小さく小さく小さくなれ

人は行き詰ったとき、どうなっているかというと、現実から離れている、と考えられる。現実から離れているというのは、現実が観念に置き換えられている面が大きい。リアルな世界から離れた虚構は、一見美しいがやっぱり不自然。三島由紀夫がどんなにすごい世界を構築しようとしても、どこか作りものであることは、誰でも気づく。小説なのだから当たり前か。現実から離れた人間は架空の世界に自分の芸術を求め、その結果、とても面白い世界を見せてくれることはあるだろうけど、やはり本人は非常に苦しいし、つらいと思う。そんなことをしなくても、人は行き詰まりから脱出できる方法がある。それは、小さく小さく小さくなることだ。大きな世界を見ようとすることはない。世界がどうなっていても本当はかまわない。大きなものを見よう、とらえようとすると、人は山を見ているようで、ああ、あれは山、、、と観念の世界に捨て去ってしまう。ああ、これは駅、これは仕事、これは服、、観念の世界にだんだんと取り囲まれていき、ついには外界との接触にリアルが入り込めなくなっている。頭でっかちの意味なし状態。そうやって生きていけばどうしてもつらくなる。小さく小さく小さくなるとは、実際に見るものを限定し、その分、フォーカスすること。何もフォーカスするものがないときのみ、人は観念の世界にしばられてしまう。逆にどんなにくだらないことでもいいので、何かフォーカスするものがあれば、人はリアルな世界の住人となり、生きる意味を思考を通さずに与えられる。なので、苦しい時、どうにもならない時、虚無から脱出できないとき、なんでもいいから、フォーカスしてものを見てみることだ。目の前に看板があったとしたら、その前に行き、一メートル四方程度の看板をゆっくり、じっくり、さわって、見て、フォーカスしてみるといい。何かが発見できる。まして、草、花、人、なんでもいいが、小さく小さく小さく見つめ、それをフォーカスしてみる。花一輪をフォーカスしてみるだけでも、人は生きている世界とつながる。車で通りすぎても何も見えない。見えているが、記号化して通り過ぎる現実しかなくなる。フォーカスする、、、小さく小さく、、、これで誰でも生きることの無意味さから自由になれる。生きる力を失うということは、フォーカスせずに、現実を記号に置き換えてきた結果なのだ。まして、どこかに生きがいがあるとか、どこかに意味のあることがあるはずだ、的な形になっていくと、これは危ない。危険度が増す。世の中に意味あるものもないものもない。単に見える世界を記号化してしまうか、フォーカスしているかに過ぎない。子供や赤ちゃんは、世界のすべてをフォーカスするので、退屈を知らず、人生の無意味を知らずに生きていける。小さく小さく小さくなることで、新しい時代のあなたの役割が自然と見つかっていくこともあるのではないだろうか。

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