祈りの歌会

今夜は麻布の元神明神社にて、「祈り」という題での歌会行った。参加者6名によるこじんまりした歌会で、急遽開いたが、一度も音あわせもしない緊急のものだった。6名がそれぞれ作った歌六首を披講。歌の神様に届いてくれただろうか。
 原発のニュースは少なくなったが、事態は悪化している。最悪の爆発だけは何とか防いでくれないか、という気持ちだが、世界の迷惑に成り果てた日本。日本の言い分や常識は世界では通用しない。まして政府や東電の言い分はそうである。今回の出来事を通して、つまらない人間がこの世を動かしている、、という思いを私は持ってしまう。そういえば、小学校や中学校の頃、本当に面白いことを言ったり、やったりすると、つまらないことを言い出す者がその流れを邪魔することを思い出した。大体は優等生的な人である。こんなみんな楽しんでいるのに、なんでやめさせるようなことをするのか、、また先生もそうした形での収束しか考えないのだろう、、、と、子供ながらに不思議だった。面白いことは罪なのだろうかと、子供ながらに考えた。そして今になってその答えがわかる。優等生や上の人の劣等感が、面白いことによって場と影響力をそがれることが不安だったのだと思う。保安員の解説は本当につまらないが、ああいう人が上にいる職場で、もしも面白いことを言ったり和ませたりしたら、その人は絶対に出世できないのだろうな、とつまらないことを考えてしまう。日本では美男子は出世しない、という。東電の副社長など見ると、確かにそうなのかもしれない、なんて思ってしまう。同じ能力の二人がいて、どちらに出世のチャンスが当たるかというと、断然美男子でないほうになるという。なぜかというと、おそらく美男子のほうは女子職員にモテるからではないだろうか。もてない男同士が自分らのコンプレックスを刺激しあわないようにして、まるでギルドのような結束を作っているのが日本の男社会だとしたら、薄気味悪い。おそらく一流企業と呼ばれるほど、こうした傾向が出てくるのではないか。女の嫉妬というが、本当はそうではなく、男社会こそ嫉妬社会ではないだろうか。嫉妬社会の中では真実も平和もあったものではない。嫉妬からの足の引っ張り合い、裏切り、拘束。コンプレックスが共通する者通しでの利益の分け合い、保持。ぶら下がりや天下りなどはまさにその縮図。こうした人たちにとっては、社会に奉仕する気持ちも人への奉仕もあったものではない。自分らの言語感覚で語るし、明快さもホスピリティも、当然ない。まして愛などない。要するに何がこれから大事かというと、人間の体質である。コンプレックスは誰にももちろんあるにはあるが、この埋め合わせのための連合が上にたったとき、すべてがおかしくなり、すべてを破壊して終えていくだろう。今、力信仰、コンプレックスの死の灰を撒き散らす原発が人類を道連れにしようとしている。コンプレックスの前では、自分が死ぬのなら、人が死んでもかまわない、、ということになるわけで、自分のコンプレックスに対面させられるぐらいなら、地球もろとも滅んでかまわない、という思いになるのだろう。コンプレックスには復讐心が伴うということでもある。こうした破れかぶれの上に対しては、本当はやさしい女性の愛の力が必要。大きな胸の中でおもいっきり泣かせてあげて、子供をあやすようにしてもう一度育てなければならないわけだが、片手にはまだ武器や原発や経済や権力を持っているので始末が悪い。原発の危機を収めるのも、それをまい進させた彼らを治めるのも、同じ道理。なぜなら、彼らが原発そのものなのだ。一心同体。だから原発も邪魔者扱いすれば危機が収められるという考えを捨てて、原発の悲しみをどのように収めるか、原発を利用するのではなく、それを生かす道か、もしくは逝かせ方かはわからないが、とにかく邪魔者扱いしないで済む、何か物理的な方法があるかもしれない。発想の転換である。たとえば、放射能は何を求めているのだろうか。ただ、地球に迷惑をかけるだけの本当に存在なのだろうか。もしかしたら、地球のためになるものが、そこに何かと合致することで生じたりするような研究はないのだろうか。猛毒の塩素だって、ナトリウムと一緒になれば塩になるように、抱き生かすものがあったら素敵。そんな単純なものではないとは思うけど、けっきょく、ああした保安員だって好き好んでああなったわけでもない。間違った人生観とコンプレックスがミックスされてあんなになってしまったわけだ。だから苦しいのだ。また、神から見たら、保安員のことだって深く愛している。ものすごく愛している。保安員はそのことを知らないので反省できないわけだが、神は愛している。放射能だって同じだろう。いくら人類が作ったものとはいえ、その元は地球にあったものである。なので、何か本来は地球や人類のために尽くしたい、生かされたいと思っている。なのに、変なことばかりに利用されてしまって、放射能も怒っている面があると思ってよい。原発憎しもいいが、放射能などを生かす方法を幾多の天才たちに考えてもらいたい。きっとひとつやふたつは出てくる気がする。