かたくなさと笑い

不幸とはかたくななことであり、悪とは笑いの中に入れないことなのだ。
 どんな問題もかたくなさを捨て、笑いの中に入りさえすれば解決する。解決しなくても問題にならなくなる。この数日、よく都会の電車が人身事故で停まっている。自殺者は三万人はおろか四万人を超えようとしている。多くは経済の困窮がその背景にあるらしいが、もう少しの辛抱である。金の世界が壊れつつある。死に急ぐ必要はない。あと少しの辛抱だ。
 金があったって食べ物が買えない時代が来れば、金の意味など消えていく。金がなくても笑いあう仲間がいれば、金の重さは消えていく。最後の胸突き八丁の急場をどうしのぐか、、色々な工夫と行動が必要だろう。
 おとといのニュースで知ったが、働く者の70数パーセントが年収200万円以下の収入らしい。まあ、よくここまで人をバカにしてくれたものである。30年前の私の学生時代のアルバイトの方がまだ上だった。このレベルになると経済活動を維持することは不可能で、経済社会を捨てたのも同然。上が何を考えているかと思うと、結構怖いものがある。本気で金の世を一度つぶす気なのだろう。
 本当の金持ちは、銀行や大企業を支配したが、もうそうした役割を終えて、最期の仕上げ時期に入ったということだろう。大企業がつぶれ、あらゆる銀行がつぶれていくのをこれから見るのかもしれないが、それも予定のうちなのだ。銀行などはものすごい不良債権の山であろうが、それを表に出して政府から出せるだけの金を出させた。そして莫大な利益の部分はとっくにどこかに隠しておいてダブルでの儲け。これから表に出てくる不良部分はさらに異様な大きさだろうが、その分の利益もどこかに隠し、マイナス部分だけを堂々と出して、ついには政府もどうにもならなくなる。そして失敗した形で大企業でも銀行でもつぶせばよく、あとは、国民に負債部分を任せる。東電も上は一円も賠償せず、大金をもらって社長などは勇退。おかしな話しだが、構造は同じである。上は会社をつぶしても痛まない。これまでの破産と違った形が増えていくことになる。人類はだまされたのだよ。何に、、、お金に。お金を発行する権利を持つ人が自由にお金を作り、政府に貸し出す、、、未来への貸出しと夢でごまかす時期が、好景気。不況のどん底で地球を買いたたくのが羊狩り期。それを何度も何度も繰り返し、都合がよくないところは争わせてボーナス取得。両サイドにお金を貸して戦わせ、武器を買わせ、廃墟にさせておまけの復興需要。こんなに儲かるボーナスもないが、それよりも儲かるのが金融。金が金を生むシステムで踊らせ、何百倍ものレバレッジを効かせて短期間で戦争なみの金を動かす。最後の最後は図にのった仲間をカモにしてどこかが一人勝ち。買った者は、現物資産、地球鉱物資産などを独り占め。すでに勝負あったので、もうこれまでの経済システムは壊したほうがベター。そんな状況。そんな陰謀じみた話しなど信じない、、、という方も多いと思うが、陰謀でも何でもなく、合理的に金儲けというか、支配構造を構築しようとした当然の結果と考えれば腑に落ちるはず。キャンディひとつ売るためにも、ああすれば、こうすればと考えに考えた末、子供が喜ぶようなコマーシャルを作るのでしょうから、金を儲けようとする者が、当然、あらゆる広告、マスコミ戦略、政治戦略、マインドコントロール戦略を考えないと思う方がおかしい。そしてやるところまで、限界までやって、もうインチキなお金の経済を終わらす、、、という段階。経済を続けるつもりがあるのなら、年収200万円はおかしい。また、世界的にそうであり、すでにこれまでのような羊狩りとは異なる、もっと大きな転機に来ていると思った方が自然でしょう。
 しかしそこに一般人の実はチャンスもある。どうせ金で壊されるのなら、金によらない生き方、金に頼らない生き方を構築してしまえばいい。そうした生き方は考えれば、行動すれば、今ならいっぱいある。よく言ってきたのがシェア生活である。シェア暮らしを本気で考えれば、一か月約3万円で過ごせる。若い人は一人でマンションなど借りるのはもうバカらしい。多少大き目の家やマンションに数人で住んだほうが断然楽しいし面白いし、何しろ三万円で済む。また、そこには新たな可能性も生まれてくる。ただ金のことだけなのではない。同じように考え、同じように現代の異常性を好きになれない者同士だ。何か考えれば、きっと面白いアイデアが出てくる。
 小金もち、中金持ちで鼻高の人も多いと思うが、果たしてそうだろうか。まあ、これからの時代をあまり甘く見ないほうがいいと思う。今年収800万あったとしても、1000万円以上だとしても、あんまりそういうことは関係ない時代がやってくる。会社がいつどうなるかわからない。管理職などいらない時代になっていく。5年後にはこうした人たちも年収200万円以下になっていないとも限らない。だから自分のことを勝ち組などと思わない方がいい。また、色々な工夫をして生きようとしている若者を冷たい目で見ない方がいい。それは倫理感で言っているのではなく、そうでないと、自分がダメになった際に救われないからである。結局何が大事かというと、先の視点に戻るのだが、かたくなでないこと。笑い会える仲間がいること。この二点がこれからのIDとパスワードなのだ。
 かたくなな中年にとっては、老後には6000万円が必要だと思うだろう。しかし本当か。もし6000万円があり、老人ホームに入り、予定していた安定した老後を送れたとしたら、それはそれでよかったとは思う。しかし、むしろ、老後の蓄えのない老人同士がシェアしあう場所で生活を共にし、毎晩、みなで食事をつくり、キャンプファイアなどを囲んで、時折、常磐ハワイアンセンターのフラダンスのお姉さんが飛び入りで来てくれるような生活のほうが本当は面白いのではないか。お嬢さんが来てくれなくても、気のおけない仲間の話しに興じ、年に何人か死んでいく仲間の葬儀を自分たちで執り行い、亡き人の好きだった踊りや歌や詩で弔う。三時間と決められた葬儀場の豪華な葬儀よりも、ずっと身近に、意義深く、最期の時をともにできるのではないか。6000万どころか、さらに金持ちが、最高級の老人ホームに入るパターンも素晴らしいかもしれないが、晩年に至っても、自分を一流人物と思い、毎晩のディナーでは正装し、やがて体が動かなくなり、信頼できる医者にみてもらう、、、それも素晴らしいのかもしれないが、高級老人ホームの本音は早く逝ってほしい、、、ということであり、このずるがしこい時代に一応何億の金を残した抜け目ない老人が、その程度の人の冷たさを見抜くことは簡単だろう。それでも一流意識で死を迎える、、、そんなもんで何が面白いのだろうか。常磐ハワイアンセンターのフラダンサーとも怪しい関係にもなれない。別に怪しい関係になる必要もないけど、老いの性の名残りを楽しむ環境など、高級老人ホームにあるはずもない。あるとしたら、いかがわしい売春のようなものかも。それでは結局はさびしい。金によらない老人たちがシェアしあい、生活を共にし、その中で一日一日を終え、炎を見、若い時を思い出し、残り火の中にかすかに震える青春や性の面影を、心地よい溜息とともに飲み干す。その時、人はいくつになっても恋をしているのと同じことなのだ。そして思いは何らかの現実をもたらす。気に入ったフラダンサーを見つめる情欲の目が、やがて愛すべきフラダンサーへの未来への祝福、よい男をみつけるんだよ、、、との思いに育っていく。なんと豊かな老後ではないか。こうしたことも無理のないシェアしあう仲間がいるからこそ開けてくる老後だと思う。
 結局、老人に限らず、若者も、中年も、偉い人も、偉くない人も、幸せになるには、かたくなではなれない。笑いあう仲間がなければ、人は必ず悪に傾き、孤独となる。そのことに気が付けば、金が人を幸福にするとの幻想は日増しにはっきりしてくるのではないか。

 
 昨日お知らせした、11月の私の講座の受付がすでに公式ショップで始まりました。定員になり次第締め切りますのでお早目によろしくおねがいします。