ザワールド

野田のホロスコープの判読の反響を多くいただきましたが、あくまで星の上でのことですので、実際に野田に女がいると言っているわけではないので、誤解なきようお願いします。変通星座のふたご座の金星に対して、政治家の土星と衝。これは政治家を辞めるときの理由にそうしたものがある危険があるということで、今、現在のこととは違います。あと、天才集団とはどのようなものか、、とのお尋ねがあり、その点がはっきりしたら、野田関係にお伝えしてくださる、、、という反響も。これはノストラダムスの昔からの暗示的な未来像でヨーロッパには共通してある日本への潜在的期待です。そのひとつに日本が超高度の科学技術を発達させ、人類の未来を築く、、、という内容があると思う。それは機構や権威やシステムから現れるものと違い、あくまで個人の天才的な発想によるもので、科学技術を愛としてとらえた神の知恵の体現者が、名もない個人におり、そうした者を見つけ出すこと、さらに、そうした者を育てることの重要性を語ったわけです。ので、権威的なもの、たとえば
東大の研究所に何百億与えても、それほどの意味はなく、むしろ名もない、町の発明家や科学者を偏見なく取り上げる心とシステムを持つべき、ということです。ただし東大の中でもこれまで冷や飯を食らっていたような人の中には大きな可能性があるとは思います。これにより、放射能の問題、そして軍事の問題、食糧の問題などが、劇的に解決する糸口が見えるはずです。
 ですから、野田にはぜひとも哲学者になっていただきたい。その素質は多少ですがあります。一種の憂鬱症だったと思われる野田は、松下政経塾のカラーとは多少ことなるものがあると思い、そこに期待。単なる出世主義者ではないでしょう。まだわからないけど、、、
 これからの世界はもう一色に染まることはない時代に入る。一色に染まるとは、軍事一色の時代も作れないし、経済一辺倒の時代も作れない、、すべての事柄が混在する地球という面を見せてくる。要するに多様化の時代。ひとつの原理ですべてを染めることはできなくなる。反対に言うと、すべての現象と現実が地上に混在する。色々なものがある大きなデパートのような形のザワールド。支配する側としては、本当は一色や二色に染めることがありがたい。何かで一色にできれば、操作もしやすく、方向づけも簡単にできる。米ソ対立なんかの時代は非常にこれがやりやすかった。小学生のころ、お前はどっちにつくんだよ、、、アメリカかよ、ソ連かよ、、、と、子どもですら遊んだものだ。一色や二色に染めるとわかりやすい。操作しやすい、騙しやすい。支配者というものは、いつでもそれを狙っている。戦争一色、、、貧乏一色、、、混乱一色、、、そして今も色々策動しているが、どうももうひとつうまくいかない。すでにアポロが月になど行っていないことは正式見解になっているが、マスコミが非難しないので何事もないかのようにしているが、こうしたことは根強い不信として人々の心に残っていく。大反省した方が本当はよいのに、どうしても逃げる。911も同様のコースになるに決まっている。もうあれがどんなにインチキであったかということは、アメリカ人はじめ、世界の人、そう日本人以外、みんなの常識。これもいつか突然、言い出すのかしら。あのときはああするよりなかった、、、なんて。結局、飛行機なんか当たってなかったというのがどうやら本当のようで、映像をくっつけてテレビに流しただけ。確かにそうなのでしょう。飛行機激突と同時にビルを爆発させるのは至難の業。ビル爆発ののちに、用意していた飛行機突入映像を合体させてテレビに流せばどうということはない。それでも多少の時間のずれがあって、ビルの方が先に爆発していたけど。修正する時間がなかったのでしょうか。こうした感じで、今の地上を何かで一色に染めることは、手品のように一瞬はできたとしても、すぐにばれてしまう。そのうち、だんだんとご威光も薄れ、不信のみが増して行ってしまう。これが時代の流れの怖さなのだ。
 ザワールドは多様性に向かっている。そこには色々な世界と現象、構造がある。そのどこに目を向け、どことつながっているかは、一人ひとりが選択することになる。戦争に目を向ける者には、戦争が与えられる、、、というように、この世には、ひどい地獄から一等の天国までがある。あなたはどこに所属し、そのエネルギーを得るつもりだろうか。本当はこの世を変えようなどと思う必要はない。悲劇はもちろん亡くさなくてはいけないが、悲劇の元を見つけることが先なのだ。意識と心がどこにシフトしているかに意味がある。心と意識の反映によって、あらゆる現象と世界は作られている。なぜなら、それは我々の反映として存在している以上、なくなりようがない。私たちの時代は心と意識の選択の時代に入ったのだ。
 外界のみを変えようと思わないこと。それは結果であり、幻想であり、実態ではない。なので、それをいくらいじくっても、幻想は幻想であり、徒労で終えることになる。そのことが支配者に使われている。人に外界を変えさせようとさせる。またそれによって世界を変えられるような錯覚を与える。戦争反対唱えれば、戦争はなくなったか。外界に目をむけさせることで、実態を支配し奪ってしまう。そして人類にはカスだけを与える。まあ、上手にだまされている。この流れを変えるには、我々は自分の心と意識に目を向ける以外に道はない。世界は変えることには限界があるが、内なる世界は気づきさえすれば見事にかわる。君子豹変である。世界がおかしいからと、私たちはなんらやきもきすることはない。なんらがっかりすることもない。外界に惑わされて自分の心を失うことを恐れること。この世の最大のペテンは、外界を変えればよくなると、人間が思わされたことにある。医療制度を変えてもおそらく病人は減らない。みなさん、朝起きたら体操してください、、、との運動の方がずっと病人は減る。すべてはそれと同じこと。くれぐれもだまされないように、お互い気をつけていきましょう。自分の周辺の事柄についても同様に言える。どうも自分は恵まれない、、、何をやってもうまくいかない、、、金もない、、太っている、、、美人でない、、、色々あると思うが、周辺の事柄を変える前に、それが自分の意思と心が現れた姿だと思えたら、外界に働きかけるよりも、自分の内面に働きかけて、現実を変えた方がよい、ということになる。一度、自分のまわりや自分の状況、運命に見えることまでを、これらは自分の内面の反映なのだ、と思って眺めてみると面白いと思う。外界が幻である以上、幻に働きかけてもどうなるものでもない。原因を見つめる、原因に働きかける。
 しかしすごいですよね、この世を動かしtいる人たちはこのことを知っているし、利用している。なので、私たちを外界に働きかけさすことで、あやつってこれた。結果の世界で生きる道を選ぶか、原因の世界に生きるか、まずはじめは、そこから考えていけばいいのではないか。