パッケージ人生

生まれたときからエスカレーターが用意されている。
病院、粉ミルク、子育て雑誌、保育園、幼稚園、小学校、中学校、、、食べるもの、着るもの、見るもの、買うもの、、どれも自由にみえて実はパッケージされたものの一つでしかなく、日々の生活も、パッケージの範囲で済ませることになり、コンビニ、スーパーがなければ暮らしが成り立たない人も多い。むなしさをうめる娯楽、刺激、スポーツ、、、、悩みに対しては、宗教までパッケージされた現代の暮らし。それでいて選択肢が豊富であるかのように思わせる巧妙な構造。私たちはいつの間にか、パッケージ人生の器の中に入れられてしまっている。その中にいてそれに気づかない。文明は人びとをこうしたパッケージの中に入れ、パッケージにそぐわないものを排除して人の手に触れないようにさせてきた。与える情報もパッケージされた管理された報道だけ。右の国では右向け情報を、左の国では左向け情報を。まあ、よくできている。自由になりたいなら、このパッケージに気づき、できるだけそうしたものに寄らない生き方、生活の仕方を持つことが大切。大がかりなものは、まずすべてパッケージされたものと考えた方がよい。私たちはすでにパッケージにはめこまれている。残念だがそうである。このパッケージ外では普通に生きることは難しくされている。パッケージ内で普通に生きていける状況ならばそれでもいいが、そうでなくなりつつあるので、注意が必要になっているし、意識の改革が必要になっている。たとえば、パッケージ内の食物でこれからの時代を越していくことが本当にできるのだろうか。今年の夏は予想に反して冷害ではないようなので本当に良かったが、地球レベルでみるとこれだけ火山が噴火しているのだから、当然、作物にも影響がある。こうした事情を先取りした国が食物の買い占めに走ったとしたら、あっという間にこれまでの常識であった食糧のパッケージは破壊されるだろう。福島原発などの環境パッケージもどうなるか分かったものではない。福島原発の対応で言えば、私は当初、これはわざとのらりくらりやっていると思ったが、首相は激情していたらしいので、わざととも思えない。ならば東電の対応がわざとだったのか、、、という考えも当然ある。東電がなぜあえて事態を大きくすることがあろうか、と誰もが考えるだろうが、パッケージ壊しが始まったと考えれば、その可能性だってある。電気というあまりに見事なパッケージづくりに成功したのが電力業界だから、大本のパッケージ思想とつながっていると考えるのが自然だからだ。パッケージとはいざとなった際に、大衆をどうにでもできるフリーハンドを得るための体制と考えれば、なぜこうなったかがわかるだろうし、これからの危険がどこにあるかもわかってくる。食糧も見事にパッケージされてしまっている。早くそこから離れることだ。私は今、キッチン菜園を実行中。もうすぐ皆様にもお目にかけます。窓際に小さな鉢植えの野菜を育てて食べるという原始的な方法。放射能も心配いらないでしょ。ただ、種がほとんど一代配合となっていて、完全に種がパッケージ化されている。こうしたことを法律で禁止すべきなのに、どの国の法律も、結局はあらゆることのパッケージ化を進めてきたのだろう。これが大きな戦略だったのだと思う。ユダヤ人が殺されたのも、ジプシーが殺されたのも、どの国の先住民が殺されたのも、すべてはパッケージ化にそぐわないもの、本質的な命あるものをなくし、変わりに弱っちょろいパッケージ生命にしていって、扱いやすく管理し、奪うだけ奪いつくし、最後は捨ててしまえばいい、、という管理者にとってはまったく好都合なのが、人類パッケージ化である。この流れに早く気づき、パッケージから命を守る部分だけでも脱出する生き方を求めることが大切になる。経済のパッケージ化のために、福島では子供たちが犠牲にされている。石原は何を血迷ったのか、暴言が相次ぐが、ついには福島の野菜を東京の給食に使うとか。はっきり言って、バカとしか言いようがないが、バカだと言って済む問題ではない。子供の命を守ろうとする母がそのことに気づいていき、はめ込まれたパッケージから脱出する行動をいずれ開始するだろう。命が危なくなれば人は動く。ただパッケージがきつくなれば気づいても動けない状況になる。すでにそうした情勢が優位なために、実は福島の悲劇が起きている。わかっていてもパッケージ化されたものから、もう逃げられないわけだ。まして東京の人がそうなったら、パッケージ以外に何もないだろうから、恐ろしい事態となる。キッチン菜園などというまるで子供だましと思われるような試みも、パッケージから一歩でも出て命をつなげる部分だと思えば、大きな試みとなるはずだ。そうしたことがこれから大切になってくる。仕事なども派遣などで心細い人は、やはり工夫しよう。パッケージ収入が多少すくなくなっても生きていける工夫をだ。パッケージからすべて逃げ出すことはもう誰もできないと思うが、命を守る部分だけでも自分でパッケージ以外のところに作っていく。1万円のミシンがあれば服は作れる。これはパッケージ外の生きた支出となる可能性がある。糠漬けを自分でつくることも、自前の健康食品づくりであり、生きた支出だ。通勤を自転車に変えるのもそうだろうし、野の植物採集もそうだろう。ハイキングと一石二鳥の楽しみも得られる。洗濯機を使わない素手洗いだって多少はパッケージ化とは異なる方向だ。洗濯しながら井戸端会議が楽しかったかつての地域性は、電気洗濯機の登場とともに消えていく。目の前の楽しみよりも人はみえに弱かった。電気洗濯機が買えない家、、と思われる方がつらかったのだろうが、こうしてパッケージ化にしてやられた面がある。車もそうだし、家も教育もそうだった。何が一流車か、何が一流大学か。大差なしのパッケージであることに早く気づく必要がある。パッケージのために命を差し出す必要はない。

かに座新月の星のローズ水プレミアムのお知らせ

7月1日 午後5時53分ごろ新月   かに座9度11分での新月です。
冥王星、天王星、土星、そして太陽、月を含む5つの星が運動星座に集合する、カーディナルハードに。昨年、話題にされたカーディナルクライマックスはあの時点で終えたわけではなく、今年も続く長期の時代を暗示しており、カーディナルサイン(おひつじ かに てんびん やぎ)が刺激されるたびにいつでもその影響は出てきます。
 今回の新月はかに座でのものですので、カーディナルクライマックスの作用が出てきます。かに座は家庭や保護される環境を示し、それが土星、天王星の争いごとによって破壊される、、、という意味があります。とくにアメリカではけっこう悲惨な出来事が起こる可能性があり、祈りの力によって悲劇を抑えることが重要。平和や安寧や和解というイメージを各自が心にもてるかどうかで、個も全体も運勢の方向が変わります。とにかく祈りが実は力になります。いずれその点についてはお話しさせていただくつもりです。

今回のプレミアムはいつになく時代の安全や安寧への祈りをこめて製作しますので、香りのエッセンスがあなたの心と調和してあなたの周辺が守られるようにとの祈りがこめられます。締め切りは6月29日。

公式ショップ、夢の愛ショップにて予約受付中。

パッケージ商品のローズ水ではありませんので、命ある香りをどうぞお楽しみください。