浜岡原発停止

菅が先ほど、浜岡原発の停止を決めた。よいことである。遅かったが、よかった。これで東海地震の危険度が破滅的でなくなる。このように、もう正論でしか動かせない時代が近づいている。管が保身のために浜岡原発の停止を決定したことはみえみえだが、そんなことはどうでもいい。誰が国を動かしてもいいが、ただし正論で動かすしかない。これでなんとか首相の座にしがみつくつもりだろうが、正論を実行するのなら、、、ということだが、あれだけのインチキさを見てきたからには、このことひとつで信じるわけには到底いかない。ただ、上の上の方針が変更している、、、という見方もできる。ビンラディンの件、もう一度ドルとアメリカ経済、金融の安定化のインチキだが対策が打たれているわけで、これまで悪うございました、、、これからはもうあまり悪いことはしません、、というとりあえずの方針変更が今回一度は上の上で起きている可能性もある。福島がどうなるかで、このことがわかるだろう。あくまで福島を危機創出のために使うか、福島を安定させるかで、わかるだろう。管の顔が多少は人間的に見えた本日は、多少は心を入れ替えた面もあるのかもしれないが、まあ、期待はしないほうがいいが。さすがにそこまではできない、、、と、菅が思った何かがあったのかもしれない。そうなると、菅は殺されるか、失脚するかするはずだから、あと一か月も見ていればわかるだろう。とにかく、浜岡を止めたことはよかった。ただ面白いのは、マスコミはこの件をあまり高く評価していないニュアンスである。ということは,管とマスコミの一体化路線は壊れた可能性がある。ここは救いでもある。菅はやむにやまれぬ菅なりの正義感があって、こうなった可能性も数パーセントかもしれないが、ある。おそらく私も含め、菅に不信を抱いてきた人はそんなことは信じられないと思うだろが、マスコミの対応は、まだ、原発が必要だ、、、というようなニュアンスを強調しているように、菅とマスコミは現在は一体ではない、という点は非常に高く評価できる。次は、子供に対する、20ミリシーベルトの殺人的判断を早急に訂正すること。それをやれば、官は変わったともいえるが、まだまだ踏絵は続く。福島が安定化できないため、首相にしがみつくための原発停止という突然の思いつきということもあり得るので、慎重にみていきましょう。