宴の後

あーあ。今年のダービーも終わったか。今年もまたダメだったか。と、みなさまにはどうでもいいことだと存じます。大体、競馬のことをブログに書くと、信用を失うのか、なぜかショップの売り上げが落ち、ご感想などメールが少なくなるのがこれまでの特徴。まあ、仕方ないか。趣味とか自己実現とかは大体そんなものなのだ。本当の趣味とか自己実現というのは、周囲には評価されるどころか、理解すらされない、、、そういう原則がある。趣味はともかくとして自己実現がとくにそうだ。自己実現は人生の重大な部分と言ってもいいが、これはそんなに大それたものとは違う。周囲からつまらないと思われても、本人はそれが嬉しくてたまらない、、、面白くて仕方ない、、、という三昧の境地が自己実現。子供はだから自己実現していることになる。
 あなたは将来何がしたいですか、、、との質問に対して一番目に出てくる答えは、大体は自己実現とは関係ないことが多い。二番目も、三番目でもなく、おそらく、最後の最後に、ああ、もしかしたらこれも、少々、、、、おそらくそれが本当の自己実現に近いものだろう。要するに、既成の価値観とは関係のないところにあるものだが、なぜか夢中になってしまうもの。もしくは、気になってしかたないもの、、、そういうものにこそ目を向ける。たとえば、結婚相手を選ぶ際にも言えるが、結婚相手が何人もいる、、、という中では、まず間違いなく私たちは相手選びに失敗する。どうしても一般的な価値観で相手を選んでしまうからである。何人もいれば、どうしても多少なりとも給料がいいとか、将来性がありそうだとか、ルックスがいいとか、目立った価値感に手が伸びてしまう。誰が私を幸福にしてくれるのか、、という価値観から逃れられなくなる。しかしそれが間違っている。誰が幸せにしてくれるかではなく、たとえ、この人となら苦労してもかまわない、、、という人と結婚すれば問題は生じない。苦労しないことが目標ではなく、一緒にいたいという純粋な思いが動機になっているからだ。選択肢が多いとつい私たちは一般的な価値観に目をやってしまう。ダービーも買いたい馬一本でいけばいいものを、つい来そうな馬に目をやる結果、私たちは失敗する。まあ、いいか、もう競馬の話しは。
 しかし、垂れ流しの放射能はずっとこのままだろうから、シュミレーションを各自がやっておくにこしたことはない。一般的な最悪のケースは、放射能垂れ流しで、ときどき臨界。小爆発を繰り返し、極めて濃度の高い放射能がたまにおそってくる。その積み重ねが数年つづくと立派な汚染列島となる。そうすれば観光は壊滅。企業は海外に逃亡。食糧は底をつくがどの国もゆずってくれない。東京の地下の暴落をきっかけに金融は崩壊状態となり、円は暴落。ちまたの企業活動もほとんど意味なく、わずかに生活関連の仕事以外に仕事もない、という事態。要するに見捨てられた事態となる。一応、ここまでは覚悟しておいてもいいと思う。私が考える本当のチャンスは実はその後のことなのだから、ここまでの覚悟はしている。本当は、今は景気がどうのと言っているような状況ではなくて、食糧や命をつなぐ意識に変化させた方がいい。それはこれまでの数年の私の直観であったが、まさかこうした形でそれがやってくるとは思わなかった。今は仕事もあり、どうにかやっていけてる人は、もちろんそのままそれは維持した方がいいが、もう一面では、そんなものはきっと長くは続かない、、、という覚悟の上での未来像を自分なりにつくっておいた方がいい。ほとんど仕事はなくなり、食糧も少なくなり、どうやって生きていったらいいか、皆目わからない、、、そんな状況にすでに自分の意識を追い込んでおく方がいいと思う。ただし、そのことに一切の恐怖を感じる必要などはない。実際、そういう事態が訪れたら、かえって日々が楽しくなっているはずなので、怖がる必要はない。「気持ちいいよ、早くおいでよおいでよ、、、」と、プールの中から呼ばれているようなもので、泳げない人にとっては恐怖だが、一度水の中に入ってしまい、浮輪などで浮いていれば楽しくなる。これから訪れる危機もそんなものである。強力な中央集権すら人々を助けられなくなるかもしれないから、そうなると、それぞれが勝手にやってください、、、ということになる。実際、原発のメルトダウンは初日にあったわけだが、それを言うと対応ができないと思った政府は国民にウソをつきとおした。そのおかげで4000万人は被爆しただろうが、まあ、恨みごとを言っても始まらない。その変わり、個々で勝手に生きていい、、、という形になることだろう。これがチャンスでなくて何だろう。実は国が人を守ってなどくれないことは、これまでの歴史を見て見ればわかること。国のために国民があったのであって、私たちのために国があったのではない。だから平気で戦争も起こせたし、原爆を落とすような国とお付きあいもできた。しかし、もう国が私たちを見放すと言ってくれている。こんなにありがたいことはない。それがもうすぐ訪れる幸運なのだが、何かにすがりたいという錯覚が恐怖を抱かせるだけ。実際はそんなことはなくなる。昔の無政府状態なら危険はあるが、日本の進んだ科学技術、民生の技術が高いところでは、勝手にやらせてくれれば、素晴らしいものが出来てくる。仕事の無理も核家族の無理も、場合によっては結婚制度の無理も、家族制度の無理も、教育の無理も、食事の無理も、何もかもが自由になるかもしれない。どこかに偉い人をつくると、またその人中心になんらかの権威が生じて、何度か失敗もあるとは思うが、それにも段々と慣れてきて、なんてことはない、誰にも食欲があり、誰にも性欲があり、誰にもがめつさがあり、そして誰にも人情や愛情がある、、、と気づきさえするだけで新しい時代は生まれだす。多少はおんぼろ館でも、十分な広さがあり、太陽が当たる。庭や家の周りには緑が茂り、怖いと思った放射能は微生物と仲良くなって、なんだか体によくなっている、、、というような状況。電気もただ、水もただ、なんでもただ。その上、女性が解放されるので、なんだか恋愛にも自由な雰囲気が出てくる。誰がもてるとか、もてない、、、という考え自体が薄気味悪くなる。はっきり言って誰でももてる。老人だって恋をする。今でもそうらしいが、何が魅力にうつるかわからない流れになるので、必ず、一見薄気味悪く思われるような人にでも、セクシャリティを抱いてくれる異性が出てくる。自由な流れにおいては、本当に何が起きるかわからない。もちろん、身を固くもち、自分の個性を発揮していく人もいる。それはそれでいい。しかし私はエロいほうが楽しいと思うので、馬鹿にされつつも何かしたいと思うかも。これは人それぞれでいい。何が言いたいのかわからなくなったが、まさかと思うそんな楽しい時代につながって行く可能性が今の危機にはある。世をはかなむことは簡単だが、そういう気持ちの人はもうちょっと待ったほうがいい。はかなんでいる人は、何かにまだしがみついているからだ。しがみつくものなどないことに気付けば、これから本当は良い時代になっていくことがきっとわかる。しかし、早く日本国民を手放して欲しい。もう、いいでしょ。原爆を受け、戦争で焼け野原にされ、働き蜂で最後はすべてを奪われ、おまけに放射能実験までされているのだから。ここらで手放してもらい、また自由な境地で今度こそ再出発させてもらえたら、面白いものがつくれましょう。
 もうすぐやってくる金融の危機大二弾。来年にはやってくるかもしれない食糧難。物凄く悪いように見えて、私たちの時代は一歩一歩、本当はよい方向に向かっているのです。

 さて、6月2日は新月。ふたご座新月のプレミアムは本日で受付終了です。ご予約をお急ぎください。また、6月4日は木星がおうし座に12年ぶりにやってきます。これを祈念した、本当の豊かさの香り、、、おうし座ローズオットーソープのご予約は、6月1日と締切がこちらも迫っています。ローズオットーの香りがはえるいまの季節。ローズの贅沢をできるうちに。