからは仕事も生き方も難しくなると思うからだ。

平均点の時代は去った。原発の危機対応は、平均点が上でもダメなのだ。テスタマッタにやらせなくてはダメだ。

これからあらゆるところでこうしたケースが出てくる。本当はすでに企業などは、行き詰っており、平均点的な対処ではどうにもならなくなっている。国の運営も学校のすすみ方も同じだと思う。

国の運営も学校の運営も平均的な頭脳の優秀さなので、今の政府のメンバーを見ていると、大学の学園祭実行委員会に集まった平均点の高い者ばかりがやりあっているように見える。

前首相の菅、枝野、岡田、すでに名前までド忘れしてしまった現首相、、、と、見ているとまるで大学の学園祭実行委員会を思い出させるのはなぜだろう。

要するにその程度の器なのだと思う。それが今では国家を運営している。恐ろしいものである。

話題がBBマッサージにそぐわなくなったので、BBについては近日中に。

きょうから私たちはテスタマッタで行きましょう。
いい加減、競馬の話しは止めにしてよ、、、って?